僕らはなぜ改造人間になれないのか
「仮面ライダーBLACK SUN」が公開され、楽しみにしていた僕は一気見したわけなんだが、賛否両論あれ僕は作品としてはすごく面白かったし、考えさせられる内容でもあり非常に良かった。
悪の組織が多少、小さい組織と化していたのは前作と違ったところで、リアル感がより追求されていたように感じる。
劇中では人間達の生活圏の中に「怪人」が共存しており、通常の人間が怪人を“虐げる”描写があった。怪人は人為的ではあるが人間の次なる姿だと言っても良いのではないかと僕個人は思うのだ。
人間よりはるかに強いチカラを持っており、それこそ怪人に襲われると無惨な姿で道に転がることになる。このチカラは虐げられるようなものではなく重宝されるものではないかと感じるのだ。
人間が束になって襲いかかったとてそれの比ではない。人がひとりで押さえつけられるようなものではないすさまじいチカラを得ることができる。
この話の中では前知識としてあってほしいのは、登場人物は「怪人と人間」であることで…。
そして、ここで考えるのはその“人が怪人となること”に関して、なぜそれを成長とか進化だと捉えることはないのか?という点だ。そこに僕は考えさせられた。
この点に関しては作中の物語とは全く関係のないことなのでご了承いただきたい。
仮面ライダーの話は一旦ここでストップする。
そもそも人間というのは、大抵出回っている知識として皆が持っているのは「進化してきた」ということ。何の気無しに「進化」という言葉も使ったりする。
もうひとつの考え方としては「人は創造された」という考え方だ。世界的に見ればおそらくこう考えている人は多いと思う。ただ、これに関しては至極宗教的になってきてしまうのでそれに関し熱くは語りたくないが、ここでは“我々人類は進化してきたのだ”という過程で話を進めてみようかと思う。
ちょっと前の仮面ライダーの話に戻って、上記にあるように怪人は劇中で虐げられ、社会から排除させられてそして「人間ではないモノ」だと扱われ、そういう価値観や思考を持った人々が束になって、言うなれば心理的に“襲ってくる”という描写がある。
そこに僕は違和感を覚えた。
神が創造し、それに手を加えて人為的に進歩を加えることに、神への冒涜だと言って訴えてくるならまだしも、「今の今まで僕らは進化してきたのだ」という考えがある上で話を進めるならば、なぜ人間は人為的にでも成長してはいけないのか?という疑問が僕には生じるのだ。なぜ進化した人を阻害し、虐げる必要があるのか?
この点はある意味で現実の世界でも色んな所で生じていることではないかと思うのである。進歩的に考える人々がいる中で、それを恐れ変化を嫌う人間が少なからず存在している。
かなり前の話ではあるが、「スタップ細胞」の話がそれに近しい。
その事件については深く語らないが、簡単に言うならスタップ細胞という万能な細胞(?)を作ったのだけど、実は嘘の発表だったと言われ、そんな細胞など無いと話を終わらされたという事件である。
しかしこの話にはちょっと黒い噂があり、もしもそういった万能の細胞ができると、治療できる病気や障害などが格段に増えるため、潰されてしまったのではないかという話がある。
「病気が治る」ということは我々庶民にとっては素晴らしい話なのだけど、医者にとっては顔が青くなる話で耳をふさぎたくなる。
なぜかって、病気は治らないからこそお医者さんが儲かると考えたらわかるのではないだろうか。
医者が儲からないとなると、困るのは医者だけでなく、政界やら色んな所にお金が回らなくなってしまい、良い顔をしない権力者が増えてしまうからだという……。
なんとも怖い話じゃないか……?
この辺の話はあくまでも噂だし、空想なので信頼に欠けるから深く考えても仕方ないと思うが、「そう考えると怖い」という話である。
仮面ライダーに出てきた怪人を虐げる人々もある意味ではそうなのかもしれない。身体能力の高い怪人が街中で活躍するようになると、通常の人間はそれに比べられ“やくたたず”な存在へとなりかねない。
怪人がスポーツをしだすと、それこそかないっこない。
虐げるという行為は、近い将来に怪人が権力を持ちだすことを恐れた人間の抵抗なのかもしれない。
ものめずらしいことを喜ばない、新しい技術を喜ばないという理由には裏で大きな権力が動いている可能性がある。それはちょっと怖いよな。
しかし、大きな権力が儲かりそうな話には成長することもある。
今ではほとんどの人が使えるようになっているスマホ。幼児でさえ画面をシュッとなぞると次の画面へ移行することを知っている。それも言わば進歩的な「成長」だと言えまいか。液晶画面をタッチすることすら恐れていた老人が、やれコードの無いイヤホンをしてシャカシャカと音楽を聞いている姿をよく見る。これもまた成長であり進化だと言える。
じゃあ例えば。だが、人為的にでも高性能な機械等を身体に埋め込むなどして、データを身体に保存などできたり記憶の移行や、カメラ機能などを人体そのものへ付けるなどはいけないことなのだろうか?
