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静 霧一『白雪姫は雪と共に眠る』(上)


 ふと、夜空を見上げると雪がちらついていた。

 天気予報ではそんなことを言っていなかったが、予想以上に冷えた今日は、思わず夜空も耐えることが出来ずに雪を降らしたのだろう。
東京の街を歩く恋人たちは立ち止まり、両手でその雪の結晶を優しく乗せ、「綺麗だね」と愛を囁いていた。

 私もふと立ち止まり、手のひらに雪を乗せる。
 その小さな結晶は綺麗な形を象りながら、手のひらの温度でじんわりと溶けて、それは水滴となった。

 この季節が来るたびに、思い出してしまう。
 全ては雪のせいだ。
 私は夜空の遥か遠くで瞬く星に、あなたを思い出していた。


 ◆

「東京からやってきました。白井 姫乃です。よろしくお願いします」

 白井はか細い声で、お辞儀をした。
 冬の声が遠からず聞こえる11月の初旬。あれは私が中学1年生の頃であった。

 東京からの転校生が来ると、前日まで噂が盛り上がりを見せていたが、当の本人が挨拶をするなり、教室中がシンと静かになった。
 皆は東京の人だというからもっと派手な奴が来るのかと期待していたが、案外、私たちと変わらない子で、むしろ私たちよりも大人しい女の子に、溜息まで漏らす始末であった。

「じゃあ白井さん、椎名さんの隣に空いてるからそこに座ってね」
 そういうと彼女は無言で先生にお辞儀をして、一番左側の席列の最後尾の窓側の席にちょこんと座った。

 東京からくるのだから、こんな田舎の雪国とは違う、もっと海で焼けた肌黒い子がくるのかとばかり思っていたが、彼女は白く透き通った絹のような柔肌で、それはまるでこの田舎町で見る新雪の色そのものであった。

「椎名さん、よろしくお願いします」
 彼女は丁寧に頭を下げた。

「う、うん。こっちこそよろしく」
 私はよそよそしく笑った。

 昔からこのようなタイプの子は苦手だった。
 人見知りで、無口で、感情を表に出さないで、いつも笑ってばっかで、いったい自分がどこにあるのかわからない子。

 本音を言わないことへのじれったさは、私にとって歯痒いものであり、気づけばそういう子を遠ざけて生きてきた。
 だからこの子も他の子と仲良くしてもらえるように押し付けよう。私は子供ながらにそんなことを考えていた。

 だが、一向に彼女には友達ができる気配がなかった。
 それもそのはず、田舎の中学生にはあまりにも「東京」という言葉が強すぎたのだ。

 私の叔父は東京で会社を経営している。
 そのせいか、何度か東京にも足を運んでいるし、東京という都市は自分たちが抱いている理想ほどすごい場所でないこともよく知っている。

 田舎で生まれ育った子供たちは、東京という言葉に忌避感のようなものを感じているようで、誰も話しかけようとはせず、結局彼女は友達が出来ないまま独りぼっちでいた。
 結局私も彼女を気にしながらも、話しかけるタイミングが見つからず、早いもので1か月が経過していた。

 季節は12月である。
 田舎の冬は厳しいために、この時期になると、教室の前と後ろに業務用の大きなストーブが各教室に配置され、ゴーゴーと音を鳴らしている。

「ねぇ、白井さん」
「なんでしょうか……?」
「東京はどこに住んでたの?」

 私はふいに彼女に質問した。
 好奇心だとか友達だとかそんなものではなくて、ただの暇つぶしであった。

「中目黒です」
「中目黒!?高級住宅地じゃん」
「そう……なんですか?」
「そうだよ!」

 私はあまりにも驚いた。
 よくよく彼女を見てみれば、その顔立ちは芋臭さの残る田舎の学生とは違う、洗練された風格を纏っており、彼女が使うペンケースも、白い革地に金色の英字が刻印されたこ洒落たもので、皆が遠ざける理由も嫌に納得せざるを得なかった。

「ねぇ、あなたってなんでこんな田舎に来たの?」
「それは―――」

 彼女がそう言いかけた瞬間、授業開始のチャイムが鳴った。
 言いかけた口は空気を噛むようにしてパクパクとし、そして静かにそれを閉じた。
 私はその言いかけた言葉の先が気になり、無意識に私の口が開いた。

