なにか体験したら 文字に起こす衝動がとまらない。 Instagramに書いても なんだか気になっちゃって自由になれない。 大切な人がnoteをやりはじめたから コッソリ私もはじめてみた。 いまのところ教える予定はないけど。 生きていれば いろんな人生があって、 感動はいつまでも保持できないし、 流れ出てくのは勿体ないから きれいにして残しておきます。 はじめまして。 想いだしたこと すこしだけ置いておきます。
今までありがとう。 あなたは結局私のことを愛せなかったんだってね。 高校から今まで、トータル7年を 1週間で見切りをつけるのは大変だった。 最後3ヶ月は付き合ってたのに 最後まで片思いだったなんて。 1週間前に写真はすべて消したのに、 顔が脳裏に焼き付いてる。 SNSから何から全て痕跡消されると やっぱりなんと言うか悲しいね。 何を期待してたんだろうか。 でも近いうちにこの感情も消える。 あなたに一番近い私でいたかった。 でも、もうさよなら。 幸せに健康に生き
人生を噛みしめる度に宇多田ヒカルの曲の味がわかるようになる
互いに知っているようで知らない 互いに心に触れ合うことをせずに 歩き続けてきた。 好きとか愛がなんだって、 やっぱり言葉の中でも有形なものを欲しくなる。 彼は好き、大好き、愛してるとかの 言葉にできない『なにか』を私に感じているらしい。 じゃあそれ以上なのかと問えば、そういう事かもわからないと。 語彙の理解に苦しみ、一旦は受け止めてみるものの私が汲み取れない何かがあるのか。 或いは人との交流経験と理解力の不足なのか。 その時は後者だと決めつけた。 ご両親の話を聞き出し
来月会ったときは、あなたにおかえり って言いたい
わたしの幸せな人生をいっしょに過ごしませんか。 山あり谷あり、 果たして道があるかどうかすらもわからないし、 手探りで進んでるけど、 折角合流したあなたと寄り添って手をつないで歩きたい。 また道が違おうと、 寄り添った記憶は確かに暖かかったと思える旅路にしませんか。
ひとは正体のわからないこの気持ちを愛と名づけたのです。
対人で少しでも気まずくなると、 自分が悪いような気がして 無理やり明るくしたり笑ったり ずるずると引きずってしまう。 無意識に自分をころしてるってことを ふと思い出す。 前に導き出したのにまた忘れてる。 良い恋愛とはなんだろう。 髪に艶が出て、頬が薔薇色に紅潮し、 周りからは幸せオーラを放つ。 つまり愛に不安の関与がない状態。 私はこれを知ってる。 でも今はちがう。 今輝いてるのは自己愛自己努力であって、 彼から受けとった愛ではない。 その愛は落ち着き放っている。 一
正直彼が考えてることは私にはわからない。 アーニャみたいに心は読めないから。 欲しがってる言葉はあげられないかもしれない。未来は約束されていないから。 それでも、今はあなたが愛おしくてたまらない。 手を繋ぎたいのはあなたに触れると心が暖かくなるから。 愛おしいあなたのできるだけ近くに居たい。 抱きしめたいのはあなたから安心をもらえるから。 大好きなあなたを安心させたい。 今はまだ身体が難しくとも、 答えようとしている心があるのでしょう。 今のわたしはその言葉を信じ
結局疑ってばかりだ
人生で動物を飼ったことがありません。 周りに飼っている方はたくさんいらっしゃるのですがどうも動物とはご縁がなく、何年に一度母の実家へ帰省した時に猫を愛でるぐらい。 私は昔から猫が好きなのですが、父が猫アレルギーなのとペット禁止の住まいだったのもあり、いつしか猫を飼うのが夢なんて時期もありました。 猫は嫌がるひとのところにわざわざ行ったりしますよね。ずるい。 昔祖母の家にいたアメリカンショートヘアの猫が亡くなったと、電話越しに聞いた小学生の私は大泣きした記憶があります。
前回、背中にいた何者かは気づけば薄くなり やがて幸せに暮らしていた。 精神的具合? 自己が作り出した妄感? 言わずともそうであったに違いないでしょうが 喪失感などがないことが逆に寂しい。 割り切って生きている自分には至極満足ですが、 居なくなったのは互いに送り合っていた執着が切れたからと予想した。なんだか切ない。 ただこの暖かな精神的な繋がりを感じて 穏やかに暮していこう
浅く狭い訳じゃなくて、 厳選してきた結果がこの人たちなんです。 生涯で友人になった人は数え切れないけれど、 今、友達と呼べるひとは6人くらい。 友人の数なんて人の数だけあって、 自分に合った友達の質がある気がします。 類は友を呼ぶ 然り 友人は自分を写す鏡 然り 必然的に周りに収まるのは 友を写した自分だったりしたりして。
都合よく考えることは悪いことじゃない。 都合よく考えればしあわせに生きていける道ができるから。 なにが怖いって、そうならなかったときの 落胆感を想像をしちゃうから。 予測できない未来はいつでも不安。 新しいことを始める、知らない場所にいく、 返信がくる、結果がでる、 そこに相手が存在するときはより一層に。 それぞれ生きてきて、知ってきたことが違う分、 不安の見方もそれぞれ違う。 不安の見方を変えれば、ワクワクするとか そういう考え方もできることも知れたり 希望に
はじめまして。 ご挨拶が遅くなりましたが めぐりね りあす と申します。 高校からデザインをまなび、 現在は仕事の傍ら趣味で絵を描いたり、 ミニチュアフードを作ったりと、 別名義ですがいろいろしています。 今後は作品の供養もできたらなと思います。 心が溢れそうなときに いつも文字を起こすようにしています。 Instagramの方で旅の記録を 長文長々と書いていましたが、 知る顔が見ていることを意識してしまうと、 ここまでの胸の内はさすがにさらけ出せず。 あるきっか
電車で泣いた 前に座るおじさんがスマホを見ないタイプでも ばれないようにこらえた。 「僕にとって大切な人」 その文字や想いが切なくて いつもの通勤特快も あまり苦ではなかったけど、 夜景越しに映った自分を意識すると 恥ずかしくてはやく座りたくなった。 あなたを想い、 想われたのはいつからだろうか。 たとえ そこに 大切な人と好きな人の境界があったとしても どちらにせよ 大切な人だと 互いに思える関係は いつまでも濃い霧が まとわりついていた地上で レースの