ヤンキーと根性の関係

ヤンキーがどこからやってくるのか考えていた。ヤンキーってランキングもあるだろうし、呼び方も様々あるだろうから定義が難しかったりするのだけど、一般的には「反社会的な行動」や、ひたすら勉強をして「高学歴」な経歴を持っている者は少ないみたいだ。

だから僕が考えるに、学生時代に勉強が苦手かあるいは個人的に好きではなくてフェードアウトし、オトナに反抗的になってしまう事をヤンキー化する(不良になる)と言うのではないかと思う。
それで言うと僕はヤンキーの部類に入ってしまうが、僕はヤンキーではないなぁと言う自負がある。

というのも、僕は自分がヤンキーのような人間にはなれないと思っているからだ。
勉強は嫌いだが、あからさまに反抗や反発をして攻撃するなどして、社会やその他の身近な集団から厄介者扱いされることはあまり好まない。かと言って“群れる”のが得意かというとそうでもないんだけど…。

いや、僕の話はいいとして…。

しかし、あと一歩というところで、と言えるかどうかわからんが、僕はヤンキーにはならなかった。
うちは母子家庭で裕福ではないと言えるだろう。借金まみれだったということはなかったが、「お金に」恵まれていたとは言えない。
「お金に」と強調したのは、前回の作文で貧しい家庭にヤンキーは生まれるのではないかという考えがあったから。

しかし自分の家庭環境を見ると、ヤンキーになる要素は揃っているようにも思えるがそうはなっていないところから、物理的な条件が揃っていたとしてもヤンキーに育つとは言い切れないようなのである。

ヤンキーは時として、根性があるとか、根性試しみたいなものをしがちだ。
「根性焼き」とかやるし、本当に危ないところで「肝試し」なんかもしたりする。ヤンキー映画なんかを見ると、仲間の敵討ちをするために敵の本拠地へひとり乗り込んで、「ひとりで来るとは度胸のあるやつだな、歓迎するよ…」などと言って拳の歓迎を受ける。

ヤンキーになるにはある程度の度胸や勇気が必要なんだろうか。
確かに、物事や人に反抗したり、時には暴力を振るったりするのは度胸が必要だ。
職場での上司や、パワハラしてくる人にガツンと言ったりするのは度胸がないとできることではないからな。

僕にはそれができなかったと言えばそうだったんだろう。




なーんだ、自分はただの根性なしだったのか。


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二ノ宮金三郎
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