良いものちょっとだけ生活
最近は「いいものは良い」という気持ちと考えになってきています。
食べ物でも飲み物でも。道具でも、音でも見るものでも。もちろん服とか靴だってそうです。あるひとにとっては住むところとか、住む街なんかもそうなのかもしれませんね。お値段が高けりゃ良いってもんじゃないですが、良いものってそれなりのお値段がするのは承知しているってところでしょうか。
誰もがみんな「いいね」と言えるものなんてこの世の中には存在しませんけど、多くのひとが好きになれるものはいっぱいあります。
例えるなら…ビールとかかなぁ。
ビールって苦くてあんまり好きじゃないってひとは多いんだけど、苦手なひとでもだいたいのひとはちょっとくらいなら飲んでくれますよね。
そんな感じですね。
ちょっと飲みませんか?
って言うとだいたいはみんないいねって言ってくれる感じですね。
で、その「いいもの」の話なんだけど、いいものって普通のことなんだなと思ったんですよね。
機械とかオートメーション機能が発達していろんなものがたくさん、簡単に生産できるようになったってことで、良いこともたくさんたくさんありますけど、なんか、今の世の中に溢れているものって、“省略とか簡略しすぎている”んだなぁと思いました。
手軽に手に入れられるってことは良いように感じたりもしますけど、そういうのが普通なんだなぁって感じてしまっていると、なんだかそれはちょっと違うなぁって感じているのが最近の僕です。
今までコツコツとやってきたことを簡略化して簡単にお手軽にできるようになったのが今の世の中の“普通”になってしまっているのですよね。それはちょっとだけ悲しいなぁって思う時もあります。
手作り、時間をかけて、厳選して、よりすぐりの…と言う言葉で形容化してはいますけど、本当は今までずっと”それが一般的なやり方”だったんですよね。「アレには時間がかかるよ、ソレにはこれくらい時間かけなきゃいけないのよ」というものをどんどん簡略化して“簡単にお金を稼ごうとする”のが人間の悪いくせなのかもしれないですが、そういう気持ちを無くさなきゃいけないので難しいでしょうね。だけどそれをちょっとだけ我慢して、丁寧に細かく事が運んでいくことを見届けてやるんです。もしくは自分が育てていく。ソレを楽しむ。
そういうおもしろさが物にはあるなぁと。それが、いかなる物にもあるなぁと感じたんですね。
たとえば包丁やフライパンだったり、ズボンとかお掃除用のブラシとかだったり、車でもお酒でもなんでもそうです。毎日使うもの、毎日の違いを楽しむもの、ソレを楽しんでみるのもかなりおもしろいかと。
コツコツと事を進めて行って、やっとできたものっておもしろいし美味しいなぁって思って、何かをコツコツ進められるって良いなぁと思ったんですね。
出来上がったものがちょびっとだとしても、なんか良いなぁ。なんて思っています。
そーいえばよくある物語にこんなひとが出てきますね。僻地にある自宅の地下室で怪しい実験とかして何か作ってる博士が、
「ついに…!ついに完成したぞ…!」
窓からピッカー!ゴロゴロゴロ〜(雷)
「念願の薬がついに完成したんだ!街が、いや世界がこれで変わるんだーーー!」
なんて叫びながら、自分の実験した事柄をドカンとやる。あんなキャラクターに、ちょっとだけ憧れていたように感じます。
僕もそういうコツコツマンになりたいなぁと思いつつも、僕は溜め込んで一気にやるタイプなものだから、なっかなかうまいこといかないのが現状なんですよね。
確か、手紙で一手ずつさす手を考えて、友達と将棋をするんだっていう誰かがいたような、いなかったような。
コツコツとちょっとだけ、毎日毎日進めるのが楽しいんだな。
すごろくだな、これからの僕は。