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「?愛国心?」少しだけ政治のおはなし「深く、深く、深く…」(期間限定)


△はじめに

少しだけ政治のおはなしをしましょう。少しだけといいながらかなり長くはなりますが、それでも「少し」なのです。

ここでおはなしするのは、いわゆる「日本における国旗国歌問題」、というものです。

まず前提としてご理解いただきたいのは、歴史というものは現在の情勢やパワーバランス、民衆の理解のレベルや範囲、そういったものによって表立って伝えられる内容が変わってくるということです。

その理解のために現在の情勢に対する視点の一つを提示しましょう。


△公職追放

1945年8月14日 日本政府は英(BR)、米(US)、中(CH)からのポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)を受託。
同年9月2日には降伏文書の調印・即時発効に至り、いわゆる「先の大戦」は終結したのでした。

吾等ノ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民を欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯セシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ

ポツダム宣言第6項

これを元にGHQから日本政府に対し、「公職追放令」が出されることになります。

追放の対象者は以下のものとなります。

戦争犯罪人 A項
陸海軍の職業軍人 B項
超国家主義団体等の有力分子 C項
大政翼賛会等の政治団体の有力指導者 D項
海外の金融機関や開発組織の役員 E項
満州・台湾・朝鮮等の占領地の行政長官 F項
その他の軍国主義者・超国家主義者 G項

この内G項について違和感を抱くことができる方は感度が鋭いといえます。
つまり「その他」とは誰が決めるのだ、ということで、むろんこれはGHQということになり、拡大解釈され教育・言論・宗教等々様々な立場のあらゆる者たちが追放される形となり、最終的にこの動きによって追放された人数は21万人にも及んだのでした。

この後共産主義の世界的な台頭があったことで日本の共産化を防ぐために(???)追放された者たちの再登用の動きがありました。

しかしこのころには各国からの刺客や、元々この国の人間ではあるものの出身や家柄でこの国に対して100年単位・1,000年単位で禍根のある者たちなどが政治・教育・宗教・メディアへ入り込み、自分たちの思想を民主化に暗に組み込んで人々に触れ回り始めたのです(共産主義や無教会派キリスト教などを隠れ蓑とするケースが多い)。

もしあなたが「日々」に対して、「自分自身」・「国や世界」に対して何かしらの負の感情を抱いていたり、なんだか理由のわからない倦怠感や不安・焦燥やモヤモヤとした感覚を抱いていて、それが身体の不調や自傷行為・精神的な病にまで影響を及ぼしているとしたら、それはあなたがダメなのではなく、あなたが弱いのではなく、上記のような者たちからの「呪い」をかけられているという視点があるのです。


△日教組の教育に対する「活動」

RUがUKへの侵攻の選択をとらざるを得ないように「おちょくり」、UKへ戦争のための武器を供給する。

こういったことはUSの戦争派閥がよく行う手法であり、JPに対しても現在CHと戦わせるための国民に対する意識づけが行われています。

即ち、CHや共産主義に関して「実際はなんだかよくわからないが憎い・恐ろしい」というような負の感情を抱かせるための情報が目に触れやすくなっているということです(CHや共産主義が実は善なのだ、ということが言いたいわけではありません。数十年前から「一部」では言われていた内容が「一部」以外でも目に触れられるようになる理由には「先導」が少なからずあることを理解する必要があるのです。)。

「日教組」

この組織が行ってきた「工作」も上記のような情勢だからこそ人々が認識するに至ったのです。


日本教職員組合(にほんきょうしょくいんくみあい、略称:日教組 (にっきょうそ)、英語:Japan Teachers' Union、略称:JTU)は、日本の公立小学校中学校高等学校教員学校職員による労働組合の連合体である。教職員組合としては日本最大であり、日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。

立憲民主党および社会民主党(旧日本社会党)の支持団体の一つであり、両党に地方議会・国会に組織内議員を輩出してきた[2][3][4][5][6]

実はこの組織も前身はGHQによる占領政策の中で教員組合の結成の指示から生まれたもので、1989年の分裂前は共産党系の層も所属していたのです(ちなみにこの分裂した組織は以下の組織に加入しています)。


教員組合が特定の政治団体を支持したり、あまつさえ自分たちの中から議員を輩出していることについて如何なものか、そういった議論は当然あるとして、それ以上にこの組織が問題視されるのは教育現場での子どもたちへの思想の押し付けです。

