#19 【原因判明】なぜ腓骨神経麻痺に? - 今の想いを添えて。 -
続けて書いて一旦すべてを置いていくつもりが
状況/状態というものは刻々と変化するもので。
つい足を止めてしまい。
グッと留まって、また動き出して。
未来が現在になることを見通すと
現在に過去を置いていかねばと、
再び動き出せた感覚。
漸く筆を進めることができました。
それでは本題。
タイトルにある通り
なぜ腓骨神経麻痺になってしまったのか
判明いたしましたので、纏めます。
何度もお伝えしますが、
別に僕は嘆きたいのではなく、
あくまで同様のケースで困惑されている方や
情報不足で困っている方のお力に
少しでもなれたらいいなと思い纏めていることを
改めてお伝えさせてください。
しかしながらレアケースでしたので
参考にならないかもしれませんし、
主観を含めないと語れない部分も多いです。
それが「僕の体験記」だと思って
御覧いただけますと幸いです。
さて
発症原因が判明したのは、手術中でした。
この日は14:00過ぎに手術室へ向かい、
1時間半の手術を予定、
麻酔処理等を含めても2時間半程度で終わるので
夕方頃には目覚めるだろうと予想していました。
当初受けたのは
【 神経剝離術 】
腓骨頭(膝の外側にポコッと出ている骨)から
膝裏にかけてを切り開き、
原因となっていると予想される圧迫から
神経を解放してあげることを目的としていました。
本来は腓骨頭の傍を数センチ切るパターンが多いようなのですが、
僕の場合は主治医が気になる部分を
全て虱潰しにしたかったようで、
盛大に約10㎝切り開き、10針程縫いました。
話によると、腓骨頭の方から中を確認しつつ
徐々に膝裏にかけて切り進めて広げていった模様。
すると…
前回の手術時に半月板を縫った糸に
巻き込まれた神経を発見。
神経の周りも瘢痕(はんこん)が酷く、
それらを全て取り除き、
きつく締められていた神経を糸ごと切って解放。
※瘢痕とは瘡蓋のようなもので、
損傷を受けている箇所を守ろうと
自己防衛で発生するらしいのですが、
神経の周りに存在すると
かえって圧迫を助長してしまう場合があるとのこと。
悲しいかな、自分で自分の首を絞めている状態。
これで漸く神経は自由の身になれました
が
辛うじて中心部分は繋がっているものの
その細さは本来の太さの3分の1程度になっていました。
(実際に後日写真を見せてくれました)
このままでは回復に時間がかかるどころか
回復すらしないかもしれない、ということで
急遽人工神経を入れることになり、手術は
【 神経再生誘導術 】
に変わりました。
神経同士を繋ぎ合わせることはできないようで、
神経再生を助長することを目的とした、
損傷してしまった箇所を筒のような人工神経で覆う
というものです。
あくまで再生し易いように
「 お手伝い 」したに過ぎないのです。
この人工神経を入れるのには
手の神経手術を専門とされているDr.が担当してくださり、
写真ではよく見ないと分からないくらい
綺麗に元の太さに合わせられていました。
(この時用いられる糸は髪の毛より細いそいうです…凄い…)
この手術が終わったのは19:30近く。
当初の予定を2時間以上オーバーする
3時間40分に及ぶ手術だったそうで、
麻酔処理なども含めると5時間近くかかり、
目が覚めるとすっかり真っ暗になっていました。
因みに
「 なぜ、筒(人工神経)で覆うのか 」
というと、
例えば
① 4畳半の室内にいる好きな人と手を繋ぐ
② 宇宙の中に放り出されている好きな人と手を繋ぐ
この2択が存在した場合、
「相手に到達したい」という目的は同じでも
その難易度が異なります。
より到達し易いように
範囲を限定してあげることが
人工神経を用いる理由のようです。
但し、
神経は1日1mmしか伸びないそうです。
僕の場合、損傷を受けてしまったのが
丁度膝裏辺りの神経だったので、
そこから足の親指まで長さが仮に30㎝だとしても
神経が到達するには300日
順調にいったとしても
およそ1年近くかかってしまう
という計算になります。
神経が順調に伸びるという保証もなく、
仮に伸びた新しい神経が
元の神経と合流できたとしても、
お互いの相性もあるようで
うまく融合/機能できるとも限らないそうです。
尚、植物の茎に走る管が
師管と道管で働きが異なるように、
人間の神経も1つの神経の中で
外側と中心付近では働きは異なるそうです。
特に損傷を受けた外側は
皮膚感覚に繋がるものだそうで、
今後もどれくらい回復するのかは未知です。
術前は触られると気持ち悪いと感じていた感覚が
術後には早い速度で触れられる(ex:撫でる/拭く)と
痛いと誤認識するように変化しました。
少しでも強く触れられると何倍にも感じられて痛みます。
これに関しては気長に付き合っています。
主治医は術後、
家族への報告電話で
原因を謝罪すると共に
「 やれることはやりました 」
と伝えたそうです。
では何故、
このようなことが起きてしまったのか。
根本的な原因は何だったのか。
医師からの説明はこうだった。
半月板の縫合時、
周りの神経等を傷つけないように
目視で確認しつつも
保護板でサポートしながら
縫い進めていくそうです。
しかし、直接確認できるのにも限界があり、
見えない部分は内視鏡を使って縫合したそうなのですが
