#22 退院直後から現在の変化-生活面-
前回の報告更新が10月下旬
そこから約4ヶ月が経ち、
腓骨神経の神経再生誘導術から
約8ヶ月が経ちました。
ひとつの目安と言われる半年を経て、
実際病院を出て過ごしてみてどうだったか
退院後の生活面についてフォーカスを当てて
記していきます。
半年以上の入院生活から一転
ひとり暮らしの環境に戻ったのですが、
正直
まあああああああああ
難儀でした。笑
入院中の外泊時にも感じましたが、
病院は本当に守られている環境であると
改めて感じる日々でした。
細やかな段差が
細やかな坂道が
細やかな地面の変化が
何気ないひとつひとつが
気にも留めなかったひとつひとつが
悉く意識の対象に変化していました。
でも好奇心旺盛さんなので、
何も知らないこどもの如く
今まで知っていた筈のことを
改めて「どうやってやろうかな?」
「どうしたら良いかな?」と
向き合いながら過ごす日々は
決して苦ばかりではありませんでした。
何より自由に声や音を発することができたり
自分のタイミングで行動できたり
仕事だろうとプライベートだろうと
ひとと会ったりできる生活というのは、
不便さ以上の豊かさを齎してくれました。
その中でも特に苦戦したことについて
留めておきます。
◎装具有と無の違いに慣れない
入院中はずっと靴を履いて生活していたので、
室内で装具OFF生活をするという状態に
慣れることがまず大変でした。
装具有と無では
できることの幅が結構変化する上
二次被害の危険性も格段に上がるので
帰って来たからといって
豊かな生活が待っているわけではありませんでした。
足首を捻りやすいことは勿論
床で滑っても咄嗟に踏ん張れる力を発揮できない状態だったので、
医師からは室内履きを用意しておくのも良いと
退院前に勧めていただきましたが、
僕はその選択をしませんでした。
ひとによっては外出用の装具と室内用の装具を
使い分ける方もいらっしゃるそうです。
僕も何種類か異なる装具を外泊時に試してみましたが、
基本的に靴ありきなものが多いので
装具だけでは滑ってかえって危なく、
また床が大いに傷つくので辞めました。
(だからこそ室内履きを提案してくださったのですけれどね)
でもやっぱり僕は日本人で、
靴を室内でも履いていると心身共に休まらないんですよね…
ただ、この選択が良かったのかと聞かれれば
精神的にはgood、
身体的にはある種bad、でした。笑
※身体的にbadな理由※
○装具があると働きが弱まる筋肉への刺激が発生する
○身体が今の状態でどう働いているか知れる
×二次被害リスクup
×良くない身体の使い方をしてしまいがち
×↑を習慣化させてしまい結果的に癖になる
△良くも悪くも身体への負担増
半月もしたらだいぶ慣れ、
足に変化が現れ始めてからは
より有無のメリットを活用できるようになり、
今では問題なく生活しています◎
◎高い所と低い所での作業は極力したくない。笑
最早願望。笑
というのも、まず爪先立ちは基本的に難しく、
手を伸ばして届く高さのもの以外
右足だけで爪先立ちするか
椅子に乗って取るしかなかったんですよね。
その椅子を都度出すのが面倒なだけでなく、
狭く高い所に立つという行動は
不便な足を抱えて行うと
普通に立っているよりもバランスをとることが難しく、
意識も身体も通常以上にシビアでした。
降りる時には細心の注意を払わなければならないし、
咄嗟に飛び降りることもできないので尚更ね。
ま、元々身長が低いので
高い所にそんなに物を置かないのだけれどね。おほん。
では低い所だったら良いのでは?!
と思いきや、そうでもない!!笑
しゃがむという行為もまた
踏ん張りが利きづらく、
更に僕の手術箇所的に
当時膝の屈曲がまだオープンで110℃くらい
(しゃがもうとしても太ももとふくらはぎはくっつかないくらい)しか
とれない頃だったので、
床に座ったり立ったりといった動作自体
普通と異なる形で行っていました。
そんな人がしゃがもうとすると
毎回スクワットですかー?!
