【短編(3/3)】アトラクターの上を歩いている
第三章 デジタル革命
00 自由洗脳競争社会(評価経済社会)
「さて、本題である未来予測の前に、まずは現代について軽くまとめてみようか」
友達は次へ進める。
多くの人々が線で繋がった画像だ。
「今の状況ってのはマスメディアに対してマルチメディアと言うべきだ。つまり誰もが発信でき、誰もが繋がれる状態。となれば、誰もが個人の悩みを受け止めることができる訳で、だからつまり洗脳による顧客争奪戦が起こっている」
「そう言われたら確かにそうだな……」
「逆に言えば、溢れる価値観や生き方に誰もが簡単にアクセスできて、好きに選び取ることができるんだよ。誰かの価値観や生き方を自分なりにカスタマイズできるからこそ、《個》にのしかかる負担を減った――つまり楽に生きられるようになったんだ」
ふんふんと相槌。
「この時代において重要なのは評価だ。他人からの評価。つまり、どれだけより良い洗脳をできるかが経済的な問題に直結してる」
「うん? どういうことだ?」
「つまり、いいイメージを拡散して評価が高い人や会社などは実績とは別に人からの支援を受けやすいってことだ。例えば、今の社会問題に積極的に取り組んでる企業とそうじゃない企業があったとして、どちらも同じレベルの仕事をするのなら、取り組んでる方を選ぶだろ?」
「ああ、確かに」
「つまりイメージがいい=金になるのが今の社会なんだよ」
「それを聞くと、色んな人たちの印象が悪くなるな」
「いや、今はそういう社会なんだって割り切った方がいい。純粋に応援したいなら応援すればいいんだし、いいことしてるなら損はないだろ? とはいえ、実際『いい人戦略』をやってるところはたくさんあるはずだから、下手に搾取されないように意識しておいた方がいいとは思うけどさ」
「オンラインサロンも同じか」
「そうだな。洗脳という言い方が悪いなら、他人への影響力と言ってみよう。結局影響力が大きい人間の人のところに金が集まりやすい。オンラインサロンなら『稼いだ実績』がその影響力となるわけだ。もちろんその人の人柄も影響するけどね」
「なるほどなぁ」
「で、他人を洗脳する能力が高い人が得をする社会であると同時に、この世には膨大な価値観や世界観が溢れている社会だろ? だから人は同じ価値観や世界観の人間でグループを形成したり、TPOに応じたそれらを自分に当てはめるようになる。話が合わない人よりも合う人がいいし、リアルとネットでキャラクターを使い分ける。SNSの趣味垢とかもそれだな」
「今のはすげえ実感あったな。こういうのにも理屈があるもんなんだな」
そうだな、と友達は続ける。
「そして、根底にあるのは『自分の気持ちが大切』ということ」
「つまりあれか、自分がいいと思った人や会社を応援する。自分がいいと思う価値観の人と一緒にいる。自分がいいと思うキャラクターをその場で演じる。ってことだな」
「そういうこと。誰もが洗脳できる社会では、膨大な情報の中に膨大な価値観や世界観が溢れてる。つまりコンテンツが豊富なんだ。今までは物理的な資源が人を幸福にするものだったけど、今はデジタルの世界にそれがある。つまり、新大陸の発見だよ」
「うわあ、マジで繰り返してるな」
友達は次のページへ。
00 資源が余り、時間不足の世界
01 時間不足は解消されるが、いずれ資源が枯渇する。
02 贅沢が嫌われる。
そして次の資源と革新的な技術により次のパラダイムへ。
「この三つの状態を、似て非なる形で繰り返してるのがこの世界ってわけ」
「なるほどなぁ」
「ただ、状態としてはこの三つなんだけど、もう一つ大きな括りとして一章二章がワンセットになってるみたいなんだよ」
「0~2を二回繰り返すのがセットってことか?」
「今の時代を考えてほしいんだけど、芸能人、アイドル、インフルエンサー、ユーチューバー、配信者……色々な人がファンを獲得してるだろ? 発信者とそれを支えるファンという集まりがたくさんある。これって狩猟採集時代と同じに見えないか?」
「ああ確かに。部族と神様の関係だな」
それぞれの神を称える集落があって、それぞれの発信者を称えるファンの集団がある。
序章のときに妙な引っかかりを覚えた理由はそれか。とヴァンは腑に落ちる。
「一章では常に神様がいてその下に人がいたんだ。で、二章では神様がいなくなって自由になった。そして三章になって再び神様の下に人がいる構図だ。たぶんこの『身分制』と『自由』の二つの状況の間を波打つように繰り返すのがこの社会の仕組みなんだ」
「へえ、面白いな」
前の状況を踏まえて時代は推移するため決して同じ状況にはならないが、大まかな流れの根底には同じものがある。
0~1~2 …… ⓪~①~② …… 0~
今は二巡目という訳だ。
かつてそれぞれの部族がそれぞれの神様を信仰していた。それが今では『価値観や世界観を提示する存在』という現代に適した姿となって再登場している。どちらも局所的な神様だ。
となると将来、農耕時代のようにそれぞれが神様を持った状態で封建的な社会となって、いずれは中世の神様のように広く影響力を持つ神様が台頭するようになるのだろうか。
それはずっと未来の話だとして。
「ここまで分かると、未来予測というのも納得だな」
完全なループではないにせよ、骨格を同じにして現代版にアップデートされたものがやって来ると分かっていれば、これから世界がどうなっていくのか予測できる。
「とはいえ、パソコンが相互通信を可能とした段階で――つまり三章に入る前に今の世の中を予測していた人がいるんだ」
「マジか」
「これが本当に大切な未来予測の方法だよ」
