これは「愛」なのか―『中央駅』キム・ヘジン
『中央駅』キム・ヘジン著 生田美保訳 (彩流社,2019)
ソウル駅を思わせる駅前で野宿をする若い男性と、若くない女性の半年ほどを描いた小説です。ホームレスになりたての男性と、酒をやめられずそのせいで病気を抱え、おそらくは先の長くない女性の、この二人の関係を何と名付けたらよいのかずっと考えています。
人目もはばからず「肌を重ねた」二人の関係を、愛と呼ぶのは簡単でしょう。一人ならやりなおしがきくはずの「俺」が「女」を助けるために、転げ落ちていく生き方はもっと複雑な何かを感じます。
「女」は、ホームレス生活が長くおそらく変えられないスタイルが身についています。それに対して「男」は冒頭の不安げで頼りない様子から、ある意味強く、暴力的になり、最終的にはいわゆる無敵の人になります。彼は「女」を守り、庇い、大切にしていくのと反比例するように自分自身を顧みず、破滅的になっていきます。この同時進行していく二つの様子は、セルフネグレクトで足を腐らせているおばあさんと常に何か生き物を育てている「ネズミの男」に反映されています。(そして、相反する設定のこの二人は仲が悪い)
「ネズミの男」はネズミから始まり、捨てられた病気の老犬、うまれたての鳥のひな、と次々に動物を飼育します。動物に癒しを求めているというよりも、自分がいないと死んでしまう動物たちを保護することで、自分も誰かに・何かに必要とされているという人間としての最後の尊厳を守っているようにも感じます。ただし(これは最近ずっと考えていることですが)ケアして与えることには、依存性と中毒性があります。ホームレスになりたてで不安定な「俺」が「女」のケアに依存し、からめとられていくようにも読めるのです。彼には何度かチャンスがあって、そのたびに不幸に見舞われるのですが、それをすべて自己責任とは言えないでしょう。
まだ若く、健康な彼は一人なら再起の可能性があるように見えます。しかし「女」といることで共倒れになってしまう。支援センターの職員はもどかしい思いで二人を見守ります。しかし、公的支援には限界があります。非公式な立場で、男に与えられる仕事は犯罪とぎりぎりのもの。その中の一つが開発予定地の住民たちに嫌がらせをして追い出す仕事です。追い出されてホームレスになる人もいるのでしょう。
何もかも失ったときに、私たちには何ができるのか、最後に何を守るのか。まだ答えは出ないのですが、考えさせられる1冊でした。これは愛なのか?と問いながら読み、それでも愛だと思うのです。
このタイミングで読んで、辛くなりましたが、今読む意味があると思います。
書誌情報はこちら。試し読みができます。
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2611-6.html
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