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クリオネの教養
「教養」の話から色々考えさせられて、あーでもないこーでもないと色々頭の中でぐるぐるとめぐらしているときに、ちょうどこんなことがあった。
参加しているLINEのグループの中で「スーパーにクリオネが売っていた」という写真が送られてきた。
このグループを作った人には会った事があるのだけど、あとからあとから入ってきた人とはあまり面識がない。
「クリオネ」とはあのクリオネである。海の妖精って言われているアレだ。
スーパーの鮮魚コーナーに売られていたという写真が送られてきたのだ。
値札が付いていて、“鮮魚”と書いてある。という写真である。
ちなみに海苔の佃煮的な瓶に1匹入って1000円そこそこの値段である。
その写真からの情報から「鮮魚」というシールの文字に突っ込む人がいたり、スーパーの魚コーナーに売られているものなの?ってことにびっくりする人がいたりで話はいくらか盛り上がるのだが、またある人がYouTubeで「クリオネを食べてみる」というチャレンジをしている動画を紹介しだした。
それを皮切りに「へぇ!食べられるんだ〜」となり、一気に“クリオネを食べる”という方向性で皆が話しはじめたのである。
だいぶ冷めたことを言うぞ。覚悟せよ。
僕は冷たく思った。
物事を知らないってことはよくある事ではあるが、やれ年齢も40を過ぎたような連中が、小さな小瓶に入ったクリオネが1000円以上もするのに、それがスーパーの鮮魚コーナーに売られていたからって、食べられるのかどうかということに盛り上がってどうするんだと。
それは食用で売られているわけではないだろうとわからないのだろうか。
クリオネは“物珍しさ”から置いてあったのだ。
しかしただ置いてあって「観賞用です」と置いてあると何も価値はあるまいし、なんならタダならもらってもいいか?と言ってくる人がいたり、はたまた盗んでしまおうと考える人がいるという可能性がある。しかし値札が無い時点では盗むという概念はない。
そこで、具体的な値段を付けてしまう事で観賞用としても箔が付くだろうしジッと見る人もいるだろう。それに「欲しい」と思う人だっているだろう。
そして、そこから持ち出そうとする人を遠ざけられるはずだ。勝手に取って帰ったら万引きになってしまうからな。
これは、クリオネを売って儲けてやろうという事ではないし、どうぞ食べてみてくださいというわけでもないのだ。
値段が付くことで人の目をちょっとでも引く事ができるし、「欲しい」という気持ちに肯定することもできる。
もしも買ってくれる人が現れるのであれば、それこそ儲けもんだなというだけの話なのだろう。
それに、なんなら生き物としてちゃんと敬意を払うってことにもなる。(勝手に持って帰られて、どうせ放って置かれるくらいなら、まだ値段を付けて可愛がってもらった方が断然良い)
こんなにロジカルに考えなくともよいのだけど、馬鹿正直にもほどがあるまいか?「鮮魚」というのはお店が付けた商品カテゴリーの名称に過ぎない。
「じゃあ食べ物と一緒に置くなよ」と言われそうだが、それなら貝類はどうだ?サザエとかハマグリ、赤貝なんかは水槽に入れられて売られたりしている場合もある。パッカリと捌かれた魚の隣などに、水槽に入れる空気をぶくぶくするやつを突っ込んだりしているじゃないか。
それにクリオネは貝類だという。言うなれば生きた赤貝やサザエなんかと同じ部類(カテゴリー)だという事である。なんなら行きたまま持ち帰って水槽に入れて育てたりもできるって事でもあるのだ。そんな赤貝やサザエは何というシールを貼るんだ?おそらく「鮮魚」というシールを貼るんじゃないだろうか……。
僕は気になって仕方なかった。
そして、みんなが本気でクリオネがスーパーに売られているからって、“食べるのだろうか”という方向で話を進めていることにそれが本気で考えているのか、はたまた高度な冗談なのかよくわからなくなったのだった。
(ちなみに僕は冗談は通じる方である)
気になった僕はそのLINEで行われている話の腰を折り「クリオネを食べるという方向で話しているけど、冗談ですよね?」と送ってみた。
するとこう返ってきた。
「実際に食べたことがある人がいるから、“食べれるの?”って話」なんだと。
実際に送られてきた文章は上記とほぼ変わらない。
ここで「食べれるの?」と書いてあるところが僕はミソだと思った。
つまりこういうことか?
スーパーに売られているから「食べるのか?(食べ物なのか?)」という話と、その後出てきた、実際に食べた事がある人がいるというYouTubeからの「食べられるのか?」って話はまた別だということで。スーパーの話からYouTubeの話が出てきた時には、クリオネは食べ物として売られているということを論じることはもうしていないということ(らしいの)だ。
何だそれ。ややこしすぎるだろ。それにこの事を説明するにはやけに短い文章の返信だ。わからん!
「食べるのか?」という話と「食べられるのか?」という話は全く違う聞こえる。
僕の認識は以下のようである。
「食べるのか?」
すでに誰かが食べている物で、今食べるのかどうかを伺うニュアンス。
「食べられるのか?」
誰も食べたことない物をチャレンジして食べてみてやろうというニュアンス。
だから実際はこの返信そのものも意味がわからない。
「あなたは食べられるの?」と聞きたいのか「そもそもクリオネって食べられるの?」ということに関して「食べれるの?」と言っているのか…。である。
うるせーな。めんどくせーんだよ。なんて言われるのもごもっともな事だ。そんなのはわかりきっている。
ただ、この話はクリオネがどうのという話ではない。
教養があるかどうかという話である。
もしかしたら僕は教養がなさすぎて、会話について行けてないのかもしれんな。
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