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なんでもできるからこそ、うまれる問題

なんでもできる。
すごいよなぁ。映画の世界が実現しているようだ。
数年前まではみんなスマホなんて持っていなかったのに、便利でいろんな機能を持っていてと、使いやすいだの万能なんだのと、今やひとり一個は持っている。

ただ、どうだろう。
いやいや、これからのことではなくて。

ひと昔前に友達と遊ぶ時って、みんなどうやってた?
ちょっと考えてみたんだけど、よくわからないし想像がつかない。
うーん…やってたはずなんだよね。みんな。

たぶん、こうだ。
「学校や職場で、何時にどこどこのお店に集合ね!」としっかり完璧に“約束”。
でも、そこまでどうやって行くの?
「山手線乗って、中央線に乗り換えて…どこそこの駅に着いたら南口に出て、正面のビルあたりに来たら、その裏にあるナントカって店だよ。だいたい30分くらいで行ける。」
それをみんなでしっかりと共有だ。
ある者は知ってて、ある者は覚えて、またある者はノートにメモして…と集合するんだと思う。

だから、わからなくなったらそこらのオヤジとか駅員さんに聞くし、その辺のお姉さんにも聞く。
どうにかしてそこまで行くんだ!っていう努力とか根性が必要だったわけだ。

今はどうだろうか?

わからなくなったら、というか。
調べ方でどう行くのかが違ってくるし、目的地さえ言っておけば伝わるし、わかる。あとは逆算して、ちゃんと時間通りに来られるかどうかという問題だけが残る。
わからないということなどはない、と言っても過言ではない。

昔は待ち合わせして遅れてしまうと、「どうしたんだろう?心配だな。」なんて思ってくれるのだが、今はというと。
「なんで遅れるのかな?」なんて責められる始末だ。

スマホができて、便利になったは良いのだけど、なんだかしょうもないことに怒りや苛立ちを感じているひとが多くなった気がする。
連絡しただとかしてないだとか。連絡の仕方がどうのこうの、カメラの使い方がどうだモラルが無いだ。勝手に見られただ、誰とどのタイミングでメールしているだ。仕事中にゲームをするだのカンニングに使うだの。

なんでもできるし、なんにでもどこでも使えるというのは、それだけ、その分だけ、そこからの怒りや苛立ちなり問題が増えるという事でもあるんだろう。

機械が便利で使いやすい。
だから今の時代。

“人間のめんどくささや使いにくさ”がすごくすごく目立っているように感じる。


どこに行って誰と話そうがどこを向こうが、誰かのめんどうなことばかりがどこまでも目立ってしまって、そういう場面を見ては、世の中は悪いだの良くない方向に向かっているだのと言っているような気がするんだな。

自分だって道を間違えて、メールのいくつかの文字を間違えたりスタンプを重複して送ったり、ポケットに入れたままお尻が勝手に電話していたりと、失敗を電話に対してしている。(本当は電話の向こう側のひとに)
そうであるなら、誰かのちょっとした失敗くらい優しくフォローして助けてあげようよ。


特別な日を祝う前に、毎日少し寛容になろう、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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