終章
未来予測というのは五年後、十五年後、とそれなりに先の未来を大きな範囲で捉えてやるものであり、あらゆる思い込みや感情、正義不義、善悪、正誤などを取り払い、完全にフラットな状態で見る必要がある。楽観的な予想も悲観的な予想も、「こうなってほしい」も「こうなったら嫌」も、「素晴らしい」も「酷い」も全て排除した状態だ。
その状態で、歴史から分かる抗うことができない時代の流れと、その中で人々がどういう風に生きていけば楽なのかを組み合わせれば、未来予測はある程度可能になる。
それは簡単に言えば感情を排除して考えるということであり、だから彼はあまりにも論理的に思考できる人だった。
彼は膨大な歴史を脳に詰めていた。大学で講義できるほどの有意義さで。
そして彼は二冊の本を記憶していた。ここでは名前を出さないが、情報と未来予測に関する本だ。
この二冊の本と膨大な歴史の知識を元にして、彼はかなりの精度での未来予測を達成してみせたのだ。本当にこれだけかと正確な話はさておき、大まかには間違いないだろう。
さて、ここからは、その歴史と本の上に積み重ねていった理屈の話だ。
改めて。
00 資源が余り、時間不足の世界
01 時間不足は解消されるが、いずれ資源が枯渇する。
02 贅沢が嫌われる。
そして次の資源と革新的な技術により次のパラダイムへ。
時代はこうやって移ろう。
そして注目したいのは農耕革命と産業革命。
狩猟採集時代において足手まといは集団の生死に直結していたため排除されていた。それが農耕を始めることによって誰もが働ける環境が生まれた。つまり、生きる権利が一般に開放されたと言える。
宗教全盛期までは美術品や音楽などは貴族などの特権だった。それが産業が発達することで誰もがそれらを楽しめるようになった。つまり、娯楽が一般に開放されたと言える。
つまり、大きなパラダイムシフトの際には、
《一部の特権が技術の革命によって一般に開放されること》
が起こっている。
そして最後に。
《人間は幸福になれる方へ進む》=《人間は楽になれる方へ進む》
当時(もちろん今でも続いているが)、自由に生きられるようになった人々には自己責任という言葉が突きつけられていた。
誰もがチャンスを与えられてるとはいえ、稼げる人間と稼げない人間がいる。
誰もが自由に生きられるとはいえ、画一的な価値観に誰もが抑圧されている。
そういう現実と向き合わなくてはならなかった。
身分制度の時代では考える必要のなかったことだ。当時はそれが神の思し召しだったから受け入れるしかなかった。それを受け入れていれば良かった。
でも、自由を与えられてしまった。
自分探しの旅なんてのがいい例だ。とにかく《自分》に対しての悩みが、その時代にとっては最も大きな問題だった。
そしてこのとき、資源不足と環境汚染の問題があって、大量消費が悪いものへと代わり、それで閉塞感が生まれていた。
また、このときすでに情報が大量に発信される環境が整っていた。でもそれはマスメディアに独占されていた。でも、そこにパソコンによる相互通信が誕生した。
さて、考えてみましょう。
・時代は『02』。次の資源が求められ、革新的な技術が状況を打破するのを待つ時代。
・情報発信が一部の特権であったが、それが一般に開放されうる技術がある。
・ゲームなど、物質的な資源をあまり必要としないデジタルなコンテンツの登場。
・自分というものに苦しめられていて、でも自分の気持ちを大事にしたくて、幸せになるには自分に合った価値観や生き方を見つける必要があった。
自分らしさを自分で見つけて自分で決めるのはしんどい。だったら、誰かの意見を聞いてそれを自分にカスタマイズした方が楽。
つまり、誰もが洗脳されたがっていた。
だからこそ彼は未来を予測できたわけだ。
誰もが洗脳され、誰もが洗脳できる社会を。
そしてそれは農耕革命と産業革命に続く第三の巨大なパラダイムシフトであり、人々の価値観が大きく変動することを。
狩猟採集を行うのがバカらしくなった農耕時代。
宗教と身分制度がバカらしくなった自由経済競争社会。
でも、狩猟も農業も宗教も身分制度も未だに残っていて、だから今の貨幣経済社会も継続するが、しかしここに新たな社会の仕組みが乗っかる。
つまり、評価が経済的な力を持つ社会だ。
「過去を見れば未来が見えるんだな」
ヴァンは感心したように唸った。
「ま、それなりにコツがいるんだけどね」
「なんかしばらくは世界を達観して見てしまいそうだ」
「そうするとどんどん世間からズレていくからね、視点を下ろして近いところだけ見ることもしておいた方がいいよ」
「その通りだな」
ヴァンは立ち上がって身体を伸ばす。頭も疲れたが身体もバキバキだ。
「そういえば」ヴァンは思いついたように言う。「今だと『おまえの価値観を押し付けるな』ってのが主流だけど、それも実は立派な押し付けなんだよな。『押し付けるなって価値観を押し付けてる』っていう」
「うん。だから、これから増々価値観ごとで集団が細分化されてくと思う。価値観の細分化もそうだけど、色々言うだけブーメランだから、だったら最初から距離を取ろうっていう感じかな」
「現在進行形で複数の価値観を十分に受け止められる社会を作ろうとしてるし、確かにそういう形に変動していくかもな」
「だからさ」と友達は言った。
「産業革命から続いた、自由ながら思考や人間関係が画一的だった時代から、
《生き方の自由》を求め、《それを様々なところから採集できる》時代に移った。
――と考えると、」
そしてニヤリと笑うのだった。
「次は、どんな時代だと思う?」
最後まで読んでいただきありがとうございます