第5回 「映像作家がラジオ!?映さない日々が映すもの」
司会 :高橋久美子(作家・作詞家) × 綾部健司(音楽家・詩人)
ゲスト:和島香太郎(映画監督)
第5回目となる「金夜に会いましょう」は、映像作家の和島香太郎さんをお迎えして、これまで製作された短編映画や、11月2日公開の映画作品「だってしょうがないじゃない」(今作品は編集をご担当)の制作背景などをトーク。ご自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「ぽつラジオ」についてもお話しして下さいました。
●1983年生まれ ゲスト:和島香太郎
高橋:本日のゲストは、映画監督の和島香太郎さんです!
高橋・綾部:よろしくお願いします〜!
和島:よろしくお願いします。
高橋:こういうトークイベントって結構ありますか?
和島:無いですね。。
高橋:あれっ、ときどきワークショップとかでされてなかったでしたっけ?
和島:こういう雰囲気のは、ちょっとなかなか。。
高橋:香太郎さんとは奥沢のONIBUS COFFEEで出会って、そこはクリエイターさんが集うような場所で。知人から映画監督をされている方だよと紹介してもらって。実は綾部くんも会ったことあるんですよ!
綾部:えぇーーっ!!
高橋:私の結婚式でスピーチをしてくれてるんよね。それでねえ、香太郎さんの叔父さんはね、なんと、北の富士さんという元横綱の力士さんだったんだよ。今は大相撲の解説でご活躍されています。
会場:へ〜!!
高橋:私「ごごラジ!」という番組でパーソナリティーをしていたとき、名古屋場所に中継で入ったんですね。その時に北の富士さんがゲストの解説でいらっしゃって、そこで香太郎さんのお話もしたね。
和島:聞いてました。
高橋:香太郎さんのご実家が山形でちゃんこ鍋屋さんをやっていて。
綾部:えっ?ちゃんこ鍋で育ってるってこと?これだけスマートなのに(笑)?!
和島:小さい時はもっと太ってました。
高橋:香太郎さんの映画をちゃんと昔作ったやつを観られてなくて、旦那さんとTSUTAYAに行ったんだけど、なんか「香太郎さんが、あんまり久美子さんは見ない方がいいよ」って言ってたよって言われて。そうなん?
和島:久美子さんがというより、苦い経験をした映画でもあったので。
高橋:はぁ〜、そういうことだったのか。作った後に、苦い思い出になっているということなん?
和島:ちょうど久美子さんと出会った5年前ぐらいは、自信喪失中でこれからどうなるのかなと思ってた時期だと思うんです。だから「映画監督です」とか言われると、いや、作ってないんだけどなぁみたいなタイミングで。
綾部:すごいわかる。僕も、Live全然やってないのに、人に「音楽家です」って紹介されると。でも他に名前何にもないからね。仕方ないんだけど。なんて呼ばれたいとかもないし。
高橋:肩書きってあって無いようなもんだよな。
綾部:うん。名刺もないしね。
高橋:それで、金夜の第2回目ぐらいに紹介した、黒田三郎さんの詩集「小さなユリと」ですが、実はこれは香太郎さんがとってもいいですよって紹介してくれた本だったんですね。その後、香太郎さんはこの詩集を原作にして短編映画にされてて。
和島:久美子さんに出会う3年前くらいに撮っていて、しばらくしてからスタッフが書籍にしましょうと言ってくれて、限定で作った本なんです。
高橋:詩集とDVDの両方が入ってるのがすごいと思ったんです。それでこの表紙の画がいいですね。誰に描いてもらったんですか?(DVDセットにもお父さんの絵が大きく描かれている)
和島:もともとこの詩集は黒田三郎さんと、その娘さんのユリさんの日常を詩にしてまとめられた本なんですけど、映像にする際に演じてくれた父親役の人も、娘役の人も実際の親子で、その娘さんがお父さんのことを描いた絵がDVDの表紙になっていて、詩集の方もユリさんが黒田さんを描いた表紙になっているんです。
高橋:ではこのDVDの映像を観てみましょうか。
綾部:是非、それは観せて頂きましょう!