「―――一緒に帰らない?」
 その言葉に、彼女は驚き呆けた顔をしていた。

「お父さんがね、借金しちゃって自殺しちゃってね」
 淡々と事実を話す言葉に、冬の冷たさとはまた違う冷たさを私は感じた。

 畏敬の念と言えばよいのだろうか。
 親を亡くすということが、私にとっては非日常、それこそ小説の中の出来事なのだと思うぐらいに平和ボケしていたものだから、それを淡々と話す彼女に恐怖のような感覚を覚えた。
 彼女はそれから自分がここに来た理由を話し始めた。

 父は中小企業の社長だったらしく、そこそこのお金持ちであったが、その会社が倒産し、借金に首が回らなくなり自殺したのだという。
 母はその自殺を気に精神を病み、精神病院へ入院し、引き取り手として母方の実家へと引っ越すこととなった。それがこの田舎町だったために、こちらへと転校してきたということを包み隠さず話してくれた。

「なんか、ごめん……」
 私は彼女の顔を見ることが出来ず、ぼそりと呟いた。

「ううん、大丈夫だよ。私ももう心の中は整理できてるから。こっちこそごめんね、気を使わせちゃって」
 彼女は「あはは」と笑った。
 その笑い声はどこか乾いていて、目の中の光は、今にも掻き消えそうな風前の灯のようにも見えた。

 お互い顔も合わせず、ただまっすぐ家への帰路を歩いていく。
 すると、自分の柔らかな頬に、ぴとりと冷たさを感じた。

 ふと、上を見上げると、鉛のように分厚い灰色の雲から、ちらちらと白い雪が舞い落ちていた。
 2人は立ち止まり、同じくして空に白い息を吐く。
 それはふわふわと宙に浮き、冷たい空気の中へ溶けていく。

「雪……」
 彼女は雪を両手で優しく掬い、小さなその結晶を微笑ましく眺めていた。
 先ほどまで薄暗かった瞳の奥に、ふいに火が灯ったような、そんな温かさを私は彼女から感じた。

 田舎町じゃ雪なんてそう珍しいものでもない。
 なのに彼女の表情は、神様がくれた幻想的な贈り物かと想うほどに雪を愛でていた。

「この町なら雪なんていつでも見れるよ?」
 冷えた言葉がゆらゆらと彼女へ飛んでいくが、その言葉は彼女の温かさによって溶けていく。
 彼女の耳で言葉は蒸発し、心まで届くことはなかった。

 すると、彼女は雪を見上げながら大きく口を開け欠伸をした。
 それは煙突から出た白煙のように立ち上り、そしてまた冬の空へと消えいく。

「なんだか、少し眠たいや」
 彼女はただぼうっと、虚ろ虚ろとした眠気眼を泳がせていた。

 ◆

 雪は一度降り出すと止まらない。
 12月の初雪を迎えてから、連日雪が降り始めていた。

 豪雪地帯ではないものの、この田舎町での雪はそう珍しいものでもない為に、この町の人たちはいたって平常な一日を過ごしている。
 ただ一人、彼女だけを残して。

 私は彼女の暗い過去を知ってからというもの、積極的に話しかけ、帰り道は一緒に帰るようになった。
 最初は同情というものが先行していたが、今は友情というものに変わっている。
 12月25日の終業式が終わり、私たちはとぼとぼと帰り道を彼女と2人して帰っていた。

 ただ燦々と降る雪の中、沈黙が私達を包み込む。
 その沈黙は、以前のどう話せばよいのかわからないという困惑ではなく、冬休み中の2週間はこうして帰ることもおしゃべりすることも出来ないという寂しさとなっていた。

「姫乃ちゃん」
「ん?」
「冬休み終ったらさ、隣町のショッピングモールにいかない?」
「いいよ」

 彼女は微笑んだ。
 その微笑は伝染し、私までも思わず顔が綻び、赤面した。
 私の心臓が、大きく脈を打ち、息を浅くする。

 きっと雪の冷たさのせいに違いない。
 私は彼女の儚い笑顔を忘れぬようにと、胸に焼き付けた。

 ◆

「ねぇ、美咲ちゃん。一緒に遊びましょう」
「う、うん」

 私は彼女の手に引かれるまま、森の中を駆けていた。
 薄暗い森を走っていると、遠くに隙間から漏れ出た白い光が見え、私たちはそれに向かって全速力で走った。

 そして私たちは森を抜けた。
 そこには、どこまでも果てしなく続くその花畑が広がっており、私はその夢のような景色に思わず息を飲んだ。

「ねぇ、美咲ちゃん」
「どうしたの?」
「私ね、あなたのこと―――」

 私は最後の言葉が聞き取れなかった。
 けたたましいアラームの音が鳴り響き、その心地よい夢から目が覚めてしまったのだ。

 私は普段、夢の事なんて大して覚えているほうではなかった。
 なのに、今日見ていた夢は鮮明に覚えている。
 湿った土の感触も、鼻をくすぐる花畑の香りも、彼女の手の温もりも、未だに私の先端にかすかに残っているためだろうか。

