隣国の文学者の見るコロナ19-72年目の4月3日に寄せて
今日は済州島4.3事件蜂起の日。韓国の文芸誌『済州作家』2020年春号の巻頭言を、編集主幹のキム・ドンヒョン先生より共有します。
済州4.3事件は、私が定義づけるのもおこがましいのですが悲劇と分断の歴史だと考えます。作家たちは分断を乗り越えるため、悲劇を忘れないために創作を続けてきました。隣国の文学者が、どのようにコロナ19を見ているのか、ヒントになれば。
1.
花は今年もたがわず咲いた。どうしたことか、花陰まで明るい春の日だ。花見にときめく心もちにもなるが、かたくしばりつけたあの日の気持ちが意図せず流れ出すのは、もしかすると、なすすべのない4月だからか。
70年がたち、刺青のように刻まれた苦痛も薄まりそうなものだが、春になると私たちはまた再び冷たくうなされて一つになる。
冬枯れの木が新芽を吹かせるように、悲しみも毎年新たに花を咲かせるものなのか、春になると涸れていた涙がふたたび済州の大地に湧く。
忘れることなく花は咲き、四月になれば私たちはふたたびあの日に戻る。
2.
2020年春号を世に出す。今年はコロナ19で世の中が落ち着かない。なじみのない病気を経験しながら私たちは感染の烙印と連帯の実践の間で揺れている。終わりのない試験を前に私たちが投げかけるべき問いは何か。いまだ4.3ではなく、依然として4.3ではなくてはならないように、今日私たちの質問がここで終わりになってはいけない。実践の場が危うくなるほどに文学の倫理という最初のドアに立ち返らなくてはならない。今日の質問が来たるべき未来の姿であることを、私たちは信じる。
今回の春号もまた、この年の4月の問いに向き合おうとした。2020年は光州抗争が起きて40年になる年だ。誰よりも熾烈に光州について語っていたイム・チョルウ先生との対談が、今-ここの場所で再び文学を、倫理を考えてみるきっかけとなることを願う。済州ダークツアーのペク・ガユン代表の文章もやはり、済州4.3が地域と世代を超える新しい連帯であるという課題を私たちに投げかけている。
連載企画としては、第2空港問題を植民地時代から済州開発者を通して振り返る小説家チョ・ジュンヨン氏の「欲望の島、エリジクトンの反撃」を掲載した。独特の視点で済州の現在を眺める文章だ。共感と連帯にはコロンビアで先住民族を研究している研究者であり作家でもある、ミゲル・ロチャ・ビガスの「済州・ハハ」と、大村益男先生の「朝鮮文学研究に志を抱いて50年」、金時鐘先生の「日本風土記」の翻訳を掲載した。翻訳に尽力してくれたウ・ソッキュン、クァク・ヒョンドクのおふたりには大変助けられた。
今号はいつにもまして会員の作品がずっしりとしている。その中でもソン・サンイル、オ・ギョンフン両氏の作品を並べて掲載した。おふたりとも独特な個性をもって誰よりも誠実に作品を書いている。文学に向き合う姿勢だけでも後輩作家たちの手本に他ならない。1年間、丹東通信を書いてくれた評論家のコ・ミョンチョル氏を引き継いで、遼東大学のク・ボンファン先生が丹東通信を続ける予定だ。
私たちが投げかける言語が、また違う言語に出会い、新しさで満たされることを期待してみる。
編集主幹 キム・ドンヒョン
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