少年は 人の気配に気づいてか 顔をしかめ 小さく唸りながら 寝返りをうった。
区切り一つ一つで呼吸をしなおすような、そんな切れ切れの認識だった。
何故か?答えは単純で、興奮していたからだ。
やっと やっと はじめられる
そうして手を伸ばし、少年の頬を軽く叩いた。
少年は頬に走った衝撃にしかめていた顔をさらにしかめ、迷惑そうな顔をしながら目を開けた。
「記憶シュ、やらないか?」
その一言はしかめっ面に、強い追い討ちをかけた。
のどかさと歴史を証拠付けるもので生計を立てている街。
そこのとある住宅地の一番奥に、『立ち入る分には構わないけど、傷をつけて開拓しようとすると、土地の贄にされる』ことで有名な山がある。
なんでもその伝承はこの街の誇りの歴史たちがあった頃からのものらしく、城やら井戸やらがあった時代の資料にも似たようなことが記されているらしい。
そんな山に立ち入ろうとする無謀な大人が一人。
手には大きめの刃物と、同じ手に、縄。反対には旅行用らしき鞄。背には巨大なリュック。
この男は何をしてくれるのだろうか。
刃物で山を荒らしにきたのか。はたまた縄を使って衝動に身を任せようとしているのか。
旅行用らしきその鞄の中身は、食料だろうか。はたまたこの男のくたびれたスーツのような着替えたちが入っているのだろうか。
それとも前述の二つのものと合わせて女性の身体でも入っていたりするんだろうか。
どれも違う。
この男は、強盗をしようとしているのだ。
この山のどこかにあったはずの、小屋で。
男は、相田浩二。年齢は二十代のどこか。詳細は――年齢を数えて覚える習慣を、忘れたので知らない。この間、生きる目的を見失ったところだ。と思ったところで、苗字ギャグに気づいて小さく口角を上げた。
そして別にこの相田が生きる目的を見失ったのは、この間でもない。
充実した日常というものは、相田浩二の人生の中では当てはまったことはない。
幼いころから臆病で、疑うことで自分を守り続けてきた。
きっと原点は幼稚園の頃。たまたま活発な子供が浩二のことを気に入り、熱心に声をかけてくれた。
そうしてその子供に甘えていれば、周りに大勢の味方を作って気に入られてばかりだったその子の友達の一人がやってきてくれて「友達の友達」から、「友達」へとなっていけた。
それを繰り返し続け、寄りかかるばかりの幼稚園生を卒業し、その子とは小学校が変わった。
地獄の始まりだ。
どうすればいいのか、頭ではわかっていながらも、声を掛けられるのをひたすら待っていた浩二は、どんどんと周りと溝ができ、気づけば進級し、クラス替えがあり、そこでどうにか動こうと、あの子がしていたことを必死で思い出し、立ち上がり、かつてのあの子に近いものを感じた席の前へ行ったものの、声が出ない。
どう声をかけていいのかわからず、あ・・とかすれ声が出た。
席の正面に立たれたその子は、訝しげな様子でこちらを睨み、あのさあ、と機嫌が悪そうに口を開いた。
あの子とこの子は違ったんだ。と悟った瞬間だった。
それと同時に、機嫌が悪そうにされることと、沈黙が心底嫌いになった。
そんな寂しい浩二には、よく行く山があった。
ご存知の、「入る分には構わないけど」山だ。
心配した親が探しに出向いても、噂がよぎり、「あんな臆病な子が来るわけない」と感じて別の場所を探しにいく山。
なので浩二には、好都合だった。少し韻を踏んで、今の浩二がニヤッとした。
別にそれを狙ってかくれんぼをしていたわけではない。ただ、山に入れば近所のどこかが目に入らない。
だから、あちこちを見つめて、「あの家には今頃、おうちに遊びに来た友達がいるんだろうなあ」だとか、「今入っていった子、スーパーの中で何買って遊ぶんだろう」だとか、その両方の感想の後に続く、「何か運命的なものが働いて、ぼくんちのインターホン鳴らして、あーそーぼーっていってくれないかなあ」なんてことを考えなくてすむから、山に入っていただけであった。
山には自然しかない。子供にはこの山は、かなり急で、あまり動物も見かけないため、誰も虫取りに来ない。でも心のどこかで、『虫取りに来た子供と仲良くなる』想像をしている自分がいた。
