コロナと職場のおばちゃん
コロナのことについて考えさせられたという話。
今、どっちかっていうとコロナに感染しているという人はいくらか探せばいるとは思うし、ちょっとした体調不良とか風邪だとか熱があるなんて事も言えなくなってしまってめんどくさい。
それに、ワクチンを打つのもコロナにかかってしまうよりもつらいって言うじゃない。
なんというか、いろいろ不自由じゃないか。
僕の職場にはよく喋るおばちゃんがいる、声がデカくって態度もかなりデカくって、正直かなり苦手。高校生や大学生も働いているのだが、みんな嫌がっている。
その学生とおばちゃんの会話を横から聞いてしまった。
その内容はコロナの事だったのだが、学生側は実を言うと感染すると味覚症状とか体のだるさが云々と言っていた頃のやつに感染したことがあり、しばらく職場を休んでいた。という、言うなればあまり話したくない経験があったりする。そこをそのデカい声で深掘りするように聞いていたのだ。
どこからうつったかわかんないの?
どこに行ったの?
家族からうつった可能性は?
そのあと家族に感染させちゃったとかは?
へぇー怖いよね〜。
なんて話である。
ナンセンスだ。非常にナンセンス。
去年の話でもあるし、もう今のウイルスとは形態(?)が違うから話してもいいという感じで話しているのだろうけど…。それを言うことで特に易になるっていうわけでもなかろうに。
学生自身、自分でもわかっていないことだし、知りたいかどうかすらもわからない、考えるにしても正しい知識に基づいて推測できるかどうかわからないようなことを深掘りしていくのはナンセンスだと思う。
たとえば、自分個人の家庭というのはどういう構成をしていて、誰がどんなふうに今生活していて、そして父親が何して働いているかとか母親も働いているか、そして現在も良い関係が保たれているんだとか連絡はどれくらいしているかなんて話さないでしょ。
ごく親しい人には話すことがあるかもしれないが、職場のおばちゃんとか僕のような特に特別でもない人物なんかにも話さなくてもよい内容だ。どこからコロナに感染してそしてどうやって広がっていく可能性があるかなんて、関係性からするとほとんど関わりのない人間が詮索することでは全くないし知る必要もないわけなんよな。
つまり僕が思う現状でのコロナのウザさってのはそこだ。
その点なんとでも言えるが、“こうなるかな”とはなんとなく想像はしていた。マスクしていないとどうのこうの言われるし、ワクチン打ってないと利用できないサービスが出る、偏見とか詮索による噂、隔離されるとか孤立してしまう人、家族に会えず亡くなる人、仕事が無くなってしまう人。
コロナが原因だというのは確かではあるが、それがもたらす二次的な被害や人からの攻撃や不便によってより一層生活しにくくなるだろうなとは思っていた。(とはいえそれをどうやって防ぐのかはわかんないけど)
感染が広まる事を気にする事や自分の家族くらいは安全にと誰もが思うところではあるとは思うのだろうし、今までも同じように動いていた。学校や会社でもそこまで過敏になってはいなかったはずだ。
インフルエンザなどが流行ることはあるにしても、流行ってしまえばそのうち治まるって事も知っていたじゃないか。
年配の方にうつさないようにとかワクチンを打っておこうという対応、手洗いやうがいなどの対応だって、今まで通りやっていたじゃないか。
しかしそれでも感染する人はいる。それは自分の感染対策が甘かったからだと思っていたじゃないだろうか?もしくは職場や学校などの環境を考えると“感染は仕方ない”と思っていたはずである。それでよかったんじゃないかと思うのだ。
結局のところ防ぐにも完璧にできないものである。
いくら防いだところで、どこかの穴を掻い潜って生き延びる。
死にたくないとか生き延びたいという気持ちが先立ってしまうのは確かにあるだろうが、我々もいろんな窮地から掻い潜るようにしてしぶとく図太く生き延びてきたじゃないか。
お金や家が無くたって、食べ物が無くたってだ。
我々のその「生きたい。生きよう。」とするど根性みたいなものをもっと強く信じていれば、他人のせいにしたり失敗を押し付けたりする事なんてなかったんじゃないかって思うのだな。
ま、でも。
そんな事言ったって仕方ねーし、何の易もないんだけどな。
易にない話のレベルで言ったら、職場のおばちゃんと何ら変わりねーな。