いわゆる「自虐史観」、と呼ばれるもので簡単に言ってしまえば、

「日本人は先の対戦で大陸の国々を無理やり侵略し、人々に残酷な仕打ちを行った」

「そのことについて日本人は反省しなくてはならない」

主にそのような思想が暗に教科書にも入り込んでいるのです。

教科書は文部科学省による検定によって内容が適切かどうか審査し、合格したいくつかの教科書の中からどれを実際使うかは公立学校であれば市町村や都道府県の教育委員会が定める形となります。

しかしこのルールはごく最近までほとんど機能しておらず、現場の教職員の意見で2~3社程度の教科書があらかじめ絞り込まれていたとされるのです。

現場の職員とは言ってしまえば日教組のような左寄りの教員組合のことで、故に教科書に彼らの思想(すなわち設立の起源をGHQからの民主化とする思想。およびそこに入り込んだ禍根ある者たち、工作員たちの思想)が入りこんできたのです。

今の社会情勢では考えられないことかもしれませんが、また地域差もあるでしょうが、ほんの10数年前まで「日本は平和な国だから自衛隊はいらない」、という主張をそこいらで聞くことができたでしょう?
こういった背景があるのです。

すなわち、「軍を持ったら日本は再び侵略戦争をはじめる」という考えを日教組をはじめとする左派が広め回っていたのです。

現在でこそ日教組の加入率は減少してきていますが、平成元年まで教員の約半数がこの組織に加入していたことを考えれば、この恐ろしさを理解することができるでしょう。

↓日教組加入率・新採加入率の推移

https://www.mext.go.jp/content/20210219-mxt_syoto01-000011678_03.pdf


日教組関連で他に問題としてとりあげられるのが「日の丸」や「君が代」に対する認識で、彼らは式典における国旗の掲揚や国家斉唱を「教育に対する国家からの統制であること」、「再び生徒たちを戦場に送ろうとしている」という立場で批判してきたのです。

平成に入って文部省から国旗掲揚と君が代の斉唱の指導が強化されましたが、日教組等反対派は思想・良心の自由に反するとしてそれを拒否し、1999年にはこういった対立の軋轢から教師が自殺する、ということまで起こってしまったのです。

このことがきっかけで以下の法律が定められ、ここで正式に日本の国旗が「日の丸」になり、日本の国歌が「君が代」と定められたのです。

それまでは共通認識として「日の丸」が国旗で「君が代」が国歌であり、重要な式典にはそれらを掲げることは「そういうもの」で法律として明記する必要性がなかったという立場(慣習法)を保守層はとり続けてきたのですが、ここにきて「わざわざ」法律として明記するに至ったのです。

2006年、安倍内閣は教育基本法の改正案を国会に提出。第二条教育目的には以下のような文言が付け加えられました。

伝統と文化を尊重し、それ らをはぐくんできた我が国と 郷土を愛するとともに、他国 を尊重し、国際社会の平和と 発展に寄与する態度を養うこ と

改正前後の教育基本法の比較 (mext.go.jp)

むろんこの動きに対して日教組側は「国家統制である」、と強く反発し署名活動やデモ活動を行ったのでした。

阿部元首相の陣営は2010年前後からのスマートフォンの普及によって、インターネットを通して後に「ネトウヨ」と揶揄されるような人々の支持を付けることに成功しました。全体の政治活動がほんとうに保守的かどうかを置いておくとしても、発言や理念としては保守層をターゲットとし左派とは対立関係にあったといえるのです。

阿部元首相の勢力拡大により、左派の勢力の自虐史観が日本を弱体化させたという認識や「伝統・文化、愛国の理念を取り戻そう」というような趣旨のスローガンが広まっていったのです。


阿部晋三氏

△深くへ…(フランス革命の概要)

国旗掲揚、国歌斉唱に対する認識として左派は「教育に対する国家からの統制であること」、「再び生徒たちを戦場に送ろうとしている」という立場で批判し、右派は「自虐史観を棄却し、左派によって壊されてしまった伝統・文化、愛国の理念を取り戻そう」という立場で擁護してきました。