その最後の部分を縫う際に
神経を巻き込んでしまったと言います。
更に、その保護板の長さが足りていなかった、
細心の注意を払って行ったが
結果的に巻き込んでしまったと説明されました。
要は、僕からすると
【 医療過誤 】
です。
医療関係者は
「 Dr.も人間だから 」
と人間誰しも失敗はあることを伝えてきましたが、
それは大いに理解できるし
その点を責めるつもりはありません。
責めたって時間が戻る訳でも
僕の足が100%元通りになる訳でもない
ただ、
僕も、人間、です。
まだ20代
仮に平均寿命まで生きたとしても
あと60年の人生が残されています
まだ人生の4分の1しか過ごしていない
何なら最も活動的で在れる時期が
どんどん過ぎ去ろうとしてる中で、
その時間を加速されてしまった。
でもこれが僕の現実です
原因が分かったことに安堵する一方、
信頼していたDr.のミスに思考が追い付かず、
最早何を信じて良いのか分からなくなりました。
「そもそも、神経一緒に縫っちゃっていたら
相当痛いですからね(笑)」
と、膝の術後、
病状説明時に主治医が放ったコトバ、
僕らも受け止めていましたが、
その「相当な痛み」を
僕は約3ヶ月共にしていたのかと思うと、
深夜に夜泣きの如く悶絶したことも
時間が経っても解消されない痺れにも
納得することができて
「僕の感じた痛みは間違っていなかったよ
よく耐えましたね自分」
という気分にさえなりました。
こんな状況になりながらも
主治医から簡単な謝罪があった以外
これといって対応はありませんでした
看護師陣は
「先生に何か言ってやりなよ!」
と日々囃し立てましたが、
あくまで僕に言うだけ、
彼ら彼女らが自らマイナスを被る言動をとるはずもなく
ただコトバだけが繰り返されました。
もしかしたら同情してくださったのかもしれない
しかし、それは、効力を持たない、
ただの文字が音に成ったもの。ノイズ。
僕らからも状況説明以外は
一切要求しませんでした
淡々と現実を受け取りました
10日を予定していた手術による入院期間が
術後には2-3週間に伸びて、
最終的に再々転院まで1ヶ月かかりましたが
それでも何も言いませんでした
でも、今は、少しずつ、
いろんなひとのチカラを借りて、
真実と未来を求めて、動き出しています。
これからも、まだまだ状況が変化して、
最初の手術後の時に
「管理不足が原因」と思い込んでいたように
現在の何かしらも嘘に変わるかもしれない。
それでも、今の自分にとっては、
これが真実です。
麻酔や薬が効いている
ぼんやりとした脳味噌のまま、
手術をしたんだから、きっと動く!と思い、
何度も何度も動かそうとしましたが、
僕の足首は動きませんでした。
感覚もありませんでした。
それでも日々、動かそうとする
動かない
動かない
キモチが追い付かなくなる
動かない
諦め始める
動かない
嫌になる
動かない
動かない
変わらない
手術から2ヶ月以上経っても、
一向に大きな変化はありません。
それどことか麻痺が悪さをして
本来改善させたかった膝の負担が増え、
かえって膝が痛む日々でさえあります。
再々転院した直後には
やる気に反して燃え尽き症候群のようになり、
装具やサポーターと
上手く付き合えなかったことも重なり、
現実と上手く向き合えず半引き籠り状態になり、
必要最低限の歩行以外歩くことを辞め、
トレーニングも殆ど手がつかず、
唯々時間の流れを見つめていました。
1ヶ月近くの時間をかけて
遠回りして、ゆっくり、ゆっくり、
今の状態まで持ち返すことができました。
持ち返せた理由は、
自分のチカラではないです。
これについてはまた別途。
これまでの僕の人生、
幼少期から「普通」とは異なることが多く、
沢山想い、沢山手離して、
沢山諦めて、沢山失ってきたけれど、
難儀なことはそれでも続き、
こうして自分の身体の自由まで失うと、
正直ちょっと面白いくらいです。
来るなら来い
受けて立つ
普通のひとでは見られない景色が
今、僕の目の前に広がっている。
奇跡でも起きないと治らない
だから、今は、
どうやって生きていこうかなって、
たのしんでいます。
今しかできない表現って何だろうなって
こんな僕だからできることって何かなって
不自由ながらも考えたり思ったりしています。
ただひとつだけ
思うことがあるとすれば、
術後久々に再開した母が
僕の傷口を見つめて
なんとも言えない表情で
その傷を
ゆっくりと
なぞり続けたことが
忘れられません
まだまだ課題は山積みですが、
漸くここまで辿り着きました。
当初、初夏の復帰を目指していた仕事も
冬の復帰を目指す形に変わり、
今は、それさえも、叶わない。
それでも、いつか、
違った形でも、戻れるように、
自分を高めていきたいと思います。
最後に補足をしておくと、
一応歩くことはできます。
装具やサポーターを使えば
普通に難なく歩けているようにも見えます。
唯、何も無しで歩くのは大変です。
逆を言えば補助がないと通常歩行は困難です。
ここからどれだけ回復できるか
まだまだ全然わかりませんが、
変化が有っても無くても
今後もこうして遺していきたいと思います。
長くなりましたが、
最後までご覧いただき、ありがとうございました
どんな状況でも
じぶんのための
さいわいを求めて