一日かけていける場所まで山を登って、そのうち疲れて下って。それを繰り返しているうちに、段々と体力がついていって。
その内、登りながらあちこちを散策する気にもなって、目に付く所に入っていった。やっぱり山はたいしたものはなかったけれど、二つだけ、気になるものを見つけた。
山の木々が生い茂っているどこかにあった壊れた小さな社と――その社を目印に歩き回ると見つかる、新めの小屋だった。
何度来ても毎度留守のその小屋に、友達を欲してそうっと入ると、植物の種のようなものが、溢れるほどに入った籠で視界がいっぱいになった。
中にも入らずじいっと観察すると、その種は歪なものばかりで、まん丸やガラスの破片のようなもの。三角だったり、折り紙のように折りたたまれていたり、少しだけ繋がっていたり、平らだったりする。
そして、物珍しいのはそれだけではなかった。
そのかごが置いてあるのは、木のカウンターの上だったが、それを囲うように棚が置かれ、やっぱり中にはさっきの種まみれの籠が。籠には、白い紙で値段が書かれ、見たこともない数字の多さに、さらに困惑したのをよく覚えている。
そして棚の中の種は――色別に別けられていた。
長くなったがそういうわけだ。
まとめると、相田浩二は、ギャグや韻が好きな社会人。臆病で物静かな幼年期から何も変わらないで大人になった。
昨日は疲れ果てて布団で寝て、今日は、シワシワでヨレヨレのスーツ姿で、連絡もせずに休み、ぼうっと大きめの鞄二つとナイフと縄を持ち出し、見慣れた景色を観光中だ。
そして今、大人の常識から見ても異常な色と見た目と値段をするくせに、閑古鳥が鳴いていたどうしようもない小屋から、ありったけの種を盗もうという算段だ。
ナイフと縄は、仮に中に人がいたときのためにとってある。
どうせいても、浩二が子供の頃からの店のことだ。どうせいるのは老人、それも一人だけだろう。
じゃなくちゃあ、誰かしらあの頃に出会っているはずだ。
そんなことを思いながら、辺りを見回す。
先ほどから、汚れきった大人の浩二にはもう見えない、とでも言うかのように、あの社への入り口が見つからない。
いつも何となく、入り口になるそこが、そこだけが他と違って見えていたのだ。
霞がかった記憶を辿り、ギリギリ思い出せる感覚は、「キラキラ」?しているように見えていた。
そこになんだか寂しさを埋める何かがあるような、そんな予感がしていたのだ。
キラキラァ・・・キラキラァ・・・・
呼びかけるように、あの頃の感覚をたたき起こして、背も屈めて再現をして、また周りを見回した。
呼びかけに答えるようなキラキラは現れない。
でも何故か浩二の目は、一点を射止めたまま離れようとしない。
あそこだ――!と直感が感じた。
何の変哲も無いように見える林の一点。その中に勢いよく駆け込んでいった。
ガザガザと木の葉が音を立て、枝や葉が顔中を切り刻んでくる。
でも浩二の足は止まらない。止められなかった。無心で衝動のままに突き進んでいく。
なにかいる―――!!
目に飛び込んできた紫色の頭。いや、違う。正確には紫がかっているのは頭の先や毛先。きている服のてっぺんのみと、裏地だけだ。
後はみんな白の大きすぎるシャツの後ろ姿が見えた。
何故だかそれに、大きな高揚感と感動を覚えながらも、足が止まらず、ぶつかることなんて、紫頭が目の前にきてから感じた。
足がスーツにつまずき、ぶつかるっ、と目を強く握り締めるようにつむった。
予想していた衝撃が自分に――ふりかかりはしなかった。
「あ、れ?」
驚き、緊張の糸が緩んで目が開いた。
目の前には紫頭ではなく、木があった――次の瞬間、鼻と唇と額に衝撃が走った。
予想以上の衝撃であった。
「ああああ・・・・大丈夫かな・・・」
背後で、か細い高めの声が小さく言う。
浩二は動けないまま数秒固まり、林との長い口づけから離れると、ふらっと後ろ向きに倒れこんだ。
「あ・・・!あ・・・ああ・・・・どうしよう・・・・」
薄れゆく意識の中、その反応に、自分と似たものを感じた。