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5* 人のnoteにスキをつけるのが好きだ。

今日は、このnoteを読んでくださってる方に、自分の話をしようと思う。というのも、私はnoteに出会ってから調子がいい。調子がいいと、伝えたい文章がポンポン浮かんできたり良い創作のアイデアが浮かんだりする。この調子が続くことは私のためになるし、もし調子が上がらないという人がいれば、このnoteが何かの手助けになればいいな。そう思ってキーボード叩いてるところです。

(まぁそんなことを言ったって、いつも自分の話ばかりしているのだから、「今日こそ自分の話をします!」とかそういうことではない。人の批判をしていたって映画の感想を言ったってそれは結局「自分の話」なのだ。主観的にしか物事を喋ることはできないのだから、その自覚をもってどんどん主観的な自分の話をしていければと思うし、皆さんもどんどん自分の中の主観を話してくださればいいと思う。みんな違ってみんないいと思えれば、この世の中はもっと広々とした自由なものになると思うよ。)

ちょっと前まで、「冬眠していた」

私は約一年間の間、会社員として働いていた。その当時、やめた原因は会社側にあると思っていたけれど、今思い起こせばそんなことはない。私は自分側の原因を相手側に押し付けていた部分もあった。「嫌なことの原因は自分にある」と気づいてからは、生きるのが少し楽になった。それまで私はそこらへんの石になりたかったし、誰にも気づいてほしくなかったし、誰に迷惑もかけたくなくて、毎日消えたかったのだ。そう考えたらちょっと成長したな、自分。えらいぞ、自分。

会社勤めをやめて、自分の好きなことで生活していきたいと思っていたけれど、活動を始められたのは最近のことだ。というのも、私はいろんなことを考えすぎてがんじがらめになっていた。好きなことをやろうと思ってもやれないのだ。好きなことをやろう!と思うと、眠くなる。そうして一日の半分以上を眠っていた。変に過食気味で、精神は鬱々としていて、未来が怖かった。このまま歳をとって、私はつまらない人間になってしまうんだ。このままお年寄りになって何も作り出せないまま死んでしまうんだ。そう思って毎日眠っていた。

そんなときにnoteに出会った

大事な出会いなのに、どうやって出会ったのか覚えていない。多分意識も朦朧としていたし、あんまり覇気がない時期に出会ったのだろう。飽き性なので続くか分からなかったけれど、一番最初に投稿したnoteはありがたいことにいろんな方に読んでもらえて嬉しいコメントもスキももらえた。文章を書くのは大好きだったけれど、こうやって誰かに読んでもらうことはそんなになかった。だから反応をもらえるということにものすごく興奮した。

ビューの数もスキの数もただの数字だなんて思えない。遠くにいるかもしれない近くにいるかもしれない顔も知らない誰かが読んでくれて、評価してくれる。画面の向こう側に、人がいる。私はその一人ひとりに直接会ってお礼を言うことは(今のところ)できないけれど、でも画面越しから「ありがとう」と思っているよ。有難いとも思う。読んでくれた人の貴重な時間を、私のつたない文章にかけてくれて、本当にありがとう。

そして、読んでくれる人がいると同時に、自分のことを表現したくて文章を綴っている人がたくさんいることも知った。コラム・小説・写真……いろんなジャンルに分かれているけれど、更新記事もなんと多いことだろう。一つひとつ見るには時間がない。時間がないけれど、私は結構、noteを頻繁に見てはスキを押したり、コメントを書いたりしている。なぜって、それはねぇ。

スキやコメントをもらうと嬉しい

って私が思うからです。私は幸運なことにnoteがよく知らない状態のまま(今もよく分かってないけど)スキやコメントをもらえて、それがとっても嬉しかったんですよ。ああ、自分って文章書いてもいいんだなって思えたの。自分の意見を書いたって笑われたり馬鹿にされたりしないんだなってその時はじめて思えたんですよ。その気持ちは、名前も顔も分からない、画面越しの誰かからもらったものです。反応がないって怖いんだよね。誰も自分のことなんて見てないんだって思ったら、人はその行動をやめちゃうわけです。虚空に何かを投げかけたって何も返ってこないし、だったらみんな虚空に呼びかけることはやめちゃうよね。それを黙って聞いている人がいたとしても、それは相手には関係がない話。何かを表現するって時は、認められたいし、よしよしされたい。(えっめっちゃ褒められたくないですか!?! 四藤の文章いいなあ!とか言われたらニマニマしちゃいません!?!)

だから私は、誰かが表現していていいなあ!と思ったものには積極的にスキをつけるし、コメントもしてます。日本で生活しているときに、誰かの信条だったり心の言葉って聞く機会があんまりないんですよ。少なくとも私の周りでは「声の大きい誰かに同調している」って図が多い。「あ~そうですよね~」「わかります~」みたいな会話が多い。でも実際に同調できる場面ってそんなに多いのかな?とも思うんです。とりあえずで頷いてない?敵は作りたくないし、反対の意見を言って場がしらけちゃうのもな~とか考えてません? 私は以前、めっちゃ考えてました。対立することも怖いし、自分の意見を言うのってエネルギーを使うから、やめとこっかってなっちゃうんです。変に省エネの考え方になってた。「だよね~」とか「わかります~」とかの方が楽ちんなんですよ。

でもnoteに出会って、人のコラムを読むようになってから、「自分の考え方と違う!」ってコラムを結構見かけるんです。いやそりゃまあちょっとずつは違うにきまっていて、それは分かってたんだけど!分かってたんだけどね!こんなにいろんな人がnoteを書いているのに、被る記事や考えってそんなにないなぁと思うんですよ。書き方の切り口も十人十色だし。

だからnoteという場所は面白くて、私はいろんな人に表現することをやめてほしくないなぁと思います。

だからコメントもスキも伝えます。その表現やめてほしくないんですよ。最終的には日常的にでもそんな人が増えていってくれればいいなぁ。いろんな場所でいろんな議論があって、それがギスギスした空気を持たないまま進んでいく、そんな場があちこちで起きれば、日本だってどんどん変わっていくんじゃないかと思います。もういいじゃん、空気読まなくて。見えねぇんだから言葉で確認しながら進もうぜ。

コメントやスキは循環する

そして、コメントやスキをつけると自分に返ってきます。あら、びっくり。いろんな人に自分の好意を伝えるだけで、自分の言葉を読んでもらえたり、嬉しい感想をもらえたりするんですね。なんだそりゃ。一石二鳥どころじゃねぇ。スキでもコメントでもなんでもするわ。

そんな感じで最近は誰かのnoteを読み、誰かに好意を伝えて、そのお礼を言ってもらえるという好循環の中にいます。だから、私自身の文章に対するモチベーションも上がるし、いろんな人の表現を見たいと思う。「こんな文章の表現方法があったか!」「このタイトルの付け方は素敵だなぁ」など勉強になることもたくさんあります。

だからとりあえず、モチベーション上がんないとかつまんないなって思ってる人は、人をほめたり好きな人に好きって言ったらいいと思うよ。大事なのは本当にその人のことが好きで、その気持ちをありのままに言葉にすることです。嘘って分かるから。人に嘘をつくときは、自分にも嘘ついてて自分にも負担かかってますからね。相手も自分も損するからね。正直にね。

というわけで四藤でした~。長い文章読んでくださってありがとう。


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四藤 汐 (Yotsufuji Ushio)
noteを見てくださってありがとう。私の言葉であなたの心が少しでもあたたまったのなら、それ以上に嬉しいことはないです。Twitter(@ushio4222)もよろしくね。