#20 【備忘録】発症から半年経ちました、報告、なのかな。
久しぶりの更新、ですね。
入院した頃はまだ桜が咲く前だったのに
気が付けば
金木犀の話題が上がるようになりました。
さて。
先月9月中旬で
最初の手術/腓骨神経麻痺発症から半年、
リオペから3ヶ月が経過しました。
結論から申し上げますと、
更新されなかったこと/できなかったことが
すべての答えです。
時間は経ちましたが
状況は何も変わっていません
これに尽きます。
これ以上はありません。おわり。
尚変わったこととしては
ある程度筋力を取り戻して
生活がし易くなったことくらいで
足首の背屈は一向に改善されません
強いて言えば、足の人差し指だけ
全力を注げば伸ばせるようになりました
前の更新でもお伝えした通り
「半年かかって漸く変化が出始めるか否か」
と言われたように
今のところ大きな変化はなく、
「ご本人にとっては忍耐の要る辛い時期ですね」
と言われたぐらいである
比較的忍耐強い方だと思っているし、
ずっと未知に向かって
リハビリを続けてきたわけだから
今更どうこうといったことはない
ただ、
自分のスペースに引き籠ることが
より一層増えました
転院直後の燃え尽き症候群状態から脱出し、
一時は装具をすれば走れるまでに
コンディションを持っていけたが、
足が上手く扱えず
親指の皮をベロっと持っていかれたり
何日も胃痛に悩まされたり
暴食が増えたり
胃下垂になったり
肌が荒れまくったり
爪がボロボロになったり
自主トレに集中して取り組めなかったり
自律神経バッキバキになったり
元々眠るのが下手だが更に下手になったり
最近は寒すぎて
何も手を付けられない状態になったり
した、記憶が、ある。
こんなの断片に過ぎないが
まあ良いことの方が少なかったかな
誰かと遭遇すると
話しかけられ
それが嫌で
夜、人気の少ない頃に動き出す度に
淑女に
「こんな時間にどこに行くの?」
「何しているの?」
「いつも何処に行っているの?」
と話しかけられたり
場合によってはついてこられたり、
距離感の分からない紳士に
親しげに手を振られたり話しかけられたり、
仕事の収録をしていると
「声がしたから」と話しかけられ
ずっと其処に居続けられたり、
(仕事を中断せざるを得ない)
こちらが電話をしていると分かっていても
何も言わず側に在ろうとされたり、
兎に角ひとりになりたいのに
全くのひとりになんてなれなくて
やらなければならないことと
やりたいことの実現が
本当に難しくて。
「私、大部屋とか絶対に無理」
というマンションを所有している淑女には
「個室じゃないの?いやー無理でしょう」
と軽々と言われたり。
絶えず、代わる代わる、
愚痴と自慢話と井戸端会議が繰り返される。
「どこが悪いの?」
「もう帰れるんでしょう?」
「普通に歩けるんだから大丈夫でしょう?」
「コロナで仕事無いんだから良いじゃん」
「時間が沢山あって良いじゃん」
ひとの抱える問題とは
目に見えるものだけとは限らない
けれど
そんなことことばで説明したところで
伝わらない
真実を目撃して
漸くひとは納得する
それでもいい。構わないよ。
でも自分の尺度でしか話ができないひとが
あまりにも多すぎて
人間の縮図に触れた気がした。
そうして
根本は変わらなかったけれど
沢山のことを学びました
家に持って帰ってほしいものを
スタッフさんに預けると
家族のもとに渡る前に
個人情報が含まれていても関係なく
勝手に何が入っているか見られる
鼻歌すら歌うことを躊躇う環境だし、
大きめの声を出すなんてもっての外。
意識しないと表情の変化は殆どない。
外出の許可がもらえても
自宅(僕の場合実家)にしか
行くことが許されず、
買い物に行っても車内待機がルール。
実家在住の家族以外には接触禁止。
外に殆ど出られていないし、
外食も一切できていない。
病院食に飽きはしないけれど
代り映えの無い日々には飽きて、
外泊許可を貰えた時には
カップラーメンを久々に食したら
あまりの味の濃さにお湯を足してしまい
味覚の変化も感じた。
(これに関しては退院すれば直るらしい)
院内でも外来の患者さんと接触しないように
行動範囲が限られているし、
屋外庭園以外の外にはこの半年間で
十数回しか出られていない。
外泊の許可がおりても
離れている自宅への帰宅は許可されず、
もう幽霊屋敷と化している。
何処にいても誰かが居る
誰かに常に見られている
誰かの気配を常に感じる
内包して内包して
仕方なくことばにした時には
蔑ろにされることなんてザラで、
本当の意味でひとのことを
見られている/考えられているひとなんて
殆どいないんだという現実もまた知った。
そうして自分もまたそうであろう。
そうした積み重ねが
少しずつ、少しずつ、重なって、高くなって、
崩れはしないものの
宛らジャックと豆の木の豆の木状態である
確かに、細やかでも変化はあったし
嬉しいことばを受け取ったこともあったし
一部のひとを除き病院のスタッフさんには
本当に良くしていただいているし
決して悪いことばかりではなかった
良いことも、学びも、沢山あった
その中で
決めなければならないことは沢山あって
そのどれもが
自分の人生を
大きく左右してしまうレベルのもので
「ご本人に任せます」
ということばが
いかに自由で
いかに残酷であるか
沢山感じた時間でした
スポンジは乾いていないと
吸収しないかもしれないけれど
水をかけ続ければ
同じ水だとしても
古い水と新しい水が
少しずつ混ざり合って、入れ替わって、
時間はかかっても、経過が異なっても、
それは吸収していることと
同じ状況になるのだなと
水を浴びざるを得ない環境に
身を置き続けることの
大変さと大切さも知りました
今またひとつ岐路に立たされて
ひとつの選択をして
また変化していくことになります
これが吉と出るか凶と出るかは
分かりませんが
自分の決めたこと
だから納得することはできます
一旦の目安となる12月中旬まで
引き続きリハビリを続け、
その頃に少しでも
改善が見込めるといいなと願いつつ
本当の意味で
生きること、について
考えていきたいと思います。
それでは、
まだまだ時間がかかるという報告でした。
どんどん寒くなってきましたけれど
病院は未だ暖房をつけられない期間らしく、
異常なまでに寒がりな僕は
毎日のように凍えています。
皆様どうか
あたたかくしてお過ごしくださいね