ところで、この辺りまでのおはなしは前提でしかありません。

あなたにはもっと、もっと、もっと
深く
深く
深く深く深く
深い場所から世界を観測していただきたいのです。

でなければ革命下の今、全体主義下の今、正義という炎(怒り)があなたを内側から焼き尽くし、すべてを台無しにしてしまいかねないでしょう。

フランス革命。

その内詳しく取り上げていく内容になりますが、簡単に概要をお伝えすると、この革命は当初は先代の王族たちが残した財政難によりそれまで課税義務のなかった貴族や聖職者への課税について話し合うために三部会をルイ16世・王自らが招集したことから端を発しています。つまり彼自身はかなり国民に対する理解があり、国民もまたルイ16世に対して崇拝の姿勢をもっていたのです。それがなぜか「王という存在そのものが罪」という「罰」によりギロチンによってルイ16世は処刑されるのです。


ルイ16世


その後、なぜかそれまでの人生では弁護士として死刑制度廃止を訴え続けていたはずのマクシミリアン・ロベスピエールが恐怖政治の中心人物として革命に反対の立場をとる者(そのように見える者)を片っ端からギロチン送りにしていったのです。

マクシミリアン・ロベスピエール


この混乱を収束させたのがナポレオンによる独裁で、彼は戦争のために効率的に戦力や労働力を動員するシステムを作り上げ、それこそが現在の「近代国家」と呼ばれるものであり、そのシステム同士の大規模な戦争が「世界大戦」なのです。


ナポレオン・ボナパルト

もちろん当時のフランスの内情を知れば民衆による蜂起を責めることなどできませんし、フランス革命を含むいわゆる啓蒙革命によって生まれた「人権」という概念が私たちに与えた恩恵を無視することもできません。

私が言いたいのは、「ただ怒りに任せた蜂起では止まることができなくなってしまう」、ということなのです。止まるためのブレーキは「深い場所からの視点」なのです。つまり提示される情報に脊髄反射的に怒りや憎しみがわくのではなく、常に(もっと深い場所からの景色があるはずだ)という視点に立つことで止まることができる。怒りや憎しみ(情動)というアクセルと、深い視点というブレーキの主導権を他人に預けるのではなく、「あなた」自身が駆使できるようになっていただきたいのです。


△国旗・国歌に対する上皇陛下のお立場

明仁上皇陛下

国旗掲揚、国歌斉唱に対する認識。

これに対して当時の天皇陛下、即ち現在の上皇陛下はどのようなお考えであったかご存じですか?

天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。

 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。

 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。

(10/28)

国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

天皇の政治行為に関しては日本国憲法で以下のように記述されております。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

ここで問題となってくるのが「国旗・国歌問題に言及する」ことは国政に関系する行為ではないか、ということであり宮内庁からのその後の発言はこの問題に対するフォローと捉えられているのです。

しかし実際のところ陛下は国旗・国歌問題に対してどのようなことを考えられているのでしょうか。

どうにも私には保守層の言う愛国心というものが、国民に「強制ではない」と言いながらも「そういうもの」という感覚を植え付けて「強制ではない強制」を刷り込んでいるように感じられるのです。

そして陛下の様々な発言からも本当はそのようなことを感じられていたのではないかと思われるのです。

そうなると不思議な「ねじれ」が生まれていることに気がつきませんか?


右派は国旗・国家の掲揚、斉唱を「強制ではない強制」し、伝統・文化・愛国の理念を掲げてその中心として天皇陛下を敬うのですが、当時の陛下はそれに否定的であった。

左派は先の大戦の責任が天皇にあるとして「王という存在そのものが罪」というような視点でしばしば陛下を批判してきましたが、陛下の内的な理念に関してはかなりリベラル的で共通点も多くあった。

つまり、「天皇万歳」だとか、「先の大戦の責任をとれ」だとか言っている右翼や左翼と呼ばれる多くの者が実際の陛下を見ていなかった、ということなのです。

彼らは、というより日本人はずっと「天皇」というシステムを自分のイデオロギーを通すための道具として使ってきた、という見方があるのです。

そのような「ねじれ」をずっと引き受けてくださったのが上皇陛下だったのです。

「天皇は日本国民の象徴」であり、「日本国民ではない」、つまり人権がない、というように捉えられる「ねじれ」。

各国首脳との関係構築に動きUSの属国でありながらもUSと敵対関係にある国々との交流があることや「世界最強のパスポート」の存在も陛下のご尽力の影響があることと推察しますが、それでも国事行為ではないという体をつくりながら行う事。

