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記憶シュ 急片=九片
「こ・・・ここ、登るの・・?マジ?」
「そうだよーほら、行こう?一回いったんならいけるって」
久しぶりの登場の、『立ち入る分には』山は、かなり急なのだ。
毎日毎日歩き通しでここで体力をつけた浩二ならともかく、さっきまで声も満足に出なかった君也には中々厳しいものがあるのだろう。
少し登るたびに、ハァハァとすぐに息を切らして、苦しそうに座り込んでいた。
「・・・・そうだ・・・滅茶苦茶苦労して、ついたの思い出したわ・・・・お・・・・・おまえ、よく登ったな・・・・」
「そりゃあ、ちっちゃい頃通いつめてたから」
「・・・なんでさ」
「・・・寂しかったから?」
「ワケわかんねぇ」
君也の記憶のおかげで、すっかり真顔でおとぼけができるようになった。
たった一日足らずでここまでになれるのなら、やはり積み重ねてきた記憶というものはそれだけ偉大だった、ということだろう。
だからこそ、その偉大な記憶を元の持ち主に、君也に返したい。
「な、なあ・・・もうさ、素直に全部はなすからさ・・・帰ろうぜ?」
余りの険しい登山に、君也が音を上げて浩二の袖を引っ張った。
「いいや、帰らない。」
キッパリと言い放つ。
「君に事情を話して欲しいよ。話してくれるのはすごくうれしい。でも、それ以上に返したいんだ。記憶を」
こんなにも自分の舌は流暢に意見を言えるのか、と険しい顔をしながら感心した。
そして浩二の険しい顔つきを見た君也は、諦めたようにうな垂れて、立ち上がりとぼとぼと再び歩き出した。
「・・・お前さ、覚えてなかったわけ?」
唐突なその質問に、少し考え込む。何のことだろう。この君也と浩二の間の共通の話題というと、幼稚園時代か。
「小さかった頃のこと?・・・・うん。会うまでは、ぼんやりとしか」
今でなら霧がかってよく思い出せなかったあの子の顔は、君也だと記憶にも鮮明に映るし、記憶で共有していたとはいえ、実物の声や体格、仕草や言葉遣いを聞いていると、思い出してくるものも多い。
そういえば、うちの母さんと、君也の母はよく一緒に出かけてて、その間いつもみたいに一緒に付き添うんじゃなくて、どちらかの家で遊んで待ってる!なんて言って座り込んで駄々をこねていたなあ――君也が。
結局、二人だけじゃ危ないから、と連れて行かれたが。
でもその次の機会かその次の次くらいで、一緒に長く家で遊んだような気もする。
「・・・・・・・名前も?」
「・・・うん。ごめん」
流石に、名前どころか顔も出てこなかった、とはいえない。
「でも、君也の存在はすごく強かったんだ」
それに続ける言葉はいっぱい浮かぶが、どれも浮かんでは消えていくばかりで、まとまらない。君也にはそのまま黙ったように、見えるだろうな。
他者がどう思うかもわかりだしていた。君也の見続けてきた世界はこういうものなんだな。
記憶で体験しているはずなのに、今すごく実感がわいた。
「なあ、お前ばっかでずるいからさ・・・ハァ・・・お前もさ、浩二。記憶の共有してみろよ」
その言い方が照れくさいときに使う声色だったのに、すぐに気がついて、この気づきも今後はなくなってしまうんだろうなあ、と思うと寂しいな。と考えながら答えた。
「いいけど・・・すごく大変だよ?記憶と生きていくの」
現に一日体験しただけでここまでぐりぐり体が動かされている。恐ろしいものだ、記憶とは。
「そうじゃなくてよ・・・ハァ・・・俺に、今、教えろっていってんの・・・お前にも、いろいろあったんだろ?」
山の急さがまた応えてきた様で、君也は苦しそうにひざに手をやって押し、猫背になりながら、いってきた。
ああ、そういうことか。
「僕は――ずっと君也が恋しかった。あんな風に世話を焼いて、話しかけてくれて、そのおかげで周りにずっと人がいたのは、あの頃だけだったから。だから追い求め続けたんだ、君也のような誰かを」
結局は見つからず、それで自暴自棄になったおかげで、今会えているわけだが。
「それは・・・・素直にうれしいな。なんだよ、それ・・・もっと早くいえよ」
声色が、また変わった。最初の方はまた照れたような声だったのに、最後の方は苦しそうにいった。
きっとそれは、急斜面で苦しいからではないのだろう。
浩二の知らない記憶のどこかからなのだろう。
辿っていったら最終的に今保持しているこの記憶に、結びつく何かになるかもしれないが、それは聞いて見ないと分からない。
