ソフトウェアからハードウェアへ IT技術25年周期説で占う未来
仮にも「生成AI時代」と名のつく書籍を出したこともあって、時代変化にいつもより敏感になっている。種々の生成AIサービスの登場によっていよいよAIが社会に浸透する時代が始まるのはもはや自明としても、それらが世界にどういう変動をもたらしうるのかを考えてみたい。
日本の「電卓戦争」から生まれたCPU
前回の#47「スペクタクル、東京、近代個人主義」で、東京大学の吉見俊哉名誉教授の歴史の25年周期説に準じて、主にITの進化とそれに連なるビジネス界の変化を見ておいた。かいつまんで説明しておこう。
ITの進化におけるメルクマールとなる重要な出来事は25年から27年の周期で発生している。具体的には初期のコンピュータ「ENIAC」が登場した1946年からちょうど25年後の1971年にマイクロプロセッサ(CPU)が開発され、その24年後、1995年にWindows95の発売でインターネットが普及、さらに27年経って2022年にはOpen AI GPT-3.5が公開され、いよいよ「生成AI時代」が始まった。付言しておけば、レイ・カーツワイルが予言したシンギュラリティを超えるのは2045年、GPT-3.5公開からは23年後となる。
前回は触れられなかったが、この周期において技術は象徴的なハードウェアの姿で時代を画していく。
ENIAC以降には、メインフレームといわれる大型のコンピュータシステムが企業や政府機関に導入された。ENIACなど最初期のコンピュータに用いられたのは真空管であったが、それらは数年後、徐々にトランジスタに置き換えられていく。
1971年、Intel社が開発した「Intel 4004」が、世界初の商用マイクロプロセッサとして登場する。複数の回路をチップに集積するという「4004」を端緒とするアイデアは、もともとは1969年に日本のビジコン社(当時は日本計算器販売会社)が、プリンタ付計算機の開発に伴い8種類のカスタムチップの設計を依頼したことに原点がある。
ビジコン社ではその数年前からプログラム内蔵方式の電卓の開発を進めていた。プログラム内蔵方式は、ソフトウェアによってハードウェアの機能に柔軟性がもたらされる。ゴードン・ムーアらが創業したIntel社の技術者は、プログラム内蔵方式の電卓のために、プログラムによってさまざまな用途に使えるチップを設計したのだ。これが世界初のマイクロプロセッサ(CPU)となる。
「電卓戦争」といわれた、この時期については『電子立国日本の自叙伝 完結編』(相田洋著/ NHK出版)に詳しい。この本は有名なNHK特集の書籍化で、番組の放映は1990年代前半だ。この時期、日本は半導体の分野で世界のトップにあり、まさに電子立国を体現していたのだが、いまや隔世の感が拭えない。
30年ぶりの時代変化、チャンス到来
マイクロプロセッサ(CPU)の登場がやがてメインフレームの時代を終焉させ、パーソナルコンピュータの時代の幕を開ける。1974年のAltair 8800を嚆矢として、コンピュータはいよいよ個人のものとなる。その後のApple Ⅱ、IBM PCが登場しコンピュータはすべての人のものになっていく。そして、IBM PCに搭載されたMicrosoft社のOSによって、ハードウェア優位からソフトウェア優位の時代がこのときに始まったともいえるだろう。
1995年のWindows95の登場をもってインターネットの時代が始まる。インターネットそのものは歴史を遡れば、米国国防総省の高等研究計画局(DARPA)が開発したARPANETに始まり、1970年代、通信プロトコルであるTCP/IPが開発され、1990年初めにワールドワイドウェブ(WWW)が発明されてハイパーリンクによって情報へのアクセスが格段に進化する。しかし、この段階ではまだインターネットは技術分野の話題でしかなく、いくら「すごいものができた。アメリカの図書館の本が家にいながらにして読める」などと技術に明るい人が熱弁しても、普通の人々にはへぇといった気のないリアクションしか得られなかった。
それが、1995年、Windows95によって爆発的にインターネットは民主化する。「ドットコム・バブル」と言われ、関連企業が一斉に創業し急速に成長しはじめる。このタイミングで創業したGoogle、Amazon、Facebookはいまやテックジャイアントだ。インフラと化している日本のインターネットサービスの多くもこのタイミングで出現している。
