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〈タイムスリップ2016〉その昔の“陣屋”の雰囲気を伝えていた「入船屋」(福島県郡山市)

現在、こんな思いで↓2000年代にタイムスリップ中です♪

前回、「郡山スケッチ」として、カフェを中心に今は閉店してしまったお店を紹介するなかで、字名ではないけれど、地元では“陣屋“の通称で親しまれている飲食街を紹介した(住所は駅前一丁目)

記事をアップした後、2016年に撮影した酒天国の外観。ライトアップされたショーウィンドー越しのお酒のボトルがきれいで、何枚も撮影したようだ。

写真左手は現ダイワロイネットホテル郡山駅前
撮影時はまだ丸井郡山店の建物が残っていた(すでに閉店していたけれど)
おもちゃみたいにキラキラ
木製の引き戸も風情あり

ご存じの方はいらっしゃるだろうか?
酒天国開店前、ここには老夫婦が営む下駄屋さんがあり、ショーウィンドウとなっている場所には昔ながらの下駄や草履が並んでいたことを。

店名は確か「入船屋」だったと記憶(あいまいだけど)

私が郡山で働きはじめたころの陣屋は、すでに飲食ビルが並び、高級和食のお店や焼き鳥屋、居酒屋、スナック、バー、お姉さんのいるお店まで、さまざまな飲食店が軒を連ねるとなっており、夜遅くまでネオンがギラギラと光る一角となっていた。正直、10代、20代の頃は、ちょっと怖ささえ感じる場所だった。

その一角に場違いとも思える下駄屋さん。

なぜ、こんなところに下駄屋さんが? 
一体誰が買うのだろう? 

そんな疑問を抱き、ある日、お店の引き戸を開けてみた(下駄も買わんくせに)。

当時70代から80代とおぼしき店主はかく語りき。

「いやいや、昔の陣屋は料亭が並ぶ風情ある街だったんだよ」

道端には堀があり、柳が揺れ、夕方には髪結いへ行く芸妓さんの“カランコロン“という下駄の音、三味線の音色が響く、風情ある街だった。

「俺たちの店もおねえさん(芸妓)たちからの注文で繁盛したもんだ」

特に店主の母親の代は、毎日のように芸妓さんが出入りしていたという。

飲食ビルが聳り立つ前の陣屋の風情を伝えていた「入船屋」さんが店を閉じたのは、いつごろだったろうか。震災前か、それとも後だったろうか?

その後、建物には「酒天国」が入り、夜の陣屋で心惹かれる光を放つようになった。

そのお店も閉店。現在、跡地はどうなっているのだろう。

気になって調べてみたら…もしかして、建物も解体されちゃった?

“陣屋”になる前、この一角は奥州街道「郡山宿」のまち外れ。特になんにもない土地だったという(現在の郡山駅近くに清水か井戸があったくらい?)

鉄道が開通し、駅舎ができ、貨物と人が行き来するようになり、魚市場などが並ぶようになった。貨物を積んだ車(トラックなのだろうか? 荷車なのだろうか?)が並んでいたため、通りは「貨物通り」と呼ばれるようになっていく。

モータリーゼーション(この言葉もすでに死語かもしれない)の波が押し寄せ、流通は貨車からトラック輸送へ変わっていく。
駅前に並んでいた貨物を積んだ車は姿を消して、もっきりのお店も少なくなっていき、郡山西武デパート、丸井郡山店……いやその前には丸光デパートもあったらしい(その時代は知らない)が建ち、女性客を集めて……それすらもすでにひと昔前の風景となってしまった。

街は変わっていくのが当たり前(もちろん昔の風情を残している街もすてきだ)

すべては「無常」なのだ。

「昔はよかった」なんて、思わない。
「今の時代は…」なんて、全く思わない。
昔には昔のよいところがあるし、今には今のよいところがあるだけ。

今、私が感じている心に風が染みていくような感情は、「無常」への感慨であり、ノスタルジー。

ただ、私が直接的、間接的に知っている「昔の郡山の風景」「昔の郡山の記憶」を残しておきたい。それだけのこと。

フロンティア通りの噴水近く

現在2003年から2010年までの自分にタイムスリップ中♪ 写真を中心に当時の思い出を振り返り中です。


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