雑用ファイター
いつもこの記事を読んでくださりありがとうございます。
考えた仕事の案があって、冗談ながらにも考えています。
非常識な事もあるかもしれないですが、突飛な考えも現実的に考えてみるとおもしろくて、発想がずっと大きくなるのがおもしろいと感じています。
ちなみにここで考えた案でお金をもらえるかどうか、稼ぐことができるかどうかは“とりあえず考えない”ので具体的な収入のことは考えないことにしています。
発想は冗談だろ、と言われるかもしれないです。
しかしそれを実行させようと具体的な案と作戦を本気で考えるのも、なかなかにおもしろいもので、もしよろしければ読んでみたご自身の感想や思いついた案だったりをコメントしてくださるなら嬉しいです。
こどもの頃になりたかったような仕事だったり、こんな仕事があったらいいななんて、こどもみたいに考えてみる。そんな自由な発想をオトナである自分が現実的に考えて、リアルにしてゆく。
僕達は作られた仕事をこなすだけの生き物ではなく、自分で作り出して自分の都合のいい仕方で働いたって何も悪いことなんかないのだと思います。いろんなお店の案や、実在するお店を見たり聞いたりしていると、コトはやり方次第なんだなと感じますね。
お読みいただいているあなたも、「実現なんてムリだろう」なんて意見や考えを持つことでしょう。遊び半分で冗談だと思ってお読みいただけたら幸いです。
いくつか考えた仕事の案をここに残しておこう。
以下、本文です。
前回は「お小説塾」について考えてみた。
「誰でも小説家になれる」ということをコンセプトに文章で活躍する事ができるならおもしろいなぁ。ライブハウスの文章バージョンとでも言えるかもしれないなと思った次第。
この考え、実は今のところ仕事の中でなぜかいちばん気に入っている。なんとなくいちばんおもしろそうな予感がもくもくとするのである。わかんないけど。
なんだろうな…。
その…。
たとえば、小説を書いたりすると、誰かに読んでもらったりする瞬間というのはドキドキすると思うんだ。
しかしその反面で。
それだけが「どうしてもできない」という人がいるかもしれない。そこさえクリアしてしまったら良い本が書けるだろうに!とか、そんなおもしろい物語を書けるのであるなら、どうして今まで燻らせていたのか!と、友人から叱られたりすることすらあるかもしれない。
そんな言わば大きな壁みたいなものを、ひょいと軽く飛び越えてせえしてしまったら、あとは続けるだけだろう。
なんていう挑戦でもあるし、登竜門的なものでもあるし、みんなが通う学校でもある場所にできたらどんなにかステキだろうなと思ったのである。
学生しか入れないか?
いやいや、そんなことはない。誰だって文章を書いて、書いては悩む事ができる。
なんだろうな。
言うなれば「スポーツを観る側になるか、する側になるか」という違いみたいなものかな?なんて思うわけよな。
さて今回は、「雑用職人」について考えてみようかと思う。
これも以前考えた「お手伝い屋さん」に似ているかなぁと思うところではあるのだけど、僕の中ではちょっと違うジャンルなのでそれが一体どういう違いがあるのか考えてみようかと思うのだ。
「雑用」というと、なんだかどうでもいいような仕事だったりするけど、しかしそれをやってくれる人がいるなら助かるなぁと思う事がひとつやふたつないだろうか?
僕には…ないかな。
そう、僕は暇なのである。
しかし、そんな暇だらけの人とは真逆にも。
暇なんて全くなくて、いつだって誰でもいいから手伝って欲しいという人がもしかしたらどこかしらにいるんじゃないだろうか、と思っている。いつでも手伝って欲しいならアルバイトを雇えばいい話ではあると思うのだけど、それがたとえば飲食店で言えば「何曜日の何時から何時まで」という忙しい時間帯にだけ手が足りないんだって事がある。
飲食店であればその時間だけ来て欲しいという、それこそアルバイトを雇えばいい話ではあるのだが、「繁忙期だけ来て欲しいんだ」っていう“とある期間”の場合だったり、何かの作家さんであれば創作の作業とは全く関係ないいわゆる「雑用の消化」でホント忙しいって事があるだろう。
そういうのって言ってみれば下っ端にさせておけばいいじゃないかというところでもあるのだが、僕はそれが本職であってもいい人がいるんじゃないだろうかと思った。
誰にだってアルバイトは雇えるものでもないし、弟子だって誰にでもいるものでもない、部下もそうだろう。
言ってみれば僕なんかもそれが本職であっても全然かまわんと思っている。
いつまでも職人さんとして「いちにんまえ」になれないただの落ちこぼれなのかもしれないし、いつまでも大きく稼ぐ事のできない人物になってしまうかもしれないが、それでもまぁいいんじゃないか、飯を食いっぱぐれたりしなけりゃあ、なんてことねぇかなぁ…なんてお気楽な事を考えていたりする。
なんだろうかね。
「自分は主役になど絶対になれない」って思う事ってたくさんあるかもしれない。主役にならなくったって楽しいし、人のお助け役みたいな事してるだけでおもしろいし楽しいって事があるだろう。
そういう人は、もうそういうポジションでいいんだ、と思ったのだ。
できない事を無理やりやろうとしなくったっていいし、やろうと努力しなくったっていいじゃない。
誰もが誰からも見えるポジションで動けるかと言われると、そんな事は全くない。後ろでちょこちょこ動く人だって必要なのである。「縁の下のチカラ持ちのその下」だって必要なのである。
それこそ、言うなればお料理する人が「主役」であるなら、材料の調達だったり副菜やサブメニューの構成を考えたりするのが得意だったり、お酒のチョイスを考えたりする事があるかもしれんだろう。
そのお仕事が好きなら、そればっかりやってみると、いくらか見えてくるものがあるし、できることもたくさんあると思える事がある。何も給料がすべてではないし、どこかの中心人物になったり先頭に立ったりする事がすべてではないのである。