掌編小説【別の顔】
お題「マイナーコード」
「別の顔」
手紙の上に紅茶が一滴こぼれる。
「あ」と思ったが、私はそのまま拭き取りもせずに見つめる。最後の文字が滲む。滲んだ部分が透き通ったようにも見えるが、その向こうに彼の隠された意図が見えるわけでもない。
私は濡れた部分にそっと触れた。ひんやりと冷たい。手紙の角度を変えると、波打った部分に影ができて二匹の魚のように見える。仲良く並んで泳ぐ魚。以前の私達もそうだった気がする。
ぼんやりと見ているうちに手紙が渇いてくる。二匹の魚が消える。後に残ったのは小さな茶色い染みだけ。
ラジオから口笛が聞こえる。あのメロディは知っている。ビリー・ジョエルの「STRANGER」だ。二人が仲の良い魚だった時に一緒に聞いた。
「マイナーコードの名曲だよ。セブンスコードの音もセンスがいい」彼がそんなことを言っていた気がする。私には意味がまったくわからなかったけれど。
ただ、その口笛のイントロは私の胸を締め付けた。あるいは予感だったのかもしれない。
ビリーの歌が始まる。
「僕たちはみんな、別の顔を持っている、ずっと隠している顔を。みんながいなくなってから、それを見せるのさ・・・」
そんな内容だろうか。
彼が私に隠していた顔。今は誰に見せているのだろう。
おわり (2020/9 作)
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