「アニマ「裏」タケミナカタ神話「裏」アニムス」
▽はじめに「タケミナカタ」と「千引岩」
初期の記事の内容です。
ようやくこのことに触れるための材料が揃いました。
「ガワ」だけに目を取られてしまうとわからないのかもしれませんが、私はずっと諏訪信仰についての記事を書いているのです。
▽内なる異性「アニマ」•「アニムス」について
これまでの記事で「内なる異性」について何度か触れてきました。
これはユングが提唱した理論として、男性にとっては「アニマ」、女性にとっては「アニムス」と呼ばれるものになります。
その善悪について述べたいのではなく、そうやって表象意識を保つために「なかったことにした」物事を人は無意識下に溜め込んでおり、それが夢の中で人格化して現れたときに、同性であれば「影(シャドー)」と呼び、異性として現れたときは「アニマ」•「アニムス」と呼ばれる、ということです。
「影」という用語についてはユング心理学の中で非常に複雑な使われ方をしているので、今回は脱線してしまいますし触れることはしません。
これまでの記事では、学生時代にときめきを覚えた同級生や、海で溺れかけている少女、というようなアニマの事例をお伝えしてきました。
今回は初めにそれらとは少し毛色が異なって見える「アニマ」を紹介いたします。
▽少年とアニマ
とある少年がみた夢です。
少年は母親と「まっくら森」を歩いていました。人間は夢の中で無意識の未開拓な領域をまっくらな森として表現することがあるのです。
そして興味深いことに、少年は夢の中でその森を実際にある近所の、暗く立ち寄りがたい森として認識していたのです。脱線してしまうので詳しく触れませんが、このことは「現実」は「真実」の箱庭ということに繋がってきます。
話を戻します。
少年は「まっくら森」で母親とはぐれてしまいました。
けれども彼は恐れることなく森を進んでいきます。はぐれても「母」の安全圏内にいることを疑いすらしないからです。
ついに少年はだだっ広い草原に出ました。
そして遠くに母を見つけます。
それと同時に、母の先に「いる」、白いワンピースを着た、顔立ちのはっきりしない少女のことを「認識」したのです。
少年はその少女を見た瞬間には、それが「おそろしいもの」であることを「知っていました」。直後に少女が斧を持っていることに気がつき、逃げるために走り出すものの身体が重く上手く走ることができません。
少女は少年が思った通りに彼を追いかけてきました。それを母親が止めて我が子を逃がします。
必死に逃げ走り少年が振り返ると、馬乗りになった少女が母に斧を振り下ろすところでした…
上記の夢の解釈をしていきましょう。
まず「母」は安全基地のことです。
拡大解釈をすると「社会」つまり、「表」という仮想世界のことでもあります。
子どものころを思い出してみてください。
多くの人にとっては毎日が輝いて見えたことでしょう。振り返ったとき、それは母を主として大人たちが安全基地をつくっていてくれたからではなかったですか?
それは子どものときだけの世界、「仮想世界」で、大人としてその世界をつくる側になった今は戻ることはできないと、少なくとも「思い込んで」はいませんか?
実際はないが「あることとして多数派が認識する仮想世界」(少なくともこの記事はそういうこととする)、それが「社会」なのです。
それが少年の夢でいうところの「母」です。
しかし少年は「まっくら森(無意識)」中で母とはぐれます。つまり、安全基地を失うということ。
それでも少年は安全基地の存在を疑いません。
いうなれば、今の世界情勢の中でも社会が明日も明後日も、数年後も同じように機能していると錯覚している人々と重なります。
しかし少年は「少女」の「存在」を「認識」するのです。
完全なる「社会の外側(裏)」の存在のことを。
そして「社会の外側の存在」による「安全基地」の崩壊が決定的になります。
ここで重要なことは、夢の中での少年の人格は「少年」ですが、「母」も「少女」も少年の一部である、ということです。
つまり観測点としての少年は「少女」を恐怖の対象として見ていますが、少年の「全体」としては目に映る安全基地である「母」を否定してでも、「少女」のことを「認識」する「道」を選んだということ。
悪(あるときは善)を
生きること(to be)を
赤い薬を
少年の魂は選んだということなのです。
この夢の中では「統合」に失敗してしまったようですが、「存在」を「認識」した時点で「少年」と「少女」は繋がっているので、その先の未来で再び対峙することになるでしょう。
