記憶シュ 七片+一片=八片
「やっぱりそうよ!」
君也の母がうれしそうに声を上げる。
「君也が昔すっごくお世話してた子!あ!お母さん元気?もう何年かしら・・・あの頃はお母さんともよくお茶したわあ!」
さっきまでしおれていた母の元気が、一気によそ行きモードと本気の興奮で復活した。
そう、君也の記憶がいっている。
「あ・・・えっと、ハイ。母さん、元気です。」
「そう!よかったわあ!今度会いましょうって電話しなくっちゃあ!」
興奮のまま、一人色々と思い出話を始める母。こういうときの母には、返事や相槌などはなくても構わない。
浩二は自分のことに目をやることにした。
頭の中では君也の数年間の色々な記憶がグルグルと回っていた。丁度、あの紅茶を飲み干したときのような感覚だ。
でも、確かに。今思うと、浩二が苦手とする自分と対極の相手――そもそもそれを苦手になったのは、幼いころのあの子供、君也との生活が恋しくて声をかけに、似た雰囲気の人の席に立ち止まったことが原因だった。
そして彼が歩き回った記憶の場所は皆、浩二の知っている地名ばかりで、何よりも既視感。
―――もっと早く気づけた!
今更ながら後悔した。
「あ、ええっとその、君也君は今、どこに?お話してきてもいいですか?」
頭の整理が一通りついて、君也の所在を尋ねた。
この間、一人で何も合いの手がなく話し続けていた母は偉大だ。
我が家のおっとり物静かで、小声ツッコミを得意とする母さんとは違うタイプ。
「あ!・・・そう、よね。そうだった」
ハイテンションの母の様子がシュンとまたしおれだした。
そんなに今の君也は酷い状況なのだろうか。
「お通しするわね。きっと・・・期待してたあの子の姿ではないだろう、けど」
言いながら落ち込んだ顔で二階へと上がっていく、母。
浩二には、中学から社会人の序盤までの記憶しか知らない。君也が浩二と同級生なら、今は社会人三年目のはずだ。
二年間で、なにがあったのだろうか。いいや。それを差し引いても、きっとこの記憶さえあれば――
「君也。お友達」
短くいって、彼女は扉を開けてその扉で自分を隠すようにした。
君也の今の姿がそんなに見たくないのだろうか。それとも、君也に自分を見られたくないんだろうか。
浩二は、目線を正面へとゆっくりと向けた。
閉じられた射光カーテン。ラグの上に折りたたみのテーブル。近くに勉強机と、本棚。正面奥にベッド。
カーテンの柄だったり、置いてある本だったり、少しずつ相違点はあるものの君也の記憶のままの部屋だった。射光カーテンとベットの上で胡坐をかいて、軽く首をこちらに向けている青年を除けば。
「長谷川・・・君也、くん。だよね?・・・僕は、相田浩二。幼稚園の時、一緒だったんだ・・・でもそれは、ついさっき聞いたばっかりなんだけどね」
言いながら少しずつ距離を詰めていく。
「・・・僕の勘違いだったらいけないんだけど、君さ、中学から、社会人なり立ての頃の記憶・・・ないんじゃない?」
君也の目が見開かれて、身体がこちらへと向いた。
「・・・・なんで」
そのかすれたような声に、傍から見る君也の印象は一切感じられなかった。ただ唯一、内面を知っている浩二からすれば、沈黙を恐れていた君也の面が強く出ているだけだろう、と解った。
今の君也には、トラウマも、実績もほとんど経験していないはずだ。だから沈黙に強く、そして社会に脆いのだ。
「・・僕と一緒だ」
思ったことがそのまま出た。突然の発言に、浩二自身もあわてる。けれど、呼吸を整えて、じっと彼を見つめた。
僕は今、そんなことに焦っていられないし、もう焦らない。
度胸の塊のような君也の記憶を持っているから。
「君のね、なくした記憶を預かっているんだ。今は僕が。前は――きっと、未明って名前の、ポニーテールの店長さんが」
いいながら浩二は両手でポニーテールを結ぶような、はたまたちょんまげでも結うような、髪をまとめるしぐさをした。
「ミアケ・・・・・・・クルメ、だったか」
どうやら、あの店に来たことがあるようだ。当然といえば当然だが、浩二にはまだ少し偏見が残っていて、君也みたいな、軽そうなノリの男も、あんなに苦労して山を登って店まで行ったんだろうか、なんて思った。
「確かに・・・・預けた。というより、あげた・・・・いや、すてた・・・・だから君は・・・・それを持っていってくれ」
流石に君也だ。言葉につまりはするけれど、そこに迷いや緊張は感じない。
「いいや。君也にはこれが必要だ。僕が保障する」
「違う。いらないよ。俺はそれを、捨てたんだ・・・・捨てた瞬間、晴れ晴れしくて愉快な気持ちになれた・・・・あの興奮と感動は、紛れもなく、その記憶が要らない証拠だ」
段々つまりが減ってきた。もしや、最近話していなくて言葉の出が悪かったんじゃ、と心配になる。
「・・・じゃあ、今の君は充実しているの?」
半分、諦めるような気持ちで聞いたそれに、それは・・・と、言葉が濁った。
じゃあ今は押すときだ。君也の会話も、そうやって話を進めてきた。
「そうじゃないなら、一緒にあの店に行こう。・・・・僕は、君の子供時代なら大抵のこと、知っているけど、それでもどうして記憶を捨てたのか見当がつかない。それってつまり、記憶を捨てたくなるようになった理由は・・・君の中にあるんでしょ?そしてそれを確実に把握しているのは・・・おそらく、君と、あの店だけだ」
君也の口が、半開きになったまま止まった。すっと息を吸うが、その先が言葉にならないようで、その動作を二度、三度として――諦めたように長い溜息をついた。
「しょうがないなぁ・・・・他ならぬお前の頼みなら、聞いてやるよ」
よっこいせ、と立ち上がってベットから降りた君也の表情は、諦めたように笑っていたけれど、明るかった。