和島:少しだけ解説をすると、実際に演じてくれた親子のお父さんは、舞台の役者さんをされているんですけど、その娘さんはお父さんが何をしているのかというのはわかっていなくて、当時2歳くらいだったんですけど。初めてお父さんの演技をしているところを観に行く、そのシーンをずっと長く撮った物を観てもらおうと思います。
※こちらは実際に流した映像ではなく、予告編になります。
和島:お母さんが入院している間の、お父さんと娘の二人きりの日常を描いた映画です。ずっと喧嘩続きでお風呂に入ってくれなかった娘が、色々あった末、ようやくお父さんとお風呂に入ってくれた場面を観て頂きました。基本的には黒田三郎さんの詩集から影響を受けつつ、二人の関係を舞台役者とその娘という設定に置き換えて作りました。8年くらい前ですかね。
綾部:僕はちょうど2歳の息子がいるので、自分も音楽を演奏するときに、初めて観てもらった時の表情を凄い覚えているんですけど、言葉で難しいのですが、彼が身体全体で、彼と私が繋がりを感じて、シンパシーを持っている感じ。この娘さんもお父さん以外に目に入っていない視線が印象的で。
高橋:なんか演じてるのと違うよね。本当にそう思っているんだという眼差し。
和島:2歳の子なので、寝るシーンは寝るのを待って、撮って。ご飯を食べるのも、お腹を空かせるのを待って。ドキュメンタリーで密着しているような感じでした。
高橋:リアルにその子の成長なんだなという感じがしましたね。題材というのは、黒田さんの詩を見つけて、これだ!!という感じで作られたんですか?
和島:それだけでイメージが湧きずらかったのもあって、黒田さんの奥様が書かれた『人間・黒田三郎』という本があって、ちょっとこれ読んでいいのかな?とは思ったんですけど、我慢できずに読んで、人物像を作る上で頼りにしましたけれどね。
綾部:いま、2歳の娘さんを観て思い出したんですけど、2歳っていうのは動物と人間の狭間なような気がしていて、1歳半から2歳半くらいになるまで。1歳の時なんかはほとんど哺乳類として僕に魅せてくれる。彼が自然の物として在るが儘の状態に対して、僕ができることをする。彼が居て。僕がいる。その過程を視覚的に残せるというところに映像の力があると思うんですが、今日僕が訊ねたかったのは、和島さんは映像で何を撮られるんでしょうか。
和島:これを撮った時は、20代だったんですけど、自分は何を撮るべきか、どういう表現をしていくべきかわからなくて、色々模倣もしたし、失敗だらけで作る度に自分が嫌いになっていくみたいなことを繰り返していたんです。それが、最近になってようやく、自分が何を撮っていくべきかがわかってきたような。これから撮っていく中でより鮮明になっていくのかなと思っています。
綾部:Twitterとかを見させてもらうと、あっ、なんかごめんないさい!ストーカーみたいなんですけど。。
会場:笑。
綾部:和島さんがやられてる『ぽつラジオ』のTwitterなんですけど、そこに「誰かを勇気付けしようとせず、誰かのお手本になろうとせず、社会における、てんかんのイメージを上げる使命も負わずに話すためにはどんな工夫が必要なのだろう」っていうメッセージが書いてあって。なんかこのメッセージが全てなのかなって思ったんです。話がすごく飛んで申し訳ないのですが。。表現としての根本をちょっと垣間見た気がしたんです。
高橋:表現もそうだけど、依頼されることやお仕事としてということもあって、そこに自分の心をどう落とし込んでいくかとかというのは、常にあるでしょうね。
綾部:ちなみに2009年の「第三の肌」というのはどういう作品だったのでしょうか。
和島:毎年若手の映画作家に助成金が与えられて、あんまり今は映画で使われない35mmフィルムで30分以内の映画を撮らせようっていうプロジェクトがあって、その2008年度の作家に選んで頂いた時に撮った作品です。
高橋:そういうのは先に原案があるのか、それとも原案から自分で探し当てていくのかどちらですか?
和島:選ばれるまでに幾つか審査があって、前もって短編を作ったりもしたんですけど、これに関しては審査を通った後に一から考え直した企画でした。
高橋:映像に行こうと思ったタイミングはいつ頃からだったんですか?
和島:もともとテレビっ子で、子供の時からテレビドラマを毎週見ていて、なんか映像に関わる仕事をしたいなって思っていたら、映画とかもテレビでやったりするじゃないですか。それから映画館にも小学生ぐらいから毎週通うようになって。
高橋:ご両親が連れて行ってくれたの?
和島:高学年になってからは一人で。
高橋:山形の小さい街に、歩いて行ける範囲に映画館があったんですか?!
和島:自転車で20分くらいのところですね。
高橋・綾部:ええー、格好いいー!!