余談になるがこの時期にライブドアの前身になる会社を創業していたホリエモンこと堀江貴文氏は先日、自身のYouTube番組で「30年ぶりの時代変化で、チャンスの時代だ」と生成AI時代の始まりを論じていた。これは、1990年代後半と同じようなフラットな競争の時期がビジネス界に訪れていることを指している。次のGoogle、Amazon、Facebookがどこから登場してもおかしくないということだ。
わたし自身もよくChatGPTについてその普及と一般化について、インターネットの登場前後のビジネス環境の変化に比するものだと話をさせてもらっている。今ではメールを使わないでどんな仕事も難しいように、いずれChatGPT(あるいは生成AI)を使わないで仕事することが考えられなくなるはずだ。
時代の変化とは、常識が変わることであり、そうなるとなかなかそれ以前の日常を想像しなくなり、目の前の常識のなかから時代の変化を読み取ることが難しくなる。それぐらいのインパクトをもってChatGPTは出現したということだ。
ちょうど1年前にもここでChatGPT関連書籍を一気読みして紹介したが、現在ではChatGPT活用の実用書が多く目につくようになった。プロンプト集なども編まれ、仕事術といったタイトルも多い。
面白かったのは、多数の著作をもつ野口悠紀雄が書いた『ChatGPT「超」勉強法』(プレジデント社)だ。氏の代名詞的なメソッドである超勉強法の現代版である。「面白いことを勉強する」「全体から理解する」「8割までやる」という三原則は、ChatGPTの活用によって大きなシナジーを得ることができる。独学が隠れたブームとなっている現代に即した内容で、大学生に勧めたくなるような一冊だ。
ソフトウェアの時代に負けた日本
1995年以降のインターネットの時代が求めたのは情報端末の小型化だ。なぜならネットワークに接続さえできれば、どんな情報も持ち歩く必要がなくなるからだ。インターネットの時代はまたスマーフォンの時代でもある。
よく言われているように、iPhoneにはソニーのWALKMANの着想があり、docomoのi-modeの発想がヒントになっている。しかし、それをものにしたのはAppleであり、スティーブ・ジョブスだった。
i-mode誕生の裏側を語った名著に開発者の1人であった松永真理が書いた『iモード事件』(角川文庫)という本があった。著者は往時、寵児としてメディアにもよく登場していた。これだけの推進力をもって誕生したi-modeというサービスの凄さを思うだけでなく、テクノロジーを応用しサービス化する発想こそ時代をつくるのだと思わずにいられなくなる。それはジョブスとて同じことで、今の日本に欠けているのはこういう推進力のあるビジネスパーソンなのだとつくづく思わされる。エンジニアの技術力は今でも決して諸外国にひけをとるものではないからだ。
i-modeの大ヒットは、日本のIT産業の徒花となる。というのも、2000年代中盤にさしかかって、i-modeの牙城はもろくもiPhoneに崩されてしまったからだ。どうして、i-modeを生んだ日本からスマートフォンが生まれなかったのか。それは推進力のあるビジネスパーソンが現れなかったこと、あるいは現れても排除されたことが遠因だった。Winnyの金子勇氏のことをなぜか思い浮かべたりもする。
この時代、ついに国内のIT産業は衰退の道を歩んでいく。電子立国の核心だった半導体製造のシェアは韓国、台湾に奪われ、あれだけ百花繚乱だった携帯電話のメーカーも、スマートフォンのビジネスで後方に追いやられる。世界市場でのシェアなど望むべくもない状況になってしまった。
次の嵐は突然きた。2022年暮れ、OpenAIがGPT-3.5を一般公開する。
今では、これがひとつ時代の変わり目(メルクマール)になると考える人は少なくない。メルクマールごとの周期にその時代に見合うマシン、デバイスが登場し、それをもって人々にテクノロジーは真に浸透してきた。過去の75年の成り行きを参照すれば、そこに疑いの余地はない。
次の25〜30年のなかで進む生成AIの一般化、常識化、日常化を考えていくと、スマートフォンに代わるデバイスが必ず登場すると予測できる。
ポスト・スマートフォンを考える
25〜30年のなかで登場するデバイス。
それは果たしてどんなデバイスであろうか。そのデバイスをもってして生成AIはきっと老若男女のものとなるだろう。それがテクノロジーの結晶だなどと考えることもなく。
