2月19日は、あさま山荘事件&雨水(うすい:2024年)&プロレスの日&地動説を唱えたコペルニクス生誕
【あさま山荘事件】
1972(昭和47)年2月19日、連合赤軍メンバー5名が、長野県・浅間山荘の管理人の妻1名を人質に取って立てこもる「あさま山荘事件」が発生しました。
《かんたんな経緯》
当時、新左翼組織と謳われていた連合赤軍派、赤軍派の両派は安保共闘の激化を受け、銀行強盗、襲撃事件 など、特異かつ凶暴で凶悪な犯行を繰り返しながら、逃走を続けていました。
警察は総力を挙げて、両派メンバーを追い詰めていき、次々と逮捕。
しかし、逃げ延びていた連合赤軍メンバーの5人は、偶然にも行き着いた長野県北佐久郡軽井沢町に建てられた、株式会社河合楽器製作所が保有する保養所浅間山荘に逃げ込み、居合わせた山荘管理人の妻を人質に取って、立てこもりを企図。
すぐに警察が周囲を包囲するも、警察側の生け捕り方針の錯綜、犯人側の主張や要求がなかったこと、立てこもり側に有利な地形など、人質救出が難航する状況が重なってしまうことに。
当時、多くのメディアで連日報道される中、立てこもり10日目となる2月28日に、警察部隊が強行突入をし、人質となっていた女性は無事救出され、犯人5名全員逮捕に至りました。
事件は全国的に衝撃を与え、以後 左翼派の一掃、公安警察の強化、特殊部隊の設置が、以前にも増して進みました。
《余談》
平均気温がマイナスとなる寒さの中、包囲を続けていた警察部隊への配慮と善意で、当時、発売されたばかりのカップヌードルが日清食品から支給されました。
寒い中で湯気を発しながら、カップヌードルを啜る警察部隊の姿がテレビに映り込むと、警察部隊が食べているあの美味しそうな食べ物は何だとの問い合わせが相次ぎ、カップヌードルの認知度が一気に全国区になったとも言われています。
【雨水(2024年)】
雨水(うすい)は、季節の変わり目を表す二十四節気のひとつで、定期法にて、太陽黄経が330度のときと定義されていて、2024(令和6)年は2月19日に該当します。
中央標準時:2月19日:13時13分。
2月中旬以降は雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降るという意味合いから、その名が付いています。
【プロレスの日】
1954(昭和29)年2月19日、日本のプロレスで初の本格的な国際試合となった、力道山・木村組vsシャープ兄弟の一戦が、東京・蔵前国技館で開催されたことにちなんで、記念日が設けられています。
空手チョップが代名詞となっていた力士出身の力道山氏と、柔道出身の木村政彦氏の初タッグなど、プロレス熱が盛んだった当時、日本テレビとNHKが同時中継した他、東京・新橋駅西口広場の街頭テレビには、約2万人の観衆が集まるほどの熱狂ぶりでした。
《余談》
この時対戦したシャープ兄弟の兄、ベン・シャープ氏は力道山への敬意から、自身の息子の名前をリキ・シャープと命名するなど、その影響力は日本国内だけに留まらない人気がありました。
【地動説を唱えたコペルニクス生誕】
カトリック司祭、天文学者、法学者、占星術師、経済学者、医師など多くの分野で活躍したニコラウス・コペルニクス氏が、1473(文明5)年2月19日にポーランドで誕生しました。
コペルニクス氏は長年の研究から、自身の著書「天体の回転について」の中で、当時主流とされたキリスト教義の「天動説」とは全く異なる「地動説」を発表。
コペルニクス自身が敬虔なカトリック司祭であったにも関わらず、教義とは異なる考えを公表したことは、当時大きな襲撃とともに、激しい糾弾対象となり、発表当時は全く受け入れられませんでした。
《天動説と地動説》
天動説:地球は動かず、太陽を含めた他の天体が地球を中心に回っている、との考え。別称:地球中心説。
地動説:太陽の周りを、地球を含めた天体が周回している、との考え。別称:太陽中心説。
今日では科学での証明などもあり、コペルニクス氏の説いた地動説が一般的となっていますが、「地動説」が実証されたのは、同氏の没後200年も後になってからのことでした。
糾弾や弾圧など激しい逆境の中にあっても、自身の信念を最後まで貫いたコペルニクスを讃えて、哲学者イマヌエル・カント氏は、常識を覆す発想や展開を意味する言葉を、コペルニクス的転回(原文:Kopernikanische Wende)と表現し、今日でも世界共通語として使われています。
そして、この日は、天地の日として記念日のひとつに制定されています。
(以上、ネット検索より)