思い出は食べ物に宿るのだ
当たり前だった日々が全然当たり前じゃなかったことに気付かされた2024年も、あと数週間で終わる。父を見送り、母もグループホームに入居し、親という存在の大きさと有り難さに改めて気付かされた。
年末年始は繁忙期。毎年、気づいたら年が明けていたという感じで慌ただしい日々が続く。「星からの贈り物」の執筆などでデスクワークが続くと、三度の食事の支度も気分転換になるとはいえ、ふと「父のすき焼きが食べたいな」とか「母のお好み焼きが食べたいな」なんて思ってしまう。もう叶わない願いだからこそ、無性に食べたくなってしまう。そんなこんなで、今夜はすき焼きにしたのだけど、やっぱり父の作る、あの砂糖と醤油と日本酒をドバドバ入れた濃厚な、そして、ちょっと下品な感じのすき焼きが懐かしい。あの濃い味付けが父の寿命を縮めた気がしなくもないが、今はあの味が恋しい。
母はお好み焼きをひっくり返すのがとても上手かった。関西人あるあるのお好み焼きをおかずにご飯を食べるという習慣はなかったけれど、なぜかお好み焼きには、いつも「さつま芋と玉ねぎのお味噌汁」がセットになって登場していた。そのせいか、今もお好み焼きの隣にお味噌汁がないとちょっとさみしい。
両親との思い出の大方が食べ物にまつわるものなのは何だかいいなと思う。もちろん喧嘩したり、いろいろ大変なことも山ほどあったんだけれど。食いしん坊の遺伝子はしっかり私にも受け継がれている。
写真は私が実家に泊まったときに父が作ってくれたモーニング。野菜のピクルスも玉子サラダも父の手作り。母の認知症が進んでからは父が包丁を握ることも多かった。
今度、実家に戻ったら父のマイ包丁を研いでみよう。あの包丁があれば、この先もずっと美味しいものが食べられそうな気がする。
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年末恒例の「星からの贈り物2025」の受付もスタートしました。チャートを拝見し、ご依頼いただいた方の新しい一年をイメージしながら言葉を紡ぐ時間を私自身も毎年楽しみにしています。ご依頼を心よりお待ちしております。