「美咲ー、起きないと遅刻するわよー」
 下の階から母の声が聞こえる。

 長い冬眠から覚めた熊のように、暖かな布団から一歩足を出す。
 柔らかな足の裏には、ひんやりと床の感触が走る。
 私は動こうとしない足を無理やり動かし、油を差し忘れた錆びついたロボットのように、ゆっくりと学校へ行く準備を始めた。

 冬休みが終わり、ついに気怠い授業の始まりを告げる始業式の日がやってきた。
 教室へ着くと、皆は久しぶりの再会に喜び、クリスマスプレゼントやら、お年玉の金額やら、帰省先の思い出話で盛り上がっていたが、私はどうも気分が浮かない。

 あれもこれも私の隣の席にいるはずの姫乃がいないせいであった。
 受けたくもない授業を受けようとなんとか学校に来れたのも、彼女と話がしたいという目的があったからこそなわけで、当の本人がいないことに腹が立ち、おまけにその怒りの矛先をあろうことか彼女に向けていた。

 始業式の日の授業は特別で、オリエンテーションのみの授業となり午前中で帰宅となる。
 午前が終わるチャイムが鳴り、帰宅しようと席を立つと、「あ、椎名さん。ちょっといい?」と担任の朝井に呼び止められた。

「白井さん、今日病欠でお休みみたいだから代わりにプリント持って行ってあげてくれない?」
「あ、はい。大丈夫です」

 私は朝井からいくつかのお知らせが重なったプリントを渡された。
 薄々気づいてはいたが、やはり病欠だったのかと少し不安にもなったが、彼女の家に行けるという喜びもあり、私は雪が積もる道の中を駆け走った。

 彼女の家は昔ながらの日本家屋であった。
 チャイムを鳴らすと、中から「はーい」という声が聞こえ、出てきたのは少し腰の曲がった白髪のお婆ちゃんであった。

「隣の席の椎名です。今日のプリントを渡しに来ました」
「あぁ、椎名さん!姫乃ちゃんからよくお話は聞いてるよ。寒いから上がって上がって」

 言われるがままに、私は家の中に招き入れられた。
 家の中は体に染みついた霜を溶かすほどに温かった。

「姫乃さんはどうしたんですか?」
「あぁ、姫乃ちゃんはね。今2階の部屋で眠っているよ。朝から気怠いから寝かせてって言ってそれからずっと寝たままなのよ」
「様子……見に行ってもいいですか?」

 私はそわそわし始める。
「行ってあげておくれ、姫乃ちゃんも喜ぶわ」とお婆さんとともに、2階へと上がる階段を上り、彼女のいる扉の前に辿り着いた。

 私の皮膚に一気に鳥肌が立ち始め、奥歯が少しカタカタと音を立ち始める。
 1階はあんなにも温かったのに、2階はなんでこんなにも凍てつくほどに寒いのだろうか。

 彼女の自室の扉をノブを捻り、中へ入ると、彼女は寝息を立てて静かに眠っていた。
 私は思わず「お人形さんみたい……」と、彼女の美しさに見とれ、息をのみ立ち止まってしまった。

 黒い髪に白い肌をしたその姿は、いつかの絵本で見た白雪姫そのものであったのだ。

 私は恐る恐る彼女の眠るベッドへと近づき、そして彼女の手を握った。
 彼女はピクリとも動くことはなかったが、私はその肌に触れたことに安心をしてしまった。

 初めて握った彼女の手は、今にも折れそうなほどに華奢であった。私はそんな今にも崩れそうな彼女の手を、雪をつかむかのように優しく両手で包み込んだ。

 あぁ、彼女と繋がっている。
 私はそう想うと、声を出さずに涙を流した。

(つづく)
※後編はこちら

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静 霧一/小説
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