その方は、あの山の上でいつも一人ぼんやりしている少女。
その方は、切れ長で鋭い視線を私に向けながらも、話し出せば穏和で静かな方。
そのお方は、土地神様なんだという。
彼女はいつも供物を届けに行くたびに、そっと自分の近況を尋ねてくる。
村の長である私は、常に悩み事が途切れずあり、時には私はただの伝達係で、彼女こそが村の長なのではないか、という気さえおき出すほど、土地神様は的確に意見を言ってくれる。
中でも私が一番効いたものをお伝えしよう。
それはいつもの晩。村のものも寝静まり、供物を持った私が下を向きながら山へと登っていた時だ。
「どうしたの」
土地神様は静かに座り込み、下から私の顔を覗き込んだ。
「土地神様。いや、こんな不健康な顔を貴女様に見せるわけにはいかないとは思いましたが、どうしても供物を届ける周期なので」
本音は、いつものように的確に私を動かしてほしいだけなのだが。
「それはいいけれど、まずはあなたの話を聞かせて」
そうして彼女に連れられ、いつも通り大きな社の近くでしゃがみこんで話を聞いてもらった 。
今思えば、わざわざ話さずとも、土地神様は内容をとっくにわかっていたのだと思う。
なんといっても彼女は、土地神様なのだから。
ついこの間の、他の土地のものからの襲撃で大勢の村の命が失われ、その際の選択を間違ったこと。事前にもっと防げたこと。
しかし私の抱えていた仕事量や問題の数ではとても、と思う自分と、その中には後回しに出来うるものも僅かだがあった。それを放置し、防衛に努めていればもっと守れた。もっと失わなかった。
私の努力が足りないばかりに――
そして私はついにぼやいてしまった。
「土地神様が、もし村の長だったら、結果は変わっていたのかもしれませんのに。
この考えは以前から思っておりました。私がさっさと貴女様に村を動かす決定権を、全て、委ねてしまっていれば・・・」
「それは違う」
彼女は迷いなく申されました。
「私にだってその仕事量でこなすことは難しいわ。
それに、貴方以上の経験と技術で事を動かすのは不可能よ。誰も、歩んできた道のりに間違いはない。貴方が村を治めてくれるから、私はよそから遠巻きに好き勝手言えるの。その働きは、今回だって最善よ」
そして彼女は彼女の手のひらにある供物を全て私へと差し出してきました。
「今回、最も尊敬され感謝の念を送られるのは私ではないわ。
いいえ、今回に限った話でもないけれど。でも毎回貴方に譲っていては、私がいなくなってしまうから。
うれしいことに、貴方にとって私は必要なんでしょう?だったら今回だけ」
いつもおしとやかに口角を上げて微笑む彼女ですが、そのときは口を見せて少し歯を出して微笑んでおられました――
――ということだ。
確かに、体格がふくよかになれば、ちょび髭でも生やしていそうな顔をしていたが。
その彼は極限までやせ細り、よほどやつれていたんだろうと感じさせられた。
「それで、俺にどうしろと?」
「あら。流石に解っているでしょう。貴方ともあろう人が」
ふふん、と上から見下ろすヨミ。全く、どこが穏和で静かなんだか。
「――つまり、素直になれ、と。『思っていたことを素直に言ったことにより、変化があったその人のように、思っていることを全て吐け』と、そういいたいんだな?」
「またそうやって見えないフリして。それはあくまで、彼が受け取ったメッセージに過ぎないわ。貴方に言いたいのはまた別。」
ヨミは呆れたように言いながら、俺の前の椅子に腰掛けた。
「だから、『穏和で素直で、悩み解決の実績のある私のアドバイスを、素直に聞き入れなさい』ということよ。」
え?なにその脳内筋肉理論。それは思いつかねぇよ。
「何かしら、その不満そうな目は」
いくら脳内筋肉でも、それくらいは解るらしくヨミもジトッとした目で睨んでくる。
「いいこと?
クルメは別に供物を授けているわけでも、私にうやうやしくしているわけでもないからハッキリ言うけれど、『個性というのは、人と同じ行動をとったときにさりげなく現れるもの』よ。別に同じ行動を取ったって構わないじゃない。じゃあ貴方は世間様に反発をして、人がする事はみなしないつもりなのかしら。貴方、散歩好きじゃない。世の中にどれだけ散歩好きがいると思って?
・・・食事とかに口出しをしたら、クルメは反発して食べなくなるでしょう。だから言わないのよ」
先回りして考えを言われ、更に完全に逃げ道をふさがれた。
何だよ。よってたかって俺の今後を決めやがって。
「決めてなどいないわ。アドバイスしているだけ。
というより、クルメの腹が立っているそれは、今後を決められたから、ではなく、人に先を行かれるのが嫌、なだけでしょう?
大丈夫よ、こういうことは白麗もそうだけど、得意分野だから、ってだけ。
貴方に全てがかなうわけじゃないわ」
――ヨミにアドバイスをされ、恩人だ、と感じたやつの気持ちがわかってきたような気がする。
いや記憶を飲んだからもう解ってはいるが、俺の記憶にもそれが刻まれたような、そんな感覚。
確かにこれには抗えないし、やる気も起こる。
「わかった。慣らしていくよ。少しずつ」
「それならいいわ。・・・・さて、お客様がお見えよ」
ヨミ側からはのれんの向こうのカウンターが見えているため、そういって立ち上がった。「私は白麗と席を外して来るから、後は若いもんでどうぞ」
予想は出来ていたが、その言い方は間違いなく秋山みるだ。
「ふぅ・・・・ありがとな」
秋山みる、と考えるだけでさっきの動揺が押し寄せてくる。しかし、慣らすと決めた。
ならば向かうしかない。
俺はヨミの手招きですっと俺を一瞥して通り過ぎていく白麗を横目に、のれんをくぐった。
「お待たせ。何から行こうか」
「わあ!待ちかねてましたあ~!」
パチンと両手を叩いてにへらっと警戒心なく笑う彼女の中には、冷静で賢そうな部分はとてもじゃないがないように見えるテンションだった。
またふいをつかれそうだ。警戒が高まる。
「よし。まずはそこに座ろうか」
はい!と元気よく手を上げてその場にドスンと正座をするみる。ひざ周りが痛そうだが・・。
「あー・・・「そこ」って、床じゃなくてな、入り口近くの机と椅子のこと。お茶出してくるから座って待ってて」
そこ、で伝わらなかったので指を指して指示を出すと、バクバクとしている心臓を押さえながらまたのれんをくぐった。
二人の姿は、ない。
裏口から外へと出て行ったのだろう。
俺はまた深呼吸を一度して、一番飲んでいる落ち着ける茶葉を選び、彼女らしい緑と紫の模様のあるカップとポットを探し、らしくない自分に渇を入れる。
おかしいじゃないか。記憶師、未明クルメともあろう奴が、人の行動一つ一つに酷く動揺して心拍が跳ね上がっているだなんて。
落ち着け。
確かに秋山みる、という人物は俺には予測が付けられない人間だ。
しかし、だからといって動揺することはない。
彼女は自分に対しては歯止めが利いていないようだが、他者に対しては気遣いができる様子もある。
俺に対して危害を加えに来るようなことは、きっ――決してないはずだ。
断定をして自己暗示をかけるように自分を追い込む。
大丈夫、大丈夫。
俺は、未明クルメだ。