そういった戦後日本の「ねじれ」を一心に背負ってただただ平和を祈る存在。

それすらも革命の中で「罪」とされる恐れがあるからこそ、私はこの記事を書いているのです。


△最後に(言霊に関して)


最後に蛇足にはなってしまうかもしれませんが、もっともっと深いお話をしましょう。

日本における右翼や左翼と呼ばれる者の多くが陛下のご意思を鑑みない存在であると述べました。

一方で国旗・国歌問題に対して、陛下を崇敬した上で、陛下と同じ意思によるものと思われる発言「強制になるということではないことが望ましい」と述べた人物がいます。

元右翼団体「一水会」の創設メンバーの一人「鈴木邦夫」氏です。

彼は幼少期、母の病を「成長の家」の「祈祷」すなわち「言霊の力」で治癒してもらったことを発言しています(18:13秒ごろから)。

私が以下の記事で述べてきたことと重なります。

この世界にはまだまだ知らないことが沢山ありますね。

どこまでいっても私たちは全てを知り尽くすことなどできず、またそれでいいのです。

それがときにブレーキとなり、

さらには「私」などという矮小な存在が全てを知ることはできないからこそ、神の御心に「私」を預け「私」を超えた力を発現することができる。

本来の「保守」思想とはこういうもので、「ディオニソス的」と重なる部分が大きい、ということなのです。



長丁場お疲れさまでした。
これらすべて、もっと深い場所があるはずなのです。







………

今回善悪をグルリと回転させましたがそんな経験を何度もしてみてください。
例えばあなたが最近政治に興味を持ったとしましょう。少しチャレンジして難しめな本をあまり理解できていないながら読んだとします。
あなたは苦労して読み終えたその本の内容を頼りに次の知識を得ようとします。このときあなたは苦労して読んだ分、その本に書かれていた内容にしがみつきたくなります。その本と相反する内容を否定したくなります。
でも、冷静に考えてみてください。あなたはまだ本を一冊読んだだけじゃないですか。
百冊読もうが、千冊読もうが、一万冊読もうが、
政治家の知り合いを作ろうが、自分が政治家になってみようが、
あなたはまだそれだけではないですか。
何が分かるというのですか?
どこまでいっても人は誰かを否定できるほど偉くなどなれませんよ。
社会で生きていく上で否定するスタンスをとらないといけない時があるだけです。
そういったことを理解するには善悪を何度も回転させる必要があるのです。
一つの考えにしがみついていてはいけません。
縄文時代が素晴らしいとか、江戸時代に戻るべきだとか、右だとか、左だとか。

色んなものを見に行ってください。
あの戦争は善だった、悪だった
戦争は善であり悪であることが当たり前ではないですか?
大日本帝国という一匹の生物として捉えるから訳がわからなくなるのです。
大東亜共栄圏をそれが正しいと本当に信じて戦った者もいたでしょう。
それを建前に私利私欲の道具にした者もいたでしょう。
一人一人に目を向けるのです。
一人一人に目を向けようとしたとき、一つの考えの尺度だけでは足りないでしょう?

右に行けばいいでしょう
左に行けばいいでしょう
常識を大事にするのも大切でしょう
常識を疑うことも大事でしょう
宇宙と繋がってみるのもいいでしょう
たくさん本を読んでみるといいでしょう
全部バカバカしいと外に飛び出して誰かと友情や愛を育むのも大事でしょう

それはふらふらしていて芯がない?

その程度で揺れるものは芯ではありません

何処にいたとしても変えられないものが芯です

その芯を理解するには何度もグルリと回転させるのです。



あぁ、そうだった

「進撃の巨人」の主人公、エレン・イェーガーを思い浮かべていただければと思います。

あれは正に日本を描いたお話しです。


人は物語に支配されている。

そのように考えたことはありますか?

難しい政治情勢や世界情勢、歴史、思想、科学。
そういったものも漫画やドラマ、映画やゲームに組み込まれれば多くの人が理解できます。

進撃の巨人なんてその最たる例でしょう。


継承後は、人類(壁内人類)がいずれ滅びることを受け入れ、どうせ滅びるならその日まで平和な楽園で人類(壁内人類)を生かそうとする、いわば破滅的な平和主義者になった。

ウーリ・レイス (うーりれいす)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)

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