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家族介護、エネルギーの停滞
介護士をやるきっかけはそんなに大したもんじゃない。
2017年、東京を引き払ったぼくは岐阜の山奥にすんでいた。
当時だんだん体が弱っていた義父のことを考えたときにたまたま10年位前に取った介護資格のことをおもいだした。
当時から人手不足は言われていたし、どんなものかっていう興味本位で電話したのが訪問介護事業所。
面接にいったその日に新規契約した利用者さんが、たまたま中学の同級生の親族だったこともあり、とんとん拍子に話がまとまった。
それから3年超、介護だけでなく、相互扶助の社会を夢見つつ仕事をしている。
今日の夕方、ラジオアプリでつながった子が、家族介護の大変さを伝えてきた。
血を分けた家族と言えど、愛情は無尽蔵に湧くものではない。
認知症になり、性格が変わってしまった(と、目には映る)家族を相手にするのであればなおさら。
てれながらでも、ありがとうって伝えること、そのありがとうってことばを受け取りきること。
きれいな器も、よごれた水をいれてると、中は腐って悪臭を放つ。
器だって、手入れせず汚いままだと、きれいな花を挿したいとは思わない。
自宅介護でがんばることも大事だけど、疲れたりつらかったら他人に任せてもいいんだよ。
じゅうぶん頑張ってるんだから、
つかれた、とか、つらいよもうできないよって思ったら、声をあげてほしい。
そのためにケアマネージャーという職があるんだし、家族の負担を減らすためにも施設があって介護士がいるんだよ。
色んな介護の形があるけれど、その家族その人に合った介護を伝えていきたい。
介護士としてのぼくは、そんな役割かな。