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やりたいことの無い生活

僕はやりたいことなんて特に無くて、特に好きなものも無くて困っていたりする。



好きなものが無いって普通ーに困る。


よく、音楽を聴いて泣いただとか、絵を見てガツンと来ただとか、強烈に旨いと思ったと語る人が羨ましく思えたりする。


そういうのがぜんっぜん無いから。



例えば、それはある意味でめちゃくちゃマズいと思えるものも無くて、気分が悪くなる程嫌な音楽も無い。

むしろちょっと興味があったりもする。


というのは。

「コレが好き」って一体なんなのか?

どういう神経してんだよ。

なんて思っているのである。(たぶんね)



だけど、知りたい。

その好きってどこから来るわけ?と。


人が何か(または誰か)を好きになるとはいったい何ぞね?と思うわけよね。


だからそれの何が好きなのよと思うわけ。興味を持つわけ。

だけど、自分の場合はそれっきりかな。新しく興味を持つ事はまず無くて、延々と謎に思うことが多い。

飽きっぽいのはそのためだろうか。


僕は飽きっぽい。

飽きっぽいが深く考えられるものに関してはわりと好きかもしれない。

あとは、

飽きっぽいが"耐えられない事はない"という事だ。


飽きはするけど、習慣としてしまえばどうということはなくて、ある意味で考えるべきことがひとつ無くなったと思えば何とも思わなくなる。


だから、好きとか嫌って気持ちがガーンと大きい人に関して興味がある。




おそらくではあるが平坦な性格の反面で強烈に美味しいとか感動するとか、いい出会いをしたいと強く思っているんだと思うのだ。


僕も感動したい、ほんとで美味しいと言いたい、あなたに出会えて良かったと言いたいのである。


興味が無いとか、一箇所にとどまれないのは、"興味深い"を探し続けたいという意欲なのかもしれない。




感動することのない冷えたこの心に温かいものがひとつ入る事がいつかあるのだろうか。


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二ノ宮金三郎
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