遠慮して遠慮はしない
みんな「遠慮」ってしていますか?たぶんしているかと思います。
「どうぞどうぞ、いただいちゃってください。」
「あ、そうですか?じゃあ“遠慮なく”〜」
そう!
その遠慮、そういうのですね。
なんかいろんな遠慮があるなぁと感じたのですね。
歳上の方にはもちろん遠慮しますけど、年下の方にももちろん遠慮ってあります。
学校や仕事の先輩後輩、あんまり知らないひとへの遠慮なんかもありますよね。
歳下なんだけど、学年は上なんていう方にも遠慮はします。
しかし、それだからこその遠慮のなさみたいなものもあります。
いや、だけど!
何でもかんでも、誰でもかれでも関係なく、みんなに遠慮のないひとがいませんか?
おいお前まじか?大丈夫なの?怒られないの?と心配になってしまうほどです。慣れ親しんでいるとかそういうのはなんとなくわかるんですが、それでも遠慮はしますよね。それをなぜやらないのか?と思ってしまうひとが友達の何人かにいたりすると思います。
すごいですよね。あの遠慮のなさはマネできませんわ。
だけど、「遠慮はしない方がいいな」と思う場面では僕は遠慮しないことにしています。
たとえば、“ここは割り勘にさせて!”っていう友達とか後輩なんかもいますし。女性なんかもよくいます。
「ラストいっこ誰か食べる?」とか、お皿に遠慮の塊みたいなのがポツンとあって一向に片付かないとかね。そういうこともありますよね。そんな時は遠慮なく払ってもらうし、遠慮の塊も遠慮なく食べちゃいます。
そういう、その行動によって誰かが困ってしまうとか相手が気まずくなってしまうとかの遠慮って僕は苦手なんですよね。
だから、そういう時は「じゃあ遠慮なく!」って甘えることにしています。
なので奢られたりもしますし、逆に奢ってカッコつけるべきところで割り勘にしてもらったりとか、少しだけ出してもらったりとかもあります。そういうシーンは比較的よく経験しているのかもしれません。
だって、ああいう場面で頑なに自分が支払おうとしたりとか、譲るだ譲らないだとかでネチネチとやりとりしている姿ってのが、なんだか僕は好きではなくて、「支払いたいならそうしたらいいし、食べたいなら食べさせてやりな」と、そんなふうに思ってしまうんですよね。そうしてもらったほうがすっきりするとか楽しいとか、悪く思わないのであれば、そっちの方がむしろ良いと思っています。
だって結局のところ、それって全部ストレスじゃないですか。
もしかすると、「奢ってもらうのが悪いというフリをしているだけ」なんて場合もなきにしもあらずですが、それはそれです。
奢られて嬉しいのであれば、ありがとうって言って後でお返しでもしたらいいのです。
そんなレジ前の小さなスペースで、自分が支払うだの半分にするだの、3000円のところを2000円にするだとか1000円にするだとか、そんなもんはどうだっていいのですよ。
「いえいえいえ、私も払いますから」
「いやいやいや、いいんだよ。僕が払うからさ」
「いえいえ」
「いやいや」
「いえ…」
「いや…」
なんていうアレ!
キイイイイーーーーーーーーー!!!!!
もっとやり方があるだろうに!
後輩がトイレに行っている時とか自分がトイレに行く時とかに「すみません、お会計で…」とこっそり言って10000円を出しておいておつりだけもらったらいいじゃないですか。
そういう「奢る」という行動をしたいのであれば、奢るのにスマートであるのも必要ですよ!
だってねぇ。
目の前で奢って、ひとを「悪いなぁ」と思わせてしまうなんて、そんなのは「嬉しいと思われて自分も嬉しい」とかではなくて、
結局のところ“自分が奢る行為によってカッコついている姿が気持ちいいだけ”じゃない?
それは“誰のため”の奢るという行為なんでしょうかね。
もしかすると「自分があなたよりも先輩なんですよ」という優越感に浸りたいだけの、自分のための親切だったりしないでしょうかね。
何よそれ。そういうのがいっちばんダサい!小汚い!こざかしい!やめろ!
さりげなくデキるってのがステキ、これからの僕は。
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