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DV離婚から10年過ぎました

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今の暮らし、心境を綴ってみます

あれから10年以上経ちました
あの頃の私は40代
今、出て行かなければ
出て行く力さえ奪われてしまう
今しかない
生き抜くために
バレたら殺されると怯えながら
脱出準備を進め脱出しました

離婚前後の5年間で
10~20年分の神経を擦り減らしたように感じます
苦しかった

暴力に支配され
死を選んでしまう状態がわかりました

脱出してから時間をかけて
支配から解放されてきました

今も、同じ市内に住んでます
恐ろしくて体を震わせて
誰にも顔を見られたくない
誰にも会いたくない
人の集まる所に行きたくない
買い物も帽子を被りうつむいてた
田舎町の展覧会とか記名するような場所にも行けない
どこにも名前を書きたくない
バイクに乗ってたから
バイクを見るだけで怯えてたけど
もう、何も感じない
怯えもなくなりました

子どもの生活
安い賃貸(公営住宅)…これを優先したので
思い切って遠方に出ていくという選択はできませんでした
でも、そのおかげで
今まで築いてきた人間関係に救われています
新しい出会いもありました

どこかで見ているだろう
住まいの近くにもいるだろうと思うけど
そういう人
何かあれば警察に行きます

もう10年以上過ぎたら他人
子どもとは親子ですが
私は他人
警察にも届け
調停離婚もして記録は残してきた
私は守られてる
私は自分の人生を生きればいい

脱出を決意するまで
時間がかかり過ぎました
経済面の心配が大きかった
否定され続けて失ってた自信
暴力の支配で弱ってた気力

精神病院のカウンセリングで心を治療していくと
怒りと
自分のしあわせを求める気持ちが湧き上がり
脱出へ向かっていきました

脱出後3年間は辛かったです
思い出しては泣いてました
家計もギリギリでしたが
赤字にはならなかった
結婚してた時は
ほぼ赤字だったから
お金が足りてることに幸せを感じました

男性と話すだけで
レジに並んだ人が男性だっただけで
拷問が始まるような生活で
男性と話す、近づくだけで
どこかで見てるんじゃないかと思って
男性との距離にも神経を使ってた
今は、自由なので会話も楽しんでます

今も年に一度くらい
思い出してしまって辛くなる時があります
でも、そういう時は
自分の状況を俯瞰してみます
季節の変わり目だから不安定なのかな
疲れてるのかな
今度の休みどこか行こう
明日は美味しい物食べよう とか
勝手にこぼれる涙を流しながら
よく頑張ったねと讃えて

辛くなる時と合わせて
優しかった時の元夫を思い出してしまう
そんな時は
あんた、あんだけのことされて何甘いこと考えてんの
それは幻
ほんまの、アイツ知ってるやろ
考えるな! 自分に突っ込みです

脱出して良かった
離婚してしあわせです

不安な状況にいる方も多いと思います
けれど、時代も進み制度も整ってきて
私の離婚時は身体的暴力しか暴力と認められてなかったのが
今は、言葉の暴力、精神的暴力も暴力と認められました
市によっては養育費も市が保障してくれます

相談機関にも行きましょう
相談も今はいろんな方法があります
すぐに行動できなくても
とりあえず、しんどさ、辛さを打ち明けてください
ひとりで抱え込まないでください

精神病院にも相談に行ってみてください
心を守ってください

相談員も精神科医も合わないと思ったら
変えればいいんです

子どもにとっても
毒になるような父親といるより
心ある温かい人達と関わって成長していく方がしあわせです

どうか、あきらめないで

苦しい状況から逃げるのに
相手の許可は必要ありません
話し合う必要もありません
そんな話ができる相手なら円満な暮らしができてます

私の場合は、元夫が不安定な自営だったので
お金はあてにしない
自分で生きていく
そう覚悟して離婚しました
自分で生きてる爽快さを感じます
そういう性分なんだと思います

人はしあわせになるために生まれてくるのです
泣き暮らすために生きてるんじゃない

人生をあきらめないで
しあわせになりましょう
心穏やかに暮らせる
心から笑える
自分が好きな自分になる
そんな人生を作っていきましょう


私の投稿が
どなたかの心の灯になれたら嬉しいです

次女とは疎遠になってますが
メ-ルで一方通行の近況報告してます
一度洗脳されたので
徐々に気持ちがほぐれていくのを待って
いつか笑い話になる日を信じて暮らしています


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