単刀直入に言うなら、それこそ改造人間である。
「人類は進化してきた」と言うのであれば、また違う次元へと成長したり、「進化を早める」ということだってできるのならそれもまた進化のひとつだとは言えまいか。
ちょっと前の映画になるが、「ザ・プレデター」という映画には通常のプレデター(エイリアン)とは別に、生身の身体と遺伝子操作で強靭さを得た色んな意味のハイブリットプレデターが出てきてその強さに圧倒される。
そのプレデターは全宇宙を駆け巡り、自分たちをより強くより賢くしていくために、優れた能力や遺伝子を持つ者を狩り、自分たちの遺伝子へ組み込むということをしていた。
腕には肉体にくっついた機械が装着され、視界と頭脳はほぼ機械化でカメラ機能と分析、画像処理、ネットワーク通信などが行えていた。戦いにおいては身体はかなり大きく強靭なものになっており、肉弾戦になれば外骨格を瞬時に体表に出すことができて光学迷彩で姿を消すことができていた。
めっちゃくちゃに強い戦闘マシーンとして故意に改造を身体に施していたわけである。
僕個人的には、それってすごくいいなと思ったりする。副作用がなければの話だけど…。「ザ・フライ」みたいに蝿人間になっていくのはちょっと嫌だよね…苦笑。
それは言ってみれば仮面ライダーとほぼ同じことが言えて、仮面ライダーの劇中も大抵の秘密結社は天才的で運動もできる逸材を見つけ出しては改造手術において強化人間を作り出し世界を支配しようかと企んでいるのだ。
理由はどうあれその科学力はすさまじいと言える。
僕も今のままの弱々しい人間であってもなんら発展は無いのではないかと思ったりする。野獣のように強い人間がいてもそれはそれでおもしろいのではないか?
とは言えネフィリムのようになっても怖いとは思うけどね。
現実の世界はどうなのだろうか?そうやって空想内だけでも考え出すことができているのだから、実現される未来も遠くないのではないだろうか?
なにも高性能な携帯端末をいちいち持って歩く必要なんて無いのである。頭に埋め込んじまって、目にはもうカメラ機能を持たせてしまえばいいじゃないか。
頭脳も計算くらいは電卓にさせてしまえばいい。わざわざスマホを取り出して電卓アプリを開く必要もない。人間ひとりひとりが頭脳の中に電卓機能があって、「算数が苦手」だと言う人間を無くしてしまえばいいじゃないか。数学者だって少なくなっちゃうくらいに算数の計算ができる人類の時代がやってくるだろうし、算数の計算が速くなれば仕事も簡単で、ゲームなどの強さも一段と変わってくるに違いない。
人間の計算ミスによる失敗もなくなってくるだろう。
そうやって考えてゆくと、できそうなことやおもしろそうな未来が見えてくるような気がするが、そんな未来は“やってこない”のではないかという気もしてくる。
それこそ、改造手術にはお金がかかってしまう。並外れた計算能力と腕力、脚力などを得ることで社会から阻害されたり、怪異な視線を浴びせられてしまいかねない。それに…“より強い人間が現れる”、それをいちばん恐れているのかもしれない…。
そう考えていくと、次なる人間の進化は人間自身が止めているのかもしれないなと僕は思ったのである。
つまり科学力や考えるチカラは強くなれど、やはり猿は猿でしかない。
いろんな事ができたところで、結局、繁殖と食べる事への執着を捨てられない猿でしかないのな。と、そう思ったのである。
昔の仮面ライダーBLACKを見返して流し見している時もこんなシーンがあった。脳内まで完全に改造されてしまった主人公の親友、秋月信彦が悪のライダー、シャドームーンとなり。自分の属している秘密結社がいかに素晴らしいのか過去の自分の恋人と自分の妹に諭すところだ。
「お前たちも改造され姿形は変われど、くだらない戦争もなくなり、金に目が眩む事もないのだぞ!」
と、そう言ったのである。
しかし、恋人のカツミは強く言う。
「嫌!そんなの嫌よ!なぜそんなひどいことを言うの!」
え?人間でいることってそんなに大切なことなんだろうか?
戦争で血を流したり、欲が強くなり金儲けばかりのことを考えるようになれば、それこそもはや人ではなくなってしまうのではないか。
何を言っているんだカツミ!
心が汚くあれど、人の姿でいたいという人の欲深さは怪人よりもはるかに怪人らしさが溢れていて、どっちもどっちかななんてその時僕は思った。
朝ごはんはパンが良いか、ご飯が良いかと言い合っているようなものだと思うし、カレー味のうんこと、うんこ味のカレーのどちらを食べるのかと討論しているのにも似ている。
性格のいいブサイクと、性格の悪いイケメン美人とどっちと付き合いたい?について語りあっていることにも似てるかな。
人間、次は猿怪人にでも進化したらどうだろう?なんて皮肉を言ってみる。