オシャレさんは靴をキレイにするのか?
オシャレと靴の綺麗さに関する事。
「オシャレは足元からって言うしな」なんて言いながら新しい靴を買ったり、カッコいいオシャレな靴を履いていると「オシャレだな〜」と思う事がありますよね。
しかし、たくさんオシャレな靴を持っていても「このひとはオシャレじゃないな」と瞬間的に思う事があります。(失礼)
オシャレだからって靴をたくさん持っているかといえばそうでもないのです。
もしかすると、単なる靴好きなのかもしれませんし、もらった靴をたくさん持っているひとなのかもしれません。
お金持ちでたくさん靴を買っているのかもしれませんし、身に付けるものは靴しか買わないなんてこともありますでしょう。
靴の修理屋さんや靴磨き職人さんは「靴を見ればそのひとのことがなんとなくわかる」と言ったりしますが、幸い(?)僕も靴磨き職人の端くれの端くれの端くれなので、依頼されたいろんなひとの靴をまじまじと見ることだってあります。
そうすると、不思議なことにそのひとがオシャレさんなのかどうか“だいたいわかる”んです。
靴を磨きに、もしくはクリーニングしにきてくれるひとはだいたい靴好きでオシャレさんではあるのですが、靴をきれいにして欲しいひとって「靴を大切にしようと心がけるひと」だけではないのです。
それは、「靴に気を使えないくらいに汚してしまうひと」です。これは「使い方」の問題なのかもしれませんね。
どうしようもないでしょ。使えば汚れるんだから仕方ないじゃないか。と思いますよね。
しかし、同じ使い方でも“使い方の癖”なんかが違えば、その汚れ具合は随分変わってきます。
たとえば…右足と左足とで足の裏の減り具合が全く違うという方がおられると思います。というか、そういう方がほとんどです。
そうなると、右の靴と左の靴で汚れ方ももちろん違ってきます。
それは言うなればひとそれぞれの個性の違いとも言うことができます。
自分の右と左で汚れ方が変わってくるのであれば当然、使う人間も違うと、もっともっと変わってきます。
単に履いてるだけの物の使い方でこんなにも変わる事があるのであれば、その物に対する「気持ち」が変われば、その汚れ具合は大きく変化するのです。
靴を大切にするひとって、そうでないひととの何が違うのかはひとことでは語れません。家の外に出る量も関係してきますし、使う頻度だって違います。
靴に合わせて服を選ぶひとなんかだと、着たい服があれば服に合わせて靴を変えるなんてことだってあり得ます…。それはある意味で靴を大切にしているとはっきり断言できることです。
なんで靴が汚れるかなんて、そのひとのことを密着取材でもしない限りは特定することなど無理なんですけど、だいたいわかるのはそのひとの行動の“傾向”によって変わってくるので、なんとなくですがそのひとが靴を大切にするかどうかがわかるってだけなのです。ガニ股なのか内股なのか、まっすぐ歩くひとなのかで、全く違ってくるのです。
いちばんびっくりした依頼は、カビが生えてホコリだらけの蜘蛛の巣だらけで、動物の毛もくっついていて中にカサカサな謎の植物が入っていたブーツを磨いて欲しいとの依頼でした。ある程度中と外をキレイに整えてあげるとすごく喜んでくださいました。
「ありがとう〜!『お気に入り』だからよく履いているのよ!」
と言ってくださいました…!
僕はてっきり、3年は履いていなくて玄関の隅に置きっぱなしにでもなっているものを、また久しぶりに履こうかと思って持ってこられたのかと思ったのです…。
むやみに想像したところで、何もわかりはしないのですよねぇ…。
でも、そうやって靴をキレイにしようかと思うのはキレイに使うための一歩でもあります。
キレイに使いたいと思うのが大切ですよね。結局のところ、どれだけキレイに使いたいか「キレイ・汚れていない=カッコいいこと」と思っているかどうか、ということなんだと思います。
キレイに使ってると元気になりますね。キレイな靴で元気出そうぜ。
キレイな靴で気分も元気だな、これからの僕は。