という感覚でした。笑
徐々に片膝立ちを習慣化させつつ
膝の屈曲リハビリだ!という感覚で
敢えてしゃがむような姿勢にもっていくこともありつつ、
上半身だけで取りに行く動作は
極力控えました、
だって…
◎腰痛ハンパないってぇぇぇ!!
足首の負担が膝に、
膝の負担が腰に、上半身に、
上がってくるんですねぇ。
結果、腰が痛すぎて…
もう動きたくない…
誰かマッサージしてくれぇ…
という状態でした。笑
この当時は自分に合った装具を
まだ見つけられていなかったので、
装具有りだろうが無しだろうが関係なく
全身が左足をカバーし続けているのを感じる日々でした。
しかし難しいのが
(ちょっとマニアックな身体のおはなし)
負担となっている箇所を
解消させれば良いかというと
そういう訳ではなく、
その箇所を解消させると
本来カバーしていた部分が
結局カバーできなかったり
新たに負担を抱える箇所が
出てきてしまったり、
それらがより負担となる方向に
働いてしまったり。
人それぞれ様々な個性があるように
身体の使い方にも個性があって
それは目に見えるものであったり
見えないものであったり
本当に繊細なもので
だからこそ、その個性を
「通常」と呼ばれるものに戻すことが
果たして本当に「良い」のかというと
それはまた違うということを自分の身をもって知りました。
だからこの時は
「腰さん、辛い想いさせてごめんよぅ…」
と少々辛抱してもらいました。
良かったのかは、分からないけれどね。
また利き足でない右足への負担も大きく、
「がんばれ、左足。」
と想う反面
「いつもありがとう、右足。」
と未だに想います。
だから、よく耐えた、腰さん!感謝!!!
そして未だに右肩周り(首・肩・肩甲骨)を中心に
無意識のうちに
バランスをとる為に駆使してしまい
負担になっています。
半分は上記で言う個性として、
もう半分は単純な負担として
気を配りつつ付き合っています。
◎その他細かいこと
・湯船に入るの大変
・料理をするにも20分で一度休息要求
・基本立っているの大変
・装具なしの階段は凶器
・重たいものを持つとバランス取れなくなる
・電車移動は負担というより恐怖
・ひとと並んで歩きたくない(速くて足痛い)
・夕方以降の装具は足が浮腫んで凶器に変わる
・点字ブロックが魔物
他にも、もっと、沢山、なんか、ありました。
…書ききれない。笑
とまあ、
いろいろ今回はマイナス面を並べましたが、
大体が退院半月後からだいぶ慣れはじめ、
1ヶ月経った頃には殆ど上手く付き合えるようになりました。
今は症状も当時に比べるとだいぶ改善されて
殆ど一般的な日常生活を送れるまでに回復しているので
上記のような不便さは殆どありません。
ネタとして話せるくらいにはなっています。
あったとしても
事前回避したり工夫したり
自分なりに付き合えるようになっています。
冒頭にもお伝えした通り
「僕は」好奇心旺盛さんなので
例え苦難だとしても
改めて覚え直しという刺激は好物でしたが、
そりゃあココロ折れかけて
こんな足なら要らない、って、
くっついているだけ邪魔だから
いそのこと失くなってしまえ、って
思うことだってありましたさ。
やり場の無い想いを消化させたくても
皮膚感覚も麻痺しているものだから
痛みすら感じなくて
それがまたイタミになって、、
って繰り返していると
結局慣れるしかないんだなって
そっちにココロ折れました。
あとは、いろんな方のことばが
チカラになりました。
独りで生きることは難しい。本当に。
僕はできなかったけれど、
こういう状況の時は
誰かと同一住居で生活する方がお勧めです。
それでも、この当時足掻いた自分に
伝えてあげたい。
ひとりでようがんばった
いつかそう思える日が
上を目指して足掻く
深い所にいる貴方にも
訪れますことを願い。