「母親業、やっめまーす!」と言いたくなった夜
相変わらず、休日の過ごし方が自堕落だ。
ある意味、優雅ですらある。
お昼までごろごろ。
起きたら文章について考えてカタカタ。
夕方からダンスや芝居をしにいく。
こうやって書くと、なんとなくかっこいい。でも実際は違う。
お昼間でごろごろ、起きたら文章について考えようとするけれど、ネットを見てぼー。子どもたちに「お母さん、お昼ご飯は何?」と聞かれて、現実というこん棒で頭を小突かれる(殴るまではされたくない)。
どこの家でも一緒なのかもしれない……と思いたい。
でもさ、素敵な方々は、朝活なるものをして1日の活動時間をハイパーモードにしているんだろうなあ。
いってみれば
独身時代のぐーたらと、4児の母のハードモードをハイブリッドさせた感じになっている。「忙しそうじゃん!」と思われそうだが、そんなことはない。割合が違うのだ。
だいたい普段の休日は、
ぐーたら:ハードモード=8:2
でも、ときどき
ハードモードがリミッターから溢れてしまうこともある。
ちょうど先日がそうだった。
あることで、私はひどく落ち込んでいた。
「何をやってもダメなんだ」と自分を責めるモードに突入して、キッチンの壁にもたれ、うずくまり、動けなくなった。
詳細は語れないけれど、とにかく自分にうんざりしたのだ。心底。子どもからは「夕飯、まだ?」とせっつかれても、壁に吸い寄せられていく。
どうしても、体が重くて動けない。ケータイをスクロールさせながら、私が今までダメだったことを脳内リプレイさせて、自分を罵っていた。
でも子どもは「ご飯、まだ?」とせっついてくる。
だから
「食器洗って、お米炊いてくれたら、私が夕飯つくる。お願いできる?」
と娘ちゃんにたのんだ。
「どっちかだけならいいよ」というので、お米をお願いした。
するとキッチンの端っこにいる私に向かって、邪魔だからどけといってくる。そこそこの広さがあるので、1人くらい余分な人間がいても接触しないはずなのに……。
動く気力を失っていた私は、移動できずにいた。何度も言われ、仕方なく無理だといったら「じゃあやらない」と、リビングにもどってしまった。
協力者、去る。
どうにかして、ご飯を食べさせなくてはいけない。
Uber Eats、出前館……いろいろなサイトを見て注文を試みようとした。
6人家族なので、すごい出費だ。だが動けないし、誰もかわりをやってくれないのだから、お金さまに働いてもらうしかない。なにがなんでも、家族の胃袋を喜ばす必要があるのだ。
でも残念ながら、私の提案は子どもたちに却下され、怒られた。料理をつくれと。
ときに子どもは残酷だ。
母の精神状態など、おかまいなし。まあ、なにも知らないから仕方ないのだけれど。忖度なんて働かない。
とはいえ、間違ってはいないのだ。
大学受験をするにも、1校2〜3万円かかる。10校くらい受けたいと思っている息子にとって、私の出費はとてもうんざりする行為なわけで。節約が必要だというのも、納得できる。
ごめんよ。でも今日だけ、落ち込ませてくれよ。
そう言いたかったけれど、いえなかった。「なんで?」と聞かれたら、なんと答えていいかわからなかったから。誰にかに伝えたとたん、自分が真っ直ぐ立っていられなくなりそうだったから。
やっぱり母親は、何があっても母親でなきゃいけないんだなあ。
落ち込んでも、疲れても、ごはんを食べさせなくちゃいけない。その手段は、宅配メシでもコンビニでもいいけれど。何かしらを食べさせる必要がある。きっと、たぶん。我が家では、それが正しいみたいだ。
お金持ちなら、毎食ウーバーでもいいけれど、庶民はそうもいかない。そう思ったらバカバカしくなってしまった。
「母親業、やっめまーす!」
と言いたくなった。
でも、いえなかった。言う気力すら消滅していた。というか、言ったってなにも変わらない。
だから私は立ちあがり料理をつくり、提供した。そのほうが、なにも考えずに済むから。やるよりも、やらないほうが面倒が多いのだから、とっとと終わらせたほうが生きやすい。
お米と焼き魚も揚げ物とトマト。なんてことはない、夕飯だ。
ごはんを囲み、家族で食べた。テレビを観ながらごちゃごちゃとコメントする言葉を聞いて、「おいしい」といわれて。おかわりしてもらえて。いつの間には、私はわらっていた。
落ち込んで、口角の下がっていた自分が嘘みたいに、ケラケラと頬をあげていた。
数時間後、我が家のキッチンがピカピカになっていた。娘ちゃんに「洗ってくれて、ありがとう」と伝えると彼女は得意げにわらった。
ああ。母親業、やめなくてよかった。
心からそう思えた夜だった。