どういうデバイスの登場を予測できるかは、これまでの75年を担ってきたデバイス、すなわちメインフレーム、パーソナルコンピュータ、スマートフォンがわたしたちに対してどんな機能を提供してきたかがヒントになる。
ENIACがそもそも弾道計算のために開発されたことを想像すれば、メインフレームで人がやったことはさまざまな「計算」だ。
それが、汎用性のあるCPUの開発によって、人はパーソナルコンピュータというデバイスに「記憶」を求めた。それはまず単純にデータのストレージといったことだろう。仕事の書類も電話帳も写真アルバムも(個人の)パソコンのなかに納めるようになったことをもって「記憶」の代行といえることも指すのだが、それ以上に、コンピュータに計算以上のさまざまなタスクを実行させるプログラムの重要な機能が、メモリ(記憶装置)だという点を忘れてはならない。
半導体の開発史においても、メモリはこの時代の日本の産業においても最重要なものとなっていた。1970年代から1990年代にかけて日本の各企業はメモリチップの開発と製造において世界をリードしていたのだ。とくに1980年、DRAM市場において日本企業の独占といってもいい状況となり、これがアメリカとの間で貿易摩擦を生む。
1986年に「日米半導体協定」が締結され、日本市場の開放と技術移転が進められるようなり、それは2000年代の韓国のサムソン、SKハイニックスの台頭を許すきっかけといわれている。
デバイスが「記憶」の機能を提供するようになったパーソナルコンピュータ時代から、スマートフォンの時代に入り人々に提供されるようになったのは「検索」の機能だ。「検索エンジン」を通じてインターネット上の情報を検索することが欠かせない日常生活になっている。
わからないことを調べることを「ググる(Googleで検索する)」といわれるほど、それは日常化している。人々は、コンピュータから新しい情報を得る、知らないことを教えてもらうようになった。
ここまで、デバイスから「計算」「記憶」「検索」の機能を提供されてきたことを振り返ったが、重要なことはこれらの機能が時代ごと、デバイスごとに入れ替わったというわけではない点だ。それらは過去のデバイスがもっていた機能に追加されていく。パーソナルコンピュータでは計算もできるし記憶もできる、スマートフォンには計算や記憶の機能のうえに検索の機能が付加されているわけだ。あるいは記憶を検索するというような活動が日常になるという点でわたしたちの生活も変わる。検索はまた記憶され、記憶はそれを計算の対象にする。
マクルーハンに倣ってデバイスが身体の拡張であると言ってみれば、デバイスの機能は絡み合って生活のみならず人間そのものを変容する。テクノロジーとヒトは共振する。
それでは次の25年で登場を予測しうるデバイスの形態を考えてみよう。「計算」「記憶」「検索」の次にくるものから想像してみる。
それは現在のChatGPTをはじめとする生成AIの使い方に表れる。わたしたちは「検索」において、「◯◯とは?」といった文章を打ち込むことで機能を求める。
では、ChatGPTをはじめとする生成AIにおいてはどんな文章によって機能を求めるか。それは「◯◯して(ください)」ではないだろうか。依頼、指示の言葉だ。それは自分の代わりに何かをさせることである。
熟語にすれば、そのものずばり「生成」となる。
「計算」「記憶」「検索」から「生成」へ
次の25年に出てくるデバイスが提供する機能は「生成」だ。
生成AIはプログラムを生成する。プログラムとは計算のことと言っていい。生成AIは記憶を生成する。ありもしない事実さえ作りだしてしまう。生成AIは検索の対象となる情報も生成する。
そこまで考えると、生成の機能を果たすデバイスはスマートフォンのようなものではないのかもしれない。指示・依頼の窓口(UI)さえあれば、それ以前の機能を果たしてくれるだろう。なぜなら、新しい機能は過去のデバイスがもっていた機能に追加されていくのだから。
新しいデバイスのUIを通じて「計算」「記憶」「検索」の機能を提供させるだけでいい。そのうえで「生成」の機能を充実させていけばいいのだ。
それは小型デバイスでよいだろう。言語であれ、イメージであれ、音声であれ、入力できて指示ができ出力用のディスプレイがある。画面上にアプリが並ぶというようなUIは不要だ。
