SS【非凡】#シロクマ文芸部
小牧幸助さんの企画「夏は夜」に参加させていただきます☆
お題「夏は夜」から始まる物語
【非凡】(1964文字)
夏は夜、と清少納言は言ったっけナ。月が明るい時は言うまでもないけど、たとえ暗くても蛍が飛び交うのは趣がある、とかナントカ。
でも今夜は月も出ていないし、もちろんこんな町の中には蛍もいない。ただの蒸し暑い夜だ。清少納言も現代に生きていたら『夏は夜』なんて絶対に言わなかっただろうね。十二単なんて着てたら熱中症で死んじゃうよ。
オレだったら『夏は朝』だ。空気は冷んやりしてるし、夏の太陽の真新しい光が照らす雲は、ピンクやオレンジ色に輝いてキレイだからな。前夜に雨が降れば、濡れた道端の草が撒き散らされた宝石みたいに光ってて、ちょっとした大富豪気分だ。そう、冬なんかよりずっといいよ、夏の朝は。
清少納言は早朝なら冬がいいと言ってたけどな。トコトン意見が合わないんだ、あの人とは。
さて、オレはそんなコトを思いながらも蒸し暑い夜の町を歩いている。歩くのは好きだし、蒸し暑いと言っても日中よりはマシだからな。なんたって今日の最高気温は三十八度!トンデモナイね、まったく。平安時代にタイムスリップしたくなるよ。
ある区画まで来ると、いくつか粗大ゴミが家の前に出されていた。早起きして出すのが面倒なんだな。でも昔みたいにちょっとイイモノがあっても持ち去るわけにはいかない。ゴミ処理のために金を払わなきゃいけない時代だ。粗大ゴミには、処理代の支払い証明シールが貼られている。
その中で、オレの目が二人掛けのソファに止まった。古めかしい一軒家の前に出された古いソファ。
街灯の仄暗い光に照らし出されたソファは、猫足の優雅なデザインにゴブラン織りの布地が貼られている。ロココ調ってヤツかな。色褪せてはいるが破れやシミもなく、まだまだ使えるように見えた。アンティーク家具として売れば、けっこう高値が付きそうな気さえする。
オレはそっと座ってみた……ら、驚いたね。めちゃくちゃ座り心地がいいんだ。オレの尻はソファに張り付いたみたいに動けなくなった。深夜、虫が飛び交う街灯の下で、捨てられたロココ調のソファに座る男。これじゃオレまで粗大ゴミじゃねぇか……ナンて思いながらも、オレはソファから立ち上がることができない。
いくつかの思い出が浮かんでは消え、消えてはまた浮かんできた。オレはぼんやりとソファの座面を撫でながら、映画を観るみたいにオレの人生を見ていた。
その時、声がした。
「わしも、いつもこうやって映画を観ておったな」
いつの間にか隣に一人の爺さんが座っている。
「座り心地、いいっスもんね」
「そうじゃ、いい椅子じゃ」
オレは心が優しいから訂正せずに聞き流してやった。
「あんたは何を観ておったのかな?」
「くだらねぇ人生劇場っスよ」
「ふーむ……人生劇場か」
オレと爺さんはしばらく黙っていた。爺さんがポツリと言った。
「わしは、小津安二郎の映画が好きでなぁ」
「あー、ハラセツコ」
「敬称をつけたまえ。原節子さん、だ」
爺さんは少しムッとして言った。ハイハイ。
「彼女はもちろん美しいが、わしは小津安二郎の映画そのものが好きなんじゃ。どこにでもあるようなことしか起こらない似たような内容の、この上なく平凡で非凡な映画がな」
よく見ると、爺さんは笠智衆に似ている気もする。
「平凡で非凡って、どういうことかなぁ」
「それがわかるほどには、君はまだ生きておらんじゃろ」
爺さんはフンと鼻を鳴らして言った。まぁね。
「いい夜じゃな」
またしばらく黙っていた後、爺さんは夜空を見上げて言った。
「夏は夜、と清少納言は言った。彼女もまた非凡な女性じゃ。原節子さんほど美しくはなかったろうが」
「でも今夜は、月もないし蛍もいませんよ」
「お、君はインテリじゃな」
「趣味が読書と散歩の、住所不定無職の男っス」
「なかなか非凡じゃな。しかしそれだけでは底の浅い非凡じゃ。どうせならホンモノになれ」
「ホンモノの非凡?」
「そうじゃ、わしのような。……君はアンドレ・ジッドを知っとるかね?」
わしのようなって、言われてもなぁ。アンドレって誰だっけ?ベルばら……じゃねぇな。オレは思い出そうと夜空を見上げながら、無意識にソファの座面を撫でた。
気づくと爺さんは消えていた。あ、しまった、行っちまったか。
オレはスマホを出してアンドレ・ジッドを検索した。フランスの小説家か。
アンドレのおっさんは、こんな名言を残していた。
ふぅむ。あの爺さんはきっとトコトン平凡だったんだろう。そして、それをトコトンやり切って、ソファの付喪神になっちまったのかな。でもあの笠智衆みたいに平凡な爺さんと、ロココ調のソファの組み合わせこそ非凡だよなぁ。
ホンモノの非凡、か……。
座面を撫でればまた出てきてくれるかと、オレはもう一度ソファの座面を撫でてみたが、非凡な爺さんは二度と現れなかった。
おわり
© 2024/7/14 ikue.m