人の成功はなんの味?
私は常々本を読むときにメモをとっているのだけれども、そのメモは自分で打ち込むよりもしゃべる方がはるかに早いと言うことに気がついた。
惰性で続けている(いや惰性ではない。日記を書く事は、変わり映えのしない1日が変わり映えのする1日になるから。全然惰性なんかじゃない。)ノートにも音声入力しまえば良いのでは?と思って、ここまで音声入力で書いている。
この?と言うものも、勝手に音声入力がくっつけてくれた。すごいねー。
なんだっけな何かの本で読んだんですけど、その書籍自体も音声入力でほとんど書きましたみたいな何だっけ?何の本だったかな。
まぁ今私はニートなので、こうやってぶつぶつ言いながら書くことができるけれど普段は実家暮らしの子供部屋お姉さん(おばさんではないと思いたい)なので、音声入力はなかなか難しいのではないかなぁと思ったりします
加藤 諦三
「大人になりきれない人」の心理
を昨日読んだ。この本は5歳児の大人がいかに辛いかということに焦点が当てられている。5歳児の大人とはその時期にするべきことをしないで先に進んでしまった人を指している。子供の頃子供らしくいられなかった人、精神的な成長が止まってしまった大人が上っ面だけで大人に適応しようとしてもなかなか厳しい。
5歳児の大人の特徴にドキ!とするものもあった。確かに当事者はとても辛いんだろうしどうしようもないんだけど5歳児の大人って見苦しい。
5歳児の大人から脱出する方法もさらりとではあるけど触れられていた。その中でも
『今日1日をきちんと生きること。そのために生きることを楽しんでいる人、丁寧に生きている人を見習うこと』というのはちょっと理解できる。
何かを丁寧にする、丁寧に生きる。そうすることで自分を大事にできる。それが擬似的な癒しになるのかもしれないな。
『何かを愛すること。憎しみを解消すること。』
これで5歳児のしたいことをすることでより上の段階へ進もうとしていると考えている。自分に執着しないことを指していると考えている。
『ナルシストは必ず世界を恨んで死んでいく。』という発言は自分に執着するなというものかなあ。自分に執着すると肩の力が入って生活しなきゃいけないから疲れちゃうもんね。
大人って子供を守り慈しむ存在だから自分に執着しちゃダメなんだと思う。そしてそういう存在になりたいから私は母になりたいのかもしれないなあ。
『自分の気持ちをわかってもらえなくてもいいと覚悟ができることが情緒的に成熟した人である。』
これは枡野 俊明さんの
仕事も人間関係もうまくいく放っておく力: もっと「ドライ」でいい、99の理由
でも触れられていた、半分わかってくれる人がいれば上等という考えをおもいだした。わかってもらうと言ってる時点で評価するされるの関係ができてしまうように思うね…
インナーチャイルドを癒すことなしに大人にはなれない。
有名なコップに水が半分入っている状態をどう認識するかという話で、
『欠けていることに注意が向から不満になるのではない。不満だから欠けているところに注意が向くのである。』
という一文がありそれは新視点だった。確かにイライラすると普段なら気にならないところも気になっちゃうもんね。
『あの人は幸せだ。私も幸せになろうか。心理的に健康な大人である。』
そうなりた〜い!人の不幸は蜜の味とはよくいうけれど、他人が幸せだと自分が持っている幸せ分を吸い取られた気持ちになるのは何故だろう。
この本、正直にいうと少し哲学的で、実践に落とし込むのは難しいと思っている。ただ5歳児の大人の醜さを目の当たりにできたのは良かったな。
どうせなら前向きに楽しく穏やかに生きたい。であれば憎しみという感情は相容れないし、世界を憎しむことは疲れる。人は敵じゃない。敵だと認識していると認識されてしまう。当たり前だね。
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