あとはたとえば計算なら、計算機アプリを立ち上げたりせず(そもそもアプリがない)マイクに向かって「3980円の3割引っていくら?」とか、「直径2.5センチの球の容積は?」と尋ねるだけだ。
たとえば記憶や検索なら、ブラウザアプリなどそもそもないのだから、マイクに向かって「1年前の今日の写真をみせて」とか、「お腹すいたけど、このへんで美味しいお店を3つピックアップして」と言えばいいだけだ。記憶の計算であれば、「先週の移動距離の総計は?」とか。
現在すでに「rabbit r1」というようなデバイスが登場している。スマートホンの半分ほどのサイズで、ディスプレイとジョグダイヤルとマイクを装備している。ネットの紹介記事(ZDNET「AIガジェット「rabbit r1」を使ってみた─よかった点と残念だった点」)にはカメラでラーメンを撮影して「カロリーを計算して」といった指示をしている。それに対し、rabbit r1は概算で回答する。ただし、現状ではまだ音声アシスタントの携帯版に近いレベルにしかないようではある。実際に開発するRabbit社のCEO、ジェシー・リューは現時点ではまだスマートフォンのタップ数を減らすことで時間を節約する程度のベネフィットしか明言していない。
とはいえ、次の25年のデバイスの皮切りはこのあたりを起点になると私は考えている。
同時にみておきたいのは、より軽量な「GPT-4o mini」がこの7月に展開されはじめたり、Microsoftから小型言語モデル (SLM:Small Language Model)を搭載したオープンソフト「Phi-3」が公開されたりしていることだ。小型言語モデル (SLM)は、大規模言語モデル(LLM)に対してパラメータ数が少なくして必要最小限で使いやすさを優先したものだ。
「Phi-3」のみならず、Googleの「Gemma」「Gemini 1.5 Flash」もでてきており、日本企業からもSLMのリリースが続いている。2024年3月、NTTが「tsuzumi」を提供したのにつづき、NECも2024年4月、「cotomi」をリリースした。
こうしたSLMが搭載されることでより利便性の高いデバイスが出てくるだろうし、その進化は数年で一気に伸びる可能性がある。
同時にウエラブルデバイスとの融合のようなことも想定できる。いっときのブームはやや冷めたようだが、スマートフォンの次にくるデバイスとしてはずっと古くから予測されている。生成AIを搭載したウエラブルデバイスは、映画『マイノリティ・リポート』や漫画『ドラゴンボール』などの作品で有名なスカウターよりももっと高機能なものになるかもしれない。
マイノリティ・リポートの原作はSF小説の大家フィリップ・K・ディックの「マイノリティ・リポート(旧題:少数報告)」である。この短編は『マイノリティ・リポート: ディック作品集』(浅倉久志、他訳/ハヤカワ文庫)に収録されている。
25年周期と景気循環は今後の好況を示している
25年周期で、これまでのITの進化史を主要なマシン、デバイスの変遷を追いながら振り返りつつ、現在から先の25年を「生成AI時代」と想定して考察してきた。
同時に、この25〜30年は日本にとって衰退の途であったと、世界のトップから落伍していく歴史であったともみている。それはちょうど半導体製造の世界シェアを失っていく歴史であり、主流となりうるITサービスを時代に即して社会に実装できなかった歴史でもある。
それはまたバブル崩壊後のデフレを言われつづけた30年ともほとんど一致している。
そういえば、堀江貴文氏はYouTube番組で生成AIの登場をふまえて「30年ぶりの時代変化」と述べた。今年の2月、日経平均株価はバブル期につけた史上最高値3万8957円44銭(1989年12月29日)を更新した。7月には4万2000円に突入している。実に34年ぶりのことだ。
バブル崩壊は日本産業の衰退以前のことではあるが、当然ながら深い関係がある。景気が低迷してデフレ期に入り、企業の設備投資は冷え込みイノベーションが発生しづらい時代が始まっていた。それでもなんとか2000年代初頭までは気を吐いていた。それも束の間、GDPはずるずると順位を下げ、気づけば中国に抜かれ、今やドイツが背後に迫っている状況だ。
IT進化の25年周期でいえば、このターンは日本にとって非常に厳しい時代だったといえる。奇しくもこの25年は、50年の景気循環の有名な説であるコンドラチェフの波でいっても収縮期の25年と一致している。
