こころのおそうじ⑤
何度もリフレインする
フランス語教室での出来事。
文字にしてみるとたくさんの気づきがある。
書き終えて、
そのままぐっすり眠って
起きて、
お腹にストンと落ちたこと。
それは、
私は自分の歌い手としての人生に
まだ納得していないということ。
もう、これ以上歌う必要ない。
やっと歌う人生を終えられた。
歌なんて、
やっと、どうでもよくなった。
最後にそう思ったのは
去年の12月。
そこから、
もう歌に対して
こだわりも熱もなくなった自分と
穏やかに過ごしてきた。
けれど、その途中に、
時たま、
フランス語教室での事件のように
もう消えたと思っていた火が
変な風に炎を上げて
火傷するようなことが起きる。
本当にどうでもよければ、
「かしゅ~~??」(笑)(笑)
なんて、茶化して言われても、
「違います。ヴォイストレーナーです。」
と普通に言うかもしれない。
あるいは、
「そうですよ。それがどうかしましたか?
だって、歌の先生はみんな歌手ですよ。
ピアノの先生はピアニストで、
バイオリンの先生はバイオリニストなのと同じです。」
と冷静に言うかもしれない。
私はそのどちらでもなくて、
まず視界が真っ暗になり、言葉を失い、固まって、
「カチーン」ときたのを押し殺した。
「カチーン」ときたのなら、
「失礼ですよ。私は20年歌ってきた歌い手です。」
と言うこともできたし、
言葉が出なかったとしても、
「具合が悪いので失礼します。」と言って、
その場を立ち去ることともできた。
なのに私は、
重たくなった心のまま
怒ることもなく
言葉少なに
表情も変えず
ちょっと変な空気になった教室に
そのまま居続けてしまった。
フランス人教師は
もちろん謝らなかった。
最後に、
”Au revoir. ” 「さようなら」
を言って、
帰りのバスに乗ったが、
突然とんでもない弾が
飛んできた衝撃を
何でもないことのように
思わせることに必死だった。
*
それでも
私はそのフランス語学校に入学して
3ヶ月のコースを受けた。
体験授業の先生が
私のクラスの担当ではなかったことと、
フランス語を勉強したい気持ちの大きさが
その道を選ばせた。
その学校に通ったことには
後悔はない。
自分一人で勉強するには
モチベーションが下がっていた時期だったし、
とびきり
フランス語能力が
上がったわけではないけれど、
毎週、生のフランス人に会って、
生のフランス語が聞けることが、
私の喜びだった。
*
でも、
今の私が同じ状況に置かれたら、
このような選択をしないだろう。
今また、
「かしゅ~~??」(笑)(笑)
なんて、おどけて言われたとしたら、
「それがどうかしましたか?」(怒)
と言うかもしれない。
前の失敗があるから
不必要に怒りをぶちまけてしまいそうなのだ。
もし、そこまで怒らなかったとしても、
まだ冷静に、
「違います。ヴォイストレーナーです。」と言ったり、
「歌の先生が歌手であることは当たり前だ」ということを
毅然と説明するところまでは来ていない気がする。
黙って教室を出て、
受付の人に苦情を言うかもしれない。(笑)
その後、
その学校に3ヶ月も通うことはないだろう。
*
とにかく
この件のことは、
フランス人教師の
思慮に欠けた、
失礼でないとはとても言えない言動と、
私の中に実はまだ潜んでいる
歌手としてまだやり切れていないと
ひそかにくすぶらせた炎が、
出会い頭に
不慮の事故を起こしてしまった結果と
言えるだろう。
*
何度も封じ込めようとしている
歌う魂が、
まだここにあると
気づかせるために
時々、
御使いが派遣されてくるのかもしれない。
*
今すぐでなくてもいい。
歌を大事にする心は
消さなくてもいい。
いつかまた
その時が来たら、
歌を聴いていただくような場所で
歌を披露させていただくようなことが
あってもいい。
いつかなんて、あまい!
いつかなんて、こない!
そんなふうに
言わなくたっていい。
その時が来なかったら
来なかったで仕方ない。
でも
その日が来たっていい。
その日を
ほのかに夢見たっていい。
そこに向けて
厳しい練習や特訓は
もうできないけれど、
季節が巡って
また春が来るように、
その時が来るといいな。
そう願う自分を
そのまま
抱きしめようと思う。