溢すほど愛を注がせて
互いに知っているようで知らない
互いに心に触れ合うことをせずに
歩き続けてきた。
好きとか愛がなんだって、
やっぱり言葉の中でも有形なものを欲しくなる。
彼は好き、大好き、愛してるとかの
言葉にできない『なにか』を私に感じているらしい。
じゃあそれ以上なのかと問えば、そういう事かもわからないと。
語彙の理解に苦しみ、一旦は受け止めてみるものの私が汲み取れない何かがあるのか。
或いは人との交流経験と理解力の不足なのか。
その時は後者だと決めつけた。
ご両親の話を聞き出したのは、あなたとの関係をより一層深めたいと思ったからだ。
私はわたしの話をしだした途中、ふと彼の表情を見つめ我に帰った。
彼はこの話を聞きたいのだろうか
あぁ、
私も聞いてほしかったのか。
私が聞いてほしかったのか。
心底自分が浅はかだと思った。
途中で話すのを止めた。
多分母親の誤解を受けたままだ。
彼に話すのはまだ早かったんだ。
聞きたいと思うまでまた運ばなければならない。
いや、ちがう。
ただあなたに寄り添いたかったんだ。
彼のゼミでの話。
不治の病になったあと、死ぬまでの間に十個の大切な何かを捨てていくというレクリエーションをしたとき、殆ど人は両親が残るという回答に彼はとても困惑したという。
じゃあ最後に何を残したの?と問えば秘密だと。
これが、また私を期待させてしまうのだ。
こんな話をしたところで、と遠慮する理由の根底にある、「またそんなつまらない話」という言葉を彼に投げかけた人物とは、一体だれなのか。
わたしの記憶の奥底に眠るあなたに掛けた言葉、
微かに見え隠れする深淵は本当に私なのか。
高校生の頃の自分は求めてばかりで、与えてくれるまだ友達の彼に甘えて、「つまらない」というワードを投げかけたような記憶がある。
ただこれは彼に確認するまでは、信じたくない記憶であり、仮にそうだったとしたら何故彼はそんな私と現在付き合っているのだろうか。
来月の頭にことばを探しに行く彼を案じ、
帰ってきたら『おかえり』ということばを交わしたい。そして抱きしめたい。