コンドラチェフの波が正しいなら次の25年(50年周期の半分)は拡張期に入ることになる。これが当たっているかはわからないが、急落があったとはいえ好調な株価、数十年ぶりのインフレ状態と景気回復の様子が伺えるようになってきている。
日本が電子立国を成し遂げた1970年からの20数年は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われるほどのプレゼンスを発揮し高成長が続いていた時代でもある。成長はとどまることはないと思っていたし、それはジャパンマネーが猛威をふるった経済のみならず、半導体をはじめとする先端技術分野でも世界に支配力を発揮した時代でもあった。
当時は、ソビエトの軍事力と日本の経済力はアメリカを悩ます大きな問題だった。アメリカはまさに安全保障を軍事と経済の両面で脅かされていたのだ。
経済戦争のなかでも、アメリカが当初から注意していたのが半導体である。半導体を軍事転用することで武器は先鋭化するし、半導体はあらゆるマシン、デバイスの機能を高度化、高速化し、国力を高める。そこまでアメリカにはわかっていた。だからこそ、日本への牽制が始まったわけだ。惜しむらくは、「産業の米」とまでいわれたはずの半導体の可能性、将来性を日本の政治家で真に理解する者がいなかったことだ。
ビジネスパーソンの多くも日本の経済成長は実力によるものと信じ切って、景気の循環など見向きもしなかったし、時代の深層を読んではいなかった。
石原慎太郎とともに盛田昭夫は『NOと言える日本: 新日米関係の方策』(光文社)を書き、経済力と技術力でアメリカを超えて世界ナンバーワンになれると断言していた。当時もっともグローバル感覚に優れたソニーの創業者にしてこのような認識だったのだ。
経済安保問題としての半導体
生成AI時代、改めて注目を浴びているのがGPUをはじめとする半導体である。現在の株価を牽引する大要因のひとつはNVIDIAといった関連企業の株価の急騰にある。投資家のみならず、一般の人たちからも半導体に熱い視線が集まりつつある。それは、「週刊 ダイヤモンド」や「週刊 東洋経済」といったビジネス誌において、今年に入ってすでにそれぞれ2回、半導体の特集が組まれたことでもわかる。
「週刊 ダイヤモンド」の8/24号は「半導体頂上決戦 エヌビディアVSトヨタ」という特集タイトル、「週刊 東洋経済」の8/10-17合併号のそれは「エヌビディアの猛威 半導体覇権」となっている。話題の中心にはNVIDIAがいる。
ほかにもこの春あたりから関連のビジネス書が刊行されているのも目につく。そのうち何冊かを紹介していこうと思う。
本国では生成AI以前に刊行されていたクリス・ミラーの『半導体戦争 世界の最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』(千葉敏生訳/ダイヤモンド社)は、邦訳がちょうどGPT-3.5ショックのさなかに発売されたA5版550ページの大部である。
トランジスタ誕生の黎明期から、半導体産業の基軸をつくったアメリカの企業の成り立ち、トランジスタの商用を実現した物理学者ウィリアム・ショックレーの発想や、真空管からトランジスタ、ゲルマニウムからシリコンといった素材の変遷を追う。
そうしてやがて日本企業が台頭し、敗退を余儀なくされたアメリカ企業は政治の力を使って日本を締め上げる。その間隙をぬって台湾、韓国の企業が成長するなか、Intelの復活によってアメリカ企業も息を吹き返す。そして、ファブレス、ファウンドリに分かれた産業構造、前工程と後工程という2つの開発工程のなかで複雑にからむ素材、製造機械、紫外線による露光といった特殊技法、設計ソフト開発など、それぞれに激しい競争と勝ち残ったメインプレイヤーがいる状況だ。
クリス・ミラーの本は生成AI登場以前のこともあり、NVIDIAよりむしろ製造を専門におこなう台湾のTSMC(台湾積体電路製造股份有限公司)に注目する。数社による高度な製造技術の寡占が台湾海峡を挟んで地政学的にアメリカの安全保障にとって重要な問題となるからだ。
ミラーがいうように半導体の性能がそのまま武器の性能を左右する。それは武器の「知能化」といわれる。しかも、半導体はそのほかの産業の盛衰も握っている。半導体は戦略物資そのものなのだ。
半導体のサプライチェーンを維持することは安危に関わる問題なのだ。1980年代、安全保障を賭けて日本の半導体産業を切り崩したように、アメリカは今や中国企業を敵視している。槍玉にあがるのは華為技術(ファーウェイ)であり、中興通訊(ZTE)である。