「君也みたいな子に、話しかけようとしてみたこともあったけど、僕はずっとされるがままでいたから・・・・声が出なくて。それで諦めだしたら、そこからは早かった」
どちらにせよ、店に着いたら解ることだ。浩二は詮索せず、話を続けることにした。
「僕は本当に、今日までずっと、人とまともに話せなかったんだ。話すのが恐ろしかった」
「・・・・・・とてもそうとは思えないな」
その言葉に、目頭も胸も熱くなった。
「それはね、君也の記憶で背中を沢山押されたから、だよ」
入り込んできた君也に、どうにか抗わなくちゃ、と必死だった。そうして勇気を出して大声を上げたら川上さんに会って、そこでまた君也が出てきて、諦めて君也のことを知る時間に回した。
そしてかかった電話で、僕の心が動き出したんだ。
手招きをしたのはすべて君也だった。浩二はただ、身体と記憶の間に挟まって、招かれるがままに動いただけだったのかもしれない。
「僕には・・・・君也がいないと駄目なのかもしれない・・・昔も、今も」
言ってから、そんなことを言ったら君也はますますこの記憶を取り戻さなくなるんじゃないか、と不安になってきた。
「・・・俺の捨てたそんなもんに、そこまで価値を見出してくれんのは、浩二だけだわ」
こちらも、浩二につられたように、なんだか泣き出しそうな声色だった。
「・・・・・・話してもいいか。俺の、今ある記憶の話」
しばらくの沈黙の後、君也が口を開いた。
「うん。聞かせて」
浩二はあまり動揺しないように、できるだけ優しく答えた。
「・・・昔の俺はさ、知ってるかも知れねぇけど、すごく人と喋ることが好きだったんだよ。だって、喋ることで相手が俺の知らないことを教えてくれるんだよ。それは、相手自身のことだったり、俺の知らない話だったり、色々だけどさ」
それはあまり覚えがない話だ。こちらの君也にはない記憶かもしれない。それとも、沈黙の恐怖で、見えにくくなっているだけだろうか。
「でも・・・大人になればなるほど、『話す』っていう、それは、ただの手段になってって、で、昔の俺みたいに自由に楽しめなくなってった」
それは浩二も知っている情報だ。そうなっていくにつれて人に対する疑心暗鬼の目が深まっていったんだと、把握している。
「話す、って言うのは、普通もっと、こんなに、俺みたいにさ・・・・大切な存在なんかじゃ、ないんだろうけど・・・・俺にとっては、ゲームとか、食事とか、旅行とかさ、色んなストレス発散方法よりも、コレだったんだ」
そんなに大切な存在なのに、どうして部屋で一人きりだったんだろう。浩二の背に嫌な汗が流れる。
「それだけじゃあ、ない。なんていったらいいんだろ・・・生きがい?とか、恋人?みたいな・・・もちろん純粋で健全なヤツね・・・そんな、感じだったのよ」
浩二には、君也のさまざまな記憶の統計から、先の展開が読めてきた。予想が当たれば、それは君也にとってとんでもなく苦しかったのだろう・・・・。
「話すの、好きだしさ、営業の仕事に就いたわけよ。始めは・・・楽しかったんだと、思う。そっちにいってるし、もう、覚えてないけど。
でも、段々他の人と差を感じ出した。やっぱり話すのって、「仕事」で。楽しみたいのは、俺だけで。やっぱみんな、話しながら全然違うこと、考えてんの。「話すことでどうやって誘導しようか」だとか、「どう利益に結び付けようか」とかさ・・・」
やはりそれで、話すことが嫌いになってしまったのか。
「俺、考えたのよ。この「会話に対する執着」を捨てれば、仕事をする社会人として、全うになれるって。もっと、好きでいる対象を別のことに置き換えられれば、って。でもどうしても、長年好きでい続けたけたものだから、手放せなくって。
俺、「記憶シュ」の話を聞いたとき、思ったんだ。「だったらその、「長年」を捨てればいいんだ」って」
そうか。おそらく君也には「会話への好意」を捨てることは、身を切るのと同じだったんだ。
例えその裏に「会話が止まって起きる沈黙への恐怖」があろうとも、会話への好意はずっとあったんだ。
だから今、浩二の手元にはないんだ。
「だから、長年を捨てた。俺には「会話」を捨てられるほど、非情になれる男じゃ、なかったんだ」
そして、君也は立ち止まった。
小さな木製の小屋。少しやつれたような木の具合で、立てられてからの年数を感じる。
周りの木々が、揺れている。浩二の心を表わすようだ。
扉の上の看板には「記憶シュ」と書かれていた。