和島:って言われたくて行ってたんですけどね(笑)。
会場:笑。
高橋:バンド始める動機に似とる。そういう時に観るのがー、きっとドラゴンボールとかじゃないんでしょう。どういうのを観てたんですか?
和島:洋画でポツポツやってるのがあって。印象に残ってるのが『セブン』ですかね。
高橋・綾部:あの怖いやつー!!
高橋:流行ったなあ。ブラットピットのなあ。怖かったよなあ。当時はR指定とかなかったんかな。いやでも私も映画館で見たなあ。笑
和島:当時の映画館で入っていいやつだったかは微妙だったんですけど、田舎なんでなんか入っていけて。あと『アポロ13』とかも観てましたね。
高橋:そうか、そうやって映画の世界に入っていくんですね。そもそも、映画の撮影はカメラを回す人は別にいるんですよね(これ知ったときびっくりしたんですが)脚本も別の人が書いている場足もあって。そうしたら、映画監督は何をしているんだろうっていう素朴な疑問が…。すみません。
和島:現場では主に役者さんに演技をつける。ようするにOKをだす仕事。そこにいきつくまでに衣装はどうしましょうって衣装さんに相談されたりとか、小道具だったりとか色んな提案があって、限られた予算の中で決めてやっていくっていう。
高橋:予算…お金かかるぜ…映画って。
和島:そういうわけで、撮影の時間が短いので…急かされながら。でも僕ゆっくりなんですよ。わかると思うんですけど。遅いって言われながらいつまでも粘ってやっちゃうっていう。
高橋:何回くらい撮り直しをするんですか?
和島:まあ、できても20回くらいですけどね
高橋・綾部:ひょえー!20回!?
高橋:私のイメージでは「お、今のいいね!」って一発OK出すのかと思ってた!
和島:こないだ78歳くらいのおばあさんに13回やり直しをさせてしまって、やばいなあって思ったんですけどねえ。
高橋:それは役者さんと言い合いになったりとかはしないんですか?
和島:そういうのはないですかね。
綾部:信頼関係がないと20回ってできないのかなあって思いますね。
高橋:でも、当たり前の世界なんでしょうかねえ?
和島:「セブン」の監督さんは90回くらいやるそうで…
高橋・綾部:ブワーーーーー!!!90回!
高橋:確かに私もデビューミニアルバムの曲「ハナノユメ」は50テイク叩きましたねえ。もう何が正解かわからんくなってきましたよねえ。笑
綾部:ちなみにけっこうでっかいレコーディングにギターで入ってて、ソロ20回失敗して、22、23歳の時なんですけど、僕で最終テイクだったんですけど、20回やり直して、終わってみんなの前で土下座しました。
高橋:うわー震えるー。笑
会場:爆笑
高橋:ええとそんな感じで撮影もテイクを重ねるんかな。
和島:疲れてきた頃合いが丁度いいっていうのもあって。
綾部:なるほど。音楽だとファーストテイクが一番良いみたいのがありますけど、映画もそういうことってありますか。
和島:きっとその監督によって一発目がいいっていう現場もあれば、だらだらやんないと終わんないっていう僕みたいに人もいるんですよね。
高橋:50回やって1回目がやっぱり良かったって戻ることはない?でも、一回目を一回で良しとするんじゃないくて、やっぱ一周回って一回目の良さを知ることってめちゃくちゃ重要だと思うんですよ。
和島:うん、きっとそれもあるでしょうね。でもそれ言えないんですよ。
綾部:20回撮って最初が良かったって。絶対言えないっすよね。
会場:爆笑
高橋:言えない〜!!
和島:なので、編集のなかでこっそり使ったりしますよね。「やっぱり最初の方のが良かったんでそっちにしました」っていうのはありますよね。笑
高橋:選択の連続ですよね。瞬間瞬間にジャッジしていくっていう現場ですよね。
綾部:精神的に図太くないとやれないですよねえ。
高橋:そんな中で、先程綾部くんからも出ましたが「ぽつラジオ」の話も聞きたいなと思っていて。映画をとったり脚本を書いたりされる中で、持病のてんかんをみんなに知ってもらおうということで「ぽつラジオ」というラジオ番組を始められるじゃないですか。どんなきっかけがあったんですか?
