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*4 誰かを、大事におもう


すごくお久しぶりの投稿になってしまいました。
こんばんは、四藤 汐(よつふじ うしお)です。

更新していない時も、フォローしてもらえたり、スキを押してくださったりした方、本当にありがとうございます。
特に変わったところもない平々凡々な私ですが、どうぞ、よろしく。


さて、四月の終わりは満月でしたね。
私の住んでいるところからは、月がまっすぐ白く光っているのを見ることができました。皆さんは月を見ることはできました?

昔からの癖なんですが、月が見えると、月を見上げてしまうんですね。月ってどこに歩いていってもついてくる。まるで自分の見守り係をしているような。信号待ちの時、電車を降りた時、温泉につかっている時なんかも、よく見上げてしまいます。それで「きれいだなぁ」と思う。きれいだなぁ、と思った後は、「好きな人たちは今、この月を見ているかな」って、好きな人たちのことを思い出します。

誰かといる時に、その誰かを思い出すことはないじゃないですか。
例えば、Aさんと遊んでいて「Aさんは今どうしているかなぁ」とはならない。Aさんといる時は目の前の遊びに集中していて、Aさんのことを思い出すことなんて、まずないですよね。というか目の前にいるもんね。
Aさんと一日遊んで、ばいばいと手を振って、それから電車に乗って家路につく。その時に、ふと空の上に大きな月があることに気付く。今日は満月だったのか。その時に「Aさんはこの月見ているかな」って思うわけですよ。

何かを見て、誰かがそれを見ているかな、って思う気持ちは、私はものすごく大切で大事にしたいものなんですけど、目の前にいる時よりも、離れている時の方が何倍もAさんのことを考えているんですよね。それってものすごく切ないことだなぁって。一緒にいる時の方が蔑ろになっている時もある。ふとしたきっかけで喧嘩しちゃうこともある。離れてやっと、「あの時ちょっと言い過ぎたかな」とか「もっと言い方あったな」とか冷静に物事を見れるようになって、仲直りができたりする。そう考えるとすげえ自分がやなヤツに思えて止まらなくなっちゃって、衝動的に今キーボードを叩いてます。無心で。(笑)

人を大事にすることって、絶対に切なさが付きまとうものだと、最近痛感しています。誰かひとりとの時間を選んだときは、誰かもう一人を選ぶことは出来ない。その間に、極端な話、選ばれなかった誰かは死んじゃうかもしれないんですよ。もう二度と会えないかもしれないんですよ。逆も然りなんだけれど。
だから、私は「選ぶ」ということがものすごく怖いことだなって。同時に「選ばれない」ものの方も考えてしまうから。

書きたいこと書きすぎてわけわかんなくなってきたな(笑) 最初のテーマからだんだん外れてきましたが、こんなnoteもあっていいかな。たまにはね。
知人に言われたのですが、「四藤は訳わかんないところで全部繋がっているよね」と。
そうなんですよ、変な思考回路があって、自分の中では話つながってるんだけど、周りから見たら「なんでそこでそうなった!?」みたいな考え方みたいです。一応全部繋がってるんだけどなぁ。
だから整理しないと、毎回noteがこんな感じになっちゃうので、うまい具合に整理してnoteというかたちにしていければいいなぁと思います。


noteで繋がることができた人は、文章で繋がれた人たちなので、ものすごく友だちに近い感覚があります。コメントも嬉しいし、メールなんかくれてもすごい嬉しいです。今は自分の中の冬眠期(これもまたおいおい話すね)を抜けて、わりかしフットワークが軽い時期になってきたので、楽しいことをどんどん企画したり、楽しい企画に参加したり、いろいろやっていけたらいいなと思う。その際にはみんな乗っかってくれればいいし、のりたくなければ乗っかんなければいいし、おのおの好きなふうに、好きなように生きていってくれればいいなと思います。

いやあ、本当に今回はあっちこっちにテーマが飛んじゃってますが、そんな日もあるということで。
そいじゃあ、またね。

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四藤 汐 (Yotsufuji Ushio)
noteを見てくださってありがとう。私の言葉であなたの心が少しでもあたたまったのなら、それ以上に嬉しいことはないです。Twitter(@ushio4222)もよろしくね。