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1月30日は、赤穂事件:吉良邸へ討ち入り&赤穂事件の受け取り方3分間電話の日&殉教者の日&タビナカの日

【赤穂事件:吉良邸へ討ち入り】

1703年1月30日、大石内蔵助良雄(よしたか)ら、旧赤穂藩士47人が吉良上野介義央(よしひさ)邸に討ち入りし、吉良を討った「赤穂事件」が起こりました。

旧暦:元禄15年12月14日。

《ごく簡単な経緯》
それまでも、ちょくちょく吉良上野介義央からモラハラまがいのことをされていたと目されている赤穂藩主の浅野内匠頭長矩(ながのり)が、鬱憤等も相まり、高家旗本の吉良上野介義央を江戸城の松之大廊下で斬りつけてしまう 事件が発生。

折り悪く、その日、江戸城内では幕府が朝廷の使者を接待している真っ最中で、場所柄もわきまえずに刀を抜いた浅野に対し、時の江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は大激怒。

浅野側:即日藩主切腹、改易、吉良側:お咎めなしとして、浅野側だけに重い処分が下されました。

改易:身分や家禄など没収されること≒お取り潰し。

この判断に対し、浅野家家臣達は反発。

筆頭家老だった大石内蔵助を中心に、主君の敵である吉良を討ち取るべく、吉良邸に押し入り、吉良上野介を討ちとった 一連の流れが赤穂事件と呼ばれています。


【赤穂事件の受け取り方】

ある説では、元よりあまり良い評判のなかった吉良上野介に対して、浅野内匠頭はよく耐えていた。

赤穂浪士たちは、主君・浅野内匠頭の死に自らの死をもって忠義を尽くしたとされ、当時の、目上を敬い、主君に忠義を尽くすといった、儒学の朱子学思想が強かった時勢もあり、割と赤穂浪士や浅野内匠頭に対しては、好意的な意見が多めでした。

歌舞伎などでも、吉良≒敵、赤穂≒善の構図で描かれていたことから、赤穂浪士の行動を支持する声が加速されていきました。

今日でも、時代劇の「忠臣蔵」などでは、赤穂浪士をメインに据えた作品が数多く見られます。

が、新たに発見されている数々の史料では、浅野内匠頭は癇癪持ちで、大石たち家臣も手を焼く時があった(栗崎道有記録)などとされる文書が発見されるなど、その見方は変わりつつあります。

加えて、2010年代以降の教育現場界隈では、会社や上司などへの忠義を意識させ、個を疎かにしてしまうとの懸念から、忠臣蔵はあまり好まれる傾向にはないそうです。

《余談》
赤穂事件が起こった旧暦の日付けの12月14日は、「忠臣蔵の日」として、記念日のひとつに制定されています。


【3分間電話の日】

1970(昭和45)年1月30日、公衆電話の市内通話の料金が、3分/10円に設定されたことにちなんで、記念日が設けられています。

それまでは、料金:1通話10円、時間:無制限でした。

電話機自体が各家庭に1台ではなく、商店や集会所に設置され、その地域で共有して使われていた時代、市外へ通話可能となったのも、1968(昭和43)年くらいからのことだったため、物珍しさから長時間電話が後を絶たなかったそうです。

そのため、急を要する時など、必要な時に電話が使えないとのクレームが頻発したため、時間制限が設けられました。


【殉教者の日:インド】

1948(昭和23)年1月30日に、マハトマ・ガンディー氏が暗殺されたことを受けて、追悼のための記念日として設けられています。


【タビナカの日】

い(1)ざ(3)地球(≒◯丸≒0)を楽しもうとの語呂合わせと、連想にちなんで、地球はもっと楽しくなるを掲げたツアー予約サイト、タビナカを運営する株式会社タビナカが、1月30日に記念日を制定しています。


(以上、ネット検索より)

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