和島:二つのきっかけがありました。まず、初めて商業長編映画を撮らせていただいたときに、なかなかこう上手くいかなかったなっていうのが自分ではあって。それは監督としての技量のなさもあるし、現場で持病の発作が起こりそうな不安も常にあって怖かった。僕の中でアーティストっていうのは命を削ってやるものっていうイメージがあったんですけど、実感としては、自分の体の方が大切だなあっと思って。
高橋:うんうん。
和島:で、ずっとその現場で悩んでいたんですね。
高橋:周りの人に病気のことを言えなかったんですか?
和島:うん。てんかんってご存知の方も、ご存知じゃない方もいると思うんですけど、発作によって監督が倒れたら撮影が一日できないですよね。そうすると一日の人件費が飛んでしまったりだとか、損害がでる可能性があって、きっと雇う側からしたら、ちょっと和島には任せられないなという事態になるかもしれない。だから言えなくてですね。
高橋:ああ、そっか……。うんうん。
和島:でもそういう状況の中で、知らず知らずのうちにみんなリスクを背負わされるわけじゃないですか。それを知らずに一生懸命働いているスタッフを見て、自分は仕事をする人間としてどうなんだろうと悩んで。映画監督を続けるんであれば、自分の病をオープンにした上で、自分が働ける環境を作っていかなきゃいけないと思ったんですね。それで、なんとか映画を撮り終えて、心境の変化もあったので主治医も変えたんですね。
高橋:うんうん。
和島:主治医からは、仕事の仕方について考えるためには、同じてんかんの悩みを抱える患者さんと話してみることをお薦めしますと言っていただきました。主治医は患者さん同士の交流を促す方なんですけど、そのときに初めて、他の患者さんに会いました。例えば、てんかんを抱えながら多忙なお仕事をされている方、出産を経験された方とか。
高橋:へえー。
和島:そしてもうひとつのきっかけなんですけど、同じ時期に、大学時代の先生でドキュメンタリー作家の佐藤真さんに関する本が出版されたんです。その刊行記念として行われた佐藤さんの特集上映を手伝ったことが、ドキュメンタリーという方法について考えるきっかけになったんですよね。で、自分が恐れているてんかんについて考えながら、自分を知っていくことをした方がいいんじゃないかなと思い始めたんです。でも、僕が出会った患者さん達にカメラを向けて何かの映画を作ろうとすれば、その人たちはてんかんであることを伏せている人達なので、リスクを背負わせてしまうことになりますよね。自分自信もてんかんを伏せて生きてきたから、カメラを向けることはできないなあって思ったんですね。
高橋:ああ、なるほど。
和島:そんな中で、カメラは一旦置いて、マイクをみんなで囲んだらいいんじゃないかと。匿名で出てくれる人がいれば、その人のプライバシーを守りながら、その人の伝えたいことを発信できるんじゃないかなと。聞き手として色んな人に会いにいくきっかけにしようと思い、「てんかんを聴く ぽつラジオ」を月一で発信することになったんです。
高橋:本当にみなさんぽつっと喋るんですよね。
和島:「語ってください」って言うより「ぽつってください」って言う方がハードルがちょっと下がって人が集まりやすいかなというのが最初あって。
高橋:私の身の回りにもクラスにてんかんの子がいたり、親戚のおじさんがてんかんだったりっていうこともあったんですけれど確かにその子に「ねえねえ、症状は大丈夫なの?」とか「おじさん体は大丈夫?」という話をしたことがなかったね。その人達がてんかんで悩んでいるということも私達は気づいてなかった。外から見たら、車椅子に乗っているわけでも動けないわけでもないから見えにくいところだったんかもしれない。でも今のお話を聞いて、何か私達も腫れ物に触るじゃないけどベールをかけていた部分があったのかもしれないと思いました。朝会で倒れたりして、でも数日後にはちゃんと登校してて、けど特に病気のことを知ろうとかはなかったんかもしれん。香太郎さんの「ぽつラジオ」を聞くようになってから、当時の彼がこのくらいに(今も)悩んでいたのかもしれないと思うようになった。病気を持ってない私達が知るきっかけにもなるなって思ったんですよね。
和島:嬉しいです。きっと、話そうと思えば話せると思うんですよ。発作を目の当たりにしてびっくりしても、きっかけさえあれば、「何かできることない?」っていう風に声をかけられると思うんです。でもそうさせないような空気が生まれますよね。例えば、学校で発作をおこしたら、次登校したときにどういう言葉で説明すれば話しやすくなるのかとか。こちら側からのアクションや言葉について、ラジオを作りながら考えていけたらという気持ちもあるんですよね。
高橋:うん、うん。同じてんかんの方からはどういう反響がありますか?
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