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いちごが美味しいのは何故か | コンテクストの違いが生む、噛み合わない会話について

こんにちは。最近は在宅勤務を多用していて、家族と過ごす時間が格段に増えました。我が息子も生後10ヶ月となり、今は離乳食を日に3回食べています。

妻の好みもあってか、我が息子には毎度食後のデザートが用意されています。

一方の私。考えるのが億劫なので毎日サラダチキン、ササミスティックとおにぎりの組み合わせです。ちなみにおにぎりの具を日替わりにする事で、昼食にバリエーションをつけてます。笑

はじめに

私のコンビニ飯と比べて、息子の離乳食はそのクオリティーとバリエーションの豊富さに圧倒的な差があります。笑 中でもいちごがお気に入りのようです。

我が息子は毎日のようにいちごを食べています。そのためか、抱っこするといちごの匂いがすることにこの前気づきました。

いちごは、我々の本能に訴えかける美味しさを持っているんでしょうか。

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シュークリームが美味いのは何故か?

以前、メモの魔力という本を読んだ感想について記事にしました。

この本の中に書かれているキーメッセージを自分なりに解釈すると『身の回りに起こった事実(具体的な出来事)』と『そこから得られる学び(抽象的なキーワード)』を行ったり来たりすることで、自分の内省ができるよ、ということだと理解しています。

その後に読んだ本でも、『帰納的抽象化』というワードで具体と抽象の行き来について書かれてました。

著書の楠木建さんは甘味に目がないらしく、特にシュークリームは好物とのこと。しかし一方でクッキーは嫌い。シュークリームやあんみつなど好きな甘味に共通する特徴を考えた結果、『程よい水分含有量』に行き着いたようです。

このように、具体的な事実(=シュークリームは好きだがクッキーは嫌い)から共通功を抽出し、抽象化して仮説立て(=程よい水分含有量が好き嫌いを決定)する思考プロセスは『帰納的抽象化』と本書では呼ばれていました。

今、私の中で『具体』と『抽象』のエンドレスループがちょっとしたブームになっています。笑

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具体的な話と抽象度の高い話

バーチャルな転勤を始めて1ヶ月半が経ちました。だんだんとドイツのチームとのやりとりも増加してきた印象です。

日本人以外のメンバーと仕事の話をしていく中で、話が噛み合うトピックと全く噛み合わないトピックがあります。

盛り上がらないという訳ではなく、こちらが期待する回答が返ってこない感じです。そもそも私の英語が通じてるのかもよくわかりません。笑

話が噛み合わないトピックって何なんでしょう。

いろいろと考えてたんですが、その1つの答えが『抽象度の高い話』です。誤解のないように言い換えると、『抽象的な話は伝え方を工夫しないと伝わらない』というのが現時点での持論です。

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いちごが美味しいのは何故か?

具体的な話、例えば『いちごは好きですか?』ではキャッチボールは成立します。『いちごは好きです』という返答に加えて、『メロンも美味しいよね』とか『グランマが作ってくれるアップルパイは堪らない』とかいろいろ返ってきます。(※あくまで例えです)

一方、抽象的な質問『果物の美味しさに共通するものって何だと思う?』(※あくまで例えです)の場合はどうでしょうか。

海外の同僚と仕事の話をすると、抽象的な質問をしたとしても各々が自分の好きな果物の話をし始めるイメージ(※あくまで例えです)で、議論の中で迷子になっている自分がいます。

期待する答えがなかなか得られず。若干のフラストレーションでした。相手が何故そこまで具体的な内容を説明しているのかがよく分からなくなってました

それ、私の聞きたい事じゃない…』とモヤモヤ。ただちゃんと傾聴してます。笑

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聞き手に依存するコミュニケーション

抽象的な質問『果物の美味しさに共通するものって何だと思う?』は、自分の頭の中のライブラリーを参照しながら話を理解していく必要があります。

『果物』として保存されてる情報や捉え方が違うと、『美味しさの共通点は何?』というキャッチボールは上手く噛み合わないのかもしれないという考えに至りました。

果実=木になっている、としてアボカドを思い浮かべる人もいるかもしれない訳です。

共通するバッググラウンドがないと抽象的な内容が伝わらないのは、抽象的な話が聞き手に依存するコミュニケーションだからなのかなと思ってます。

何が言いたいかというと、抽象的な話はそれ自体がハイコンテクストなコミュニケーションとなっているのでは、ということです。

要は、私の伝え方がまずかったということです。笑

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ハイコンテクストは純日本流

以前コンテクストの違いに対する記事を書きました。

日本はハイコンテクスト文化で、

つべこべ言わずに背中で語るのが美徳、聞き手に依存するコミュニケーション

一方でローコンテクストは、

説明しないと分からない、空気を読むなんて相手に強要せずにきちんと伝える、沈黙を恐れる文化

だと理解してます。

ハイコンテクストな我々日本人が、ローコンテクストの人に抽象的な話をすると伝わりにくいというのは、まぁその通りですね。

この伝わりにくさに対する解決策はまだ持ち合わせていません。が、日本人以外の同僚に抽象的な話をする際にはとにかく具体的な事例を盛り込めるだけ盛り込んで乗り切ろうかと考えています。

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さいごに

この記事の内容自体が抽象的になってしまいました。

多国籍の人との仕事上の接点が増えていくに従って、思いがけないところに何とも表現し難いモヤモヤが発生してます。

今はそれを一つひとつほどきながら仕事しています。次回はこの辺の気づきについて少し深掘りして紹介したいと思います。それではまた。

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