半導体をめぐる国家の攻防は、日米から米中に移行する歴史を歩みつつ、韓国、台湾、シンガポールという重要なプレイヤーをめぐり目まぐるしく様相を変えている。
次の25年、日本の半導体産業の復権がありうるとすれば、政治力を問われる経済安全保障の問題として明確に論点にすることからしか始まらないだろう。
中国が行く道はかつて通った道か
クリス・ミラーの『半導体戦争』で興味深く紹介されているのが、中国のベンチャーキャピタルであるシノベーション・ベンチャーズの創業者・李開復(カイフー・リー)の『AI世界秩序 米中が支配する「雇用なき未来」』(上野元美訳/日本経済新聞出版)だ。
著者の李は台湾で生まれアメリカにわたり音声認識の研究者となり、AppleのAI音声認識の開発者を務めた。中国にわたり、Googleの中国法人の代表を経てシノベーション・ベンチャーズを起こした人物だ。
タイトルにあるようにAIの進化によって雇用がどう変わるかを論点のひとつとしているが、仕事が奪われる式の議論ではない。むしろハラリのホモ・ユースレスの議論を一蹴している点など、同じ東洋人としてシンパシーを覚える部分もある。
しかし、それ以上に印象に残るのは中国の若者たちの姿だ。高学歴の天才エンジニアたちが無尽蔵の起業家精神を発揮してビジネスを推進していく様子には空恐ろしさを感じる。文化革命以後に生まれた彼らの野心、野望は、日本はもちろんアメリカでもなかなか見られるものではないかもしれない。事実、著者の李はアメリカのベンチャー企業の若者たちのモーレツぶりなど、中国人のそれとは比較にならないという。
そのうえで、競合からアイデアや技術をパクるだけでなく、徹底的に攻撃してそのビジネスを破壊してしまうバイタリティも中国にしかみられないものとする。いくつかエピソードがあがるのだが、すさまじいばかりである。
中国政府もその後押しを惜しまない。「大衆による起業、万人によるイノベーション」をスローガンにして、若者たちを支援する。そのうえ、他国にはない文化や風土もそれに味方する。
良くも悪くも、中国の政治文化は倫理問題に対して民意を汲みとる必要がない。成長や進化のためなら多少の犠牲を大問題とはしないからだ。
「IT批評」でもAI規制について、世界での対応の違いをみてきた。ナチスの反省から監視への強い懸念に基づいてAIを規制するヨーロッパ、公民権運動の反省から人種問題への敏感なリテラシーを重視してAIを規制するアメリカに対し、中国のそれは数回前のここの記事でとりあげたテクノ・リバタリアンの倫理観にもっとも近い。
つまり、今日の多少の犠牲がありうるのは、さらに未来のユートピア実現のためだというロジックはそのまま中国の政治文化なのである。おそらく彼らはトロッコ問題に悩むことはない。人の命も、数のロジックで整理できるからだ。
わたしはしかし『AI世界秩序』における中国の台頭を、中国人自身の能力と努力によるものとする李の考え方は、そのまま1980年代、『NOと言える日本』に端的に現れた日本の財界人の驕慢と同じように見えてしまうのだが──。
技術をめぐる経済戦争
次の25年を占うのは、AIの進化に伴い登場するであろう、まだ見ぬデバイスであり、景気循環からみる経済動向であり、そのうえで国際政治を巻き込む戦略物資・半導体をめぐる地政学的な状況の推移になるだろう。
と、ここまで書いたところで「先端半導体の製造に欠かせない『EUVリソグラフィー(極端紫外線露光装置)』の大幅な省エネやコスト削減を図る技術を、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の新竹積教授(物理工学)が開発した」(Science Portal)というニュースが入った。
2ナノというとんでもなく微細な半導体の回路を実現するには、このEUVの技術が必須といわれていた。そして、EUVによる露光技術についてはオランダ装置メーカーASMLが1社でほぼ独占する状態にあった。これが、沖縄科学技術大学院大学によって開発できたとなると、かなり日本のプレゼンスは増すだろう。これも次の25年を考えるうえで重要なニュースかもしれない。
開発元が沖縄の大学ということで、台湾海峡の地政学的な重要性が増したともいえるのだろう、などとわたしは思っている。
長くなってきてしまった。このテーマは来月に続けることにする。