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ああしろこうしろと言ってくるやつへの対処法

先生の言うことを聞かなきゃいけない、お母さんやお父さんの言うことを聞かなきゃいけない、と育ったひとは多いと思う。

最近、こどもの頃にオトナの言うことをちゃんと聞いて育たなきゃいけないという理由がわかったような気がする。
自分がオトナになると、他のオトナのいうことを聞けなくなるからだ。


何言ってんの、偉そうに
何様のつもりだ?
ひとの事言えないでしょ
生意気だな
若造のくせに
じじい(ばばあ)のくせに
その前にお前、誰だよ?
何の権利があっての言葉だよ
なにもわかっちゃいないくせに
お前がやってみろよ
……


言うことを聞くよりも先に“反感の気持ち”が堂々と現れる、なんだか情けない。
居酒屋みたいな「はい!喜んで!」なんて無いに等しい。

オトナになるとなぜだか“自分は誰かより偉い”と思いがちで、“自分は誰かより正しい”だとか、“誰かよりカッコいい(かわいい)”とかもしくは“センスがいい”なんて思って誰かの事をヒソヒソ言ったりクスクス笑うことを好みだす。傲慢な気持ちだよね、まったく。

「いやいや、自分はそんなことやってなんかいないよ。」
なんて思っているのも、もしかすると“自分は大丈夫だ”なんて思って自分には関係ない、部外者なんだと言おうと、もがいているセリフなのかもしれない。その時点ですでに「聞いて学ぼうとする精神」も無いわけだ。


あーそーか。
だからだな。

そういうオトナにならないために、他のオトナの言うことを聞く練習をこどもの頃にいっぱいしなくちゃいけないのだ。
誰かの言うことを聞くって難しいことなんだな。
オトナになると指示すらしてくれないひともいるし、わざわざわかりにくい指示を言うひとだっている。無理難題を与えてくるへそまがりだっている、実はオトナって“イジワル”ばっかり。親の言うことがいちばん優しくて親切で簡単なのかもしれない(そうでもない親もいるだろうけど)。
たとえ友達の言うことだろうと“嫌なものは嫌だ”なんて気持ちがすごく簡単に出てくるのだから、“物事は簡単なうちに慣れておく”のが得策なんだな。

オトナになって難しいのが、“自分は正しい”という自信を持たなきゃいけないのだけど、“自分が必ずしも正しいとは限らない”という、「もうちょっと自分、成長したいかも」という気持ちを持たなきゃいけないことだ。

そこの葛藤で、聞くに聞けない事だったり、妙な自信があって仕事の内容に誰かとは違う“食い違い”が生じる。それが失敗へとつながったり報告し損じたりで、人間関係の微妙な崩れへと変わってしまうことがある。


僕の好きな言葉のひとつに、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがあるが、コレをしないと、わからないことは恥ずかしくても聞いて確かめるべきで、それができないなら職人としてもひととしても恥ずかしい生き方をしてしまうのだ。
これはもしかすると“ひとに言われること”にも通じる事なのかもしれない。いや、きっとそうだと思って僕は解釈しようと思う。
言われる前に、良い特質はマネして学ぶことも忘れずにね。

お酒の注文が入る前に、「次は何呑みますか?」とお客さんにお尋ねするのと似ている。


ああしなさい、こうしなさいを感謝する。これからの僕は。

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