〈タイムスリップ2005〉はじめての日本海と魚介な思い出③番外:ロマンの泉美術館と思ったら、思わぬ方向にカミングアウト(新潟県弥彦村)
現在、こんな思いで↓2000年代にタイムスリップ中です♪
「はじめての日本海と魚介な思い出①」はコチラ↓
友人Mと訪れた1泊2日の新潟旅「はじめての日本海と魚介な思い出」。
8月12日は、寺泊→出雲崎→寺泊、その後は弥彦村の「ロマンの泉美術館」へ。
この美術館へ行きたいと行ったのは、わたしである。
当時は旅に関する有益なネット情報はまだまだ少なく(noteもInstagramもXもなかった。blogが流行しはじめ、mixiがはじまった頃と思われる……なにもかもがなつかしい…)旅情報といえば、紙の『るるぶ』や『まっぷる』が主流だった。
『るるぶ』で、新潟にアンティークな調度品に囲まれたヨーロピアンな美術館があると知り、「ここ、行ってみたい」と友人Mに伝えたところ、彼女も興味を示し、訪れることになった。
とか言い出したくせに、どんな美術館だったのかは忘れている(💦)
今もそうだが、この頃の私は「アンティーク」なものが大好きだった。ありがちだが、「アールヌーボー」や「アールデコ」「ヴィクトリアン」が大好きで、その周辺のものにも魅せられていた……といえば、聞こえがよいが、単純に「きれいなもの」が好きだっただけで、造詣は全く深くない。
この記事を書くにあたり、あらためて検索したところ、Wikipedia情報に行き当たる。どうやら、バイロスの蔵書票が中心だったらしい。
残念ながら、2009年に閉館したようだ。
これはなんの彫刻なのだろう? 女性と思われるけど、オリンピック発祥の地での円盤投げか、はたまた楽器か?
ガラス窓越しの緑と、ヨーロピアンな椅子
お花(造花)があちこちに飾られていました。
館内は静かだった。
私たち以外に客はいなかったような気がする。
展示を見終わった私たちは、恒例のコーヒータイムへ♪
とにかく、どこへ行っても、何をしにいっても、なにがなくても「コーヒーとスイーツ」ははずせなかった。情報に毒されていると言われようが、「コーヒー」と「おいしいスイーツ」を楽しみたかった…というか、それが当たり前になっていた。今では考えられない贅沢ぶりである。
ちなみに、本当に本当に余談だが、この時代は、まだ「スイーツ」という呼称は流布していなかった。ケーキやパフェ、タルトなどを「スイーツ」と呼ぶようになったのは、いつごろからだったろうか? 忘れてしまったなあ。
これが↓フレンチレストランだろうか?
私はガトーショコラに生クリームをたっぷり添えて。コーヒーカップはMが大好きだったウェッジウッドの「ワイルドストロベリー」。奥にティーポットが写っているところを見ると、Mは紅茶を頼んだようだ。
窓際の小鳥さん
冒頭にも書いたように、この記事を投稿するにあたり、Wikipediaを調べたわけだけど、そこで創立者の伊藤文學氏が、男性向け同性愛雑誌『薔薇族』の創刊者であることを知った。
『薔薇族』を読んでいたわけではないけれど、その存在は知っていた。というにも、当時の私(とMも)は、いまでいう「BL大好き女子」だったからである。
BLという用語が誕生する以前の時代……というと、年齢がバレバレだけど、私は長いこと、『JUNE』(日本で初めて創刊された女性向け男性同性愛の専門誌……Wikipediaより)の愛読者だった。今の「 BL」は男性同士の恋愛が当たり前に書かれていて、それはそれでいいと思うけど、『JUNE』に掲載されていた小説やマンガには、「耽美」とともに「なぜ、俺が彼に惹かれるのか?」といった葛藤があって、そこが当時の私にはヒットした。
そういえば、高校時代からヘルマン・ヘッセの『デミアン」とか、福永武彦の『草の花』とか、同性愛的傾向の小説ばかり夢中になって読んでいたし、実際にそういう傾向の小説を自分でも書いていたりもした。
もちろん(もちろんなのか?)、いわゆる「やおい」にもどハマりした、いわゆる「腐女子」な時代もあった。晴海にも遠征したり…(遠い目…)。こっちは私よりも、Mのほうがはまっていたかもしれない。私はいつからか、飽きてしまい、読まなくなってしまったけれど(ネットで読めるようになったというにも大きい)
自分が「腐女子」だったことは、ずっと黒歴史だと思っていたけれど、「BL」があっけらかんと市民権を得ている今、「そんなのカンケーねー」(これも古い…)な気分もある。
そういえば先日、20代の男性に「まほろさんって、歴女ですよね? BL好きでしょ?」と言われ、「どこでそれを感じた!」と慄いたことがある。
厳密にいえば、私は歴女ではないし(そこまで詳しくない)、BL好きでもないのだけれど、彼によれば「歴女はBL好きだって聞いた」とのこと。おいおい、それは偏見だ。確かに歴女の一部には、そういう嗜好の人もいると思うけれど。
なんだか、最後は自分のカミングアウトになってしまった💦
今となっては、『JUNE』も「やおい」も「腐女子」な日々も、なにもかもがなつかしい。
うしろめたさを感じながら、胸をドキドキさせて、「店員さんが表紙のキャッチコピーを読みませんように!」と祈るような気持ちで『JUNE』をレジに持っていったあの日々が嘘のよう。今、書店のコミックコーナーには「ボーイズラブ」のコーナーができていて、そこからコミック本を手にしてレジに行く女の子たちの表情には、私たちの世代ほどの「うしろめたさ」は見られないような気がする。
これがエンタメの多様性?
いい時代になったものだよなと思いつつも、いやいや、私の時代は私の時代で、楽しかったよと思ったりもする。
最近、新しい価値観を持った若い世代の人と話す機会が多いからか、「時代は変わったなあ」と思うこと多し。
余談だけど、ときどき自分の考えが「古い価値観」と言われているような気がして(気がするだけ)、「お金で得られる豊かさより、もっと大切な豊かさがある」と否定されているような気がして(気がするだけ)、寂しさを感じたりする。
確かに古い価値観のせいで、しんどい思いもしたこともある。お金がすべてではないのも確か。
だけど、自分で自分の人生を否定することはない。自分がお金を使いまくって得た「豊かさ」を否定する必要もない。
精一杯生きて、駆け抜けた、20代、30代。友人Mと旅をしまくり、サッカー、野球、フィギュアスケートと今でいうなら「押し活」してたあの日々。刹那的かもしれない。夢中になったのは「投影」なのかもしれない。
それでも、楽しかった。
豊かだった。
キラキラしていた。
それだけは確かで、それが今の私をつくっている。
あの頃の私に「ありがとう♪」と言いたいな。
下の写真は、同日のフォルダに入っていた1枚だけど、どこで撮影したのか不明。ロマンの泉美術館じゃないかもしれない。
次回はいつの時代の、どこへの旅を綴ろうか?
現在2003年から2010年までの自分にタイムスリップ中♪ 写真を中心に当時の思い出を振り返り中です。