Dec 18th, 2024 進路のコト
ここ最近、入試の話題がTLにちらほら出ている。タイプロ(観よう観ようと思ってネトフリに入れていない)の影響もあるだろうし、時期的なものもあるだろうなと思う。
わたしは指定校推薦で今の大学にいるわけだけれど、それはもう大変だった。(試験とつくものはみんな大変だと思う。)指定校推薦といえば一般には確約権を指すようだけれど、わたしの志望していた学科はそうではなく、挑戦できる回数が1回増えるだけと等しかった。そんな状況だったため、高3になっても微塵も推薦を視野に入れず、一般入試に向かって勉強していた。
入りたい学科もやりたいことも明確だった。両親から出された種々の条件を考慮したら、第一志望校はふたつに絞られた。それを方々で話していた。進むか迷っていた時期もあったため、逃げ道を退路を塞ぐために、周囲の人はみんな知っている状況に自分自身を追い込まないと逃げてしまいそうだった。自分の意思だけで退路を塞げるほど強くないと、自分が一番よくわかっていた。
文字通り方々に話していたら急にそのうちの1校の推薦の話をいただいたので、そこに向かって慌ただしく準備することになった。高校内での倍率は4〜5倍。まずは学内選考を突破しないことにはどうにもならない。例年の学内選考の倍率は知っていたから、とりあえずその時の最大限の力で志望動機書を書いた。後で選考を担当した先生に聞いたら「あんなにはっきりと"この大学で"やりたいことがあった人は他にいなかったから通した」と言われて、やりたいことを言葉にしていて良かったと心底思ったし、SixTONESの美学への執着の一端はここかもなとも思う。
バタバタと推薦入試の準備をした。毎年メンタルが底に落ちる時期と入試時期が被っていておしまいだと思った。とにかく時間が無かったから筆記は一般入試の対策のまま突っ込んだ。面接もあった。大切なひとたちからの手紙や好きなひとの写真をブレザーの内ポケットに入れて、貯金して買った好きなひととお揃いの時計をして、必死に言葉を繰り出した。経験を、後悔を、挫折を、泣かずに話せる自信はなかったけれど、緊張が何にも勝ってしまって涙はまったく出なかった。手応えがまったくないから最後の方はもう諦めていて、とにかくその大学でやりたいことを話していた。終わった後の帰り道で一番最初に聴いた曲はLife in colorで、一音目のジェシーさんの声が聞こえた瞬間にわあわあ泣いた。落ちたと確信していたけれど、受かっていた。驚くくらいあっけなく大学入試が終わった。
さて、入試からおおよそ4年経った。あと2年は学生をやる。受験のときに話していたことからさほど大きくはぶれず、相変わらずやりたいことに向かって生きられている。勉強したことで解像度が上がり、やりたいことの中で何により惹かれるのかもわかってきた。素敵な出会いにもたくさん恵まれて、想像もしなかった景色も見られている。夢を叶えるという点でみれば、この上なくしあわせで恵まれている。
先月、ここ数ヶ月のご褒美と称して、大好きなドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』のロケ地の喫茶店を訪れた。ナポリタンと、劇中に登場したプリンロイヤルを頼んだ。「泣きながらごはん食べたことがある人は、生きていけます」とはこれまた大好きなドラマ『カルテット』の中の言葉だけれど、だとしたらわたしは生きていけるらしい。
もうそろそろ就職の文字がちらついている。このままいけば幼い頃からの夢をひとつ叶えられそうなことがいまだに信じられない。好きなひとたちの紡ぐ言葉を支えに立って、鮮やかに夢を叶えていく姿に希望を見ている。どん底に落ちそうなとき、好きなひとたちの歩みにこれでもかと縋っている。そうやってどうにか人生をやれているから、好きなひとたち大切なひとたちの人生もしあわせなら良いなと願っている。
「どうにか生きていきましょう」と言葉にしてくれた好きなひとへ。あの言葉のおかげで越えられた夜があります。ありがとう。