7月6日は、小暑(2024年)&黒い霧事件(下山事件)&零戦の日&サラダ記念日&ピアノの日&狂犬病ワクチンの初接種
【小暑(2024年)】
小暑(しょうしょ)は、季節の変わり目を表す二十四節気のひとつで、定期法にて、太陽黄経が105度のときと定義されていて、2024(令和6)年は7月6日に該当します。
中央標準時:7月6日:23時20分
この時期は梅雨明けが近づき、暑さが本格化していく変わり目という意味合いから、その名が付いています。
が、特に 北陸地方、近畿地方、四国地方では、小暑に該当する日でも、梅雨入り自体が確認できないこともあり、梅雨入りなしの年もあります。
また、諸説あるものの、通例的には、小暑〜立秋までの期間が暑中で、この期間内にやり取りするものが「暑中見舞い」です。
【黒い霧事件(下山事件)】
1949(昭和24)年7月5日の午前、国鉄(現:JR)総裁だった下山定則氏が、東京日本橋のデパートから突如姿を消してしまう事件が発生。
当時、国鉄はGHQの配下で、大量の人員整理を半ば強引に行い、労使組と激しく対立していた 背景がありました。
そんな中で、人員削減を断行した渦中の人物が姿を消してしまったことに、日本中が騒然となりました。
下山氏が突然失踪した翌日の7月6日の未明、常磐線・綾瀬駅近くの線路上で轢死体となった下山総裁の姿が発見されることに。
新聞でも一面で大きく取り上げられ、原因究明が急がれましたが、他殺か自殺かも分からず、結局謎に包まれたまま、(半ば強引に)事件は幕引きされました。
この事件は、アメリカ占領下での黒い霧とされ、後に立て続けに国鉄が関連した、三鷹事件、無人列車暴走事件、松川事件、列車往来妨害事件と合わせて、「国鉄三大ミステリー事件」とも呼ばれています。
【零戦の日】
1939(昭和14)年7月6日に、零式艦上戦闘機の試作機試験飛行が始ったことにちなんで、記念日が設けられています。
零式艦上戦闘機=通称表記:零戦、ゼロ戦
航空技術師の堀越二郎氏が設計した、日本最後の艦上戦闘機である零戦は、時速:533km/h、航続距離:3,500km(初号機)の機能を有しつつ、軽量且つ小型化に成功。
当時の世界最高水準と常識を上回る高性能の零戦の登場は、世界に驚きと共に、大きな衝撃を与えました。
以後、何度も改造が加えられ、第2次大戦中には、約1万機以上もの機体が生産され、日本を代表する戦闘機として語り継がれています。
【サラダ記念日】
歌人で作家の俵万智氏が、1987(昭和62)年に河出書房新社から出版した「サラダ記念日」の中に、『「この味がいいね」と君が言ったから、七月六日はサラダ記念日』という一節があることにちなんで、実際に日本の記念日として、7月6日に制定されています。
この歌集がきっかけで短歌ブームがおき、加えて記念日という言葉が一般に定着するきっかけになったとされています。
また、歌集のタイトルにちなんで、例年7月6日前後には、大手スーパーやチェーン店で、サラダやドレッシングの特売が実施されている地域や店舗もあります。
【ピアノの日】
後に、長崎郊外に「鳴滝塾」を設け、日本に蘭学や西洋医学を伝えたシーボルト氏が、文政6年7月6日(新暦:1823年8月11日)に、日本へ来日した際にピアノを持ち込んだとの記録があり、これが、ピアノが日本に持ち込まれたことが分かる最古の記録であることにちなんで、記念日が設けられています。
この時持ち込まれたピアノは、山口県萩市にある「熊谷美術館」に展示されていて、今日でも拝見することができます。
【狂犬病ワクチンの初接種】
1885(明治18)年7月6日、フランスの細菌学者ルイ・パスツール博士が開発した「狂犬病ワクチン」が、初めて少年に接種されました。
ワクチンは感染症の予防に用いる医薬品を指し、病原体から作られた弱い抗原を敢えて体内に投与することで、病原体に対する免疫を作る効果があります。
パスツール博士は、ワクチンによる予防接種という方法を開発。
狂犬病、炭疽菌、ニワトリコレラなど、生涯で多くのワクチンを発明しています。
その功績から、ドイツのロベルト・コッホ博士とともに、近代細菌学の開祖と称されています。
そして、この日は、ワクチンの日として、記念日に制定されています。
(以上、ネット検索より)