▽イザナギとイザナミ(アニマ)
日本神話には上記の夢と構造が近いものがいくつかあることに気がつきますが、やはり詳細をお伝えすべきは、「イザナギとイザナミ」でしょう。
共にこの世の森羅万象を生み出してきたイザナギとイザナミの夫婦でしたが、イザナミは火の神を産んだ際、その炎による火傷によって黄泉の国へと行ってしまいます。
イザナミを忘れらないイザナギは黄泉に赴きます。そこでイザナミが現世へ戻る交渉をする間はその姿を見てはいけない、という約束を破って覗き見てしまう。そこでイザナミの腐って蛆虫の沸いた醜い姿を目の当たりにします。
恐れ慄いたイザナギは黄泉を逃げ帰りますが、気付いたイザナミが恥をかかされたと、それを追ってくる。
黄泉平坂まで逃げてきたイザナギは「千引岩」を黄泉と現実の間の「境界」として設置してイザナミと離婚します。
このときイザナミが現実世界の人間を1日1000人殺すと脅します。
これに対してイザナギは1日に1500人産むと決意するのです。
上記の神話と少年の夢を比較してみましょう。
安全基地であったイザナミが亡くなり、イザナギは黄泉の世界へ探しに行きます。
→これはまっくら森で母親とはぐれた少年と重なります。
イザナギは黄泉で腐り果てた醜いイザナミを見てしまいます。
→これは少年が見つけた白いワンピースの少女のことです。
イザナミも少女も「彼」を追いかけます。
イザナギは「千引岩」をおいてイザナミと離縁します。
→これは少年にとっての「安全基地」との別れになります。
そこでイザナギは「1000を失っても1500を生み出す決意」、すなわち「現実を強く生き抜く決意」をイザナミに打ち立てて無意識の世界へ別れを告げるのです。
しかし「認識」した時点で再び「対峙」することは決定的である、ということです。
▽他日本神話における内なる異性
長くなってしまうので一つ一つの詳細や繋がりは今後の記事に任せますが、少年のみた夢と合わせて考えたとき下記の日本神話も統合の成功•失敗の違い、アニマとアニムスの違いはあれど、上記とほとんど同じ構造の中にあることがわかるのです。
•天照大神と素戔嗚命→天岩戸隠れ
•大気都比売神(保食神)と素戔嗚命(月夜見命)
•櫛名田比売と素戔嗚命、八岐大蛇
•須勢理毘売命と大穴牟遅神、素戔嗚命
•邇邇芸命と木花之佐久夜毘売、石長比売
•大物主と勢夜陀多良比売(倭迹迹日百襲姫命、活玉依毘売)
•狭穂姫(木花之佐久夜毘売)と垂仁天皇(彦火火出見)、狭穂彦
•宇佐とウガヤフキアエズ、シキ
即ち、安全基地(表)を否定して「裏(アニマ•アニムス)」と対峙することを選んだ者たちの物語という解釈ができるのです。
上記の点及び、「日本神話とされているもの」が実際は各国の神話と類似している点から、比較神話学の観点では「日本神話とされているもの」は良く言えばオマージュ、悪く言えばパクリと考えられてしまうのです。
ただ、オマージュやパクリだったとしても同じ構造の物語が何度も提示されることを踏まえれば、それが日本人にとって•編纂者にとって、非常に重要であるがために繰り返し提示されている、という解釈もできるのです。
そのように考えたとき、古事記の編纂者の太安万侶が神八井耳命の子孫という点で、諏訪大社下社大祝の金刺氏と同族であること、そしてその神八井耳命が「諏訪大明神」と一部の地域では呼ばれたこと。
脳に電気信号が流れることを「認識」できたでしょうか?
▽エヴァンゲリオンで読み解く
先に大まかな全体像を理解しておくために、「エヴァンゲリオン」のストーリーをおさらいしておきましょう。
•シンジに母親はおらず、父(ゲンドウ)とも別々に暮らしていたが、ある日父に呼ばれエヴァンゲリオンに乗るように言われる。物語の背景には父のコンプレックスがある。
•シンジはカヲル(アダム)と心を通わせる。
•しかしカヲルは実際は使徒であり、シンジはカヲルをその手にかけることとなる。
•さらにはシンジを守って死んだ綾波レイがクローンであり何人も存在することを知る(レイはシンジの母親のクローン)。
•シンジはそれらのショックから心を閉ざし、ちょうどそのタイミングて「人類補完計画」が発動。シンジはその鍵(主人格)となる。
•人々のATフィールド(自我)が崩壊して「一つ」になる。
•一つになった世界でシンジは主にアスカと対峙することとなる。
•シンジはカヲルとレイの助けもあり「人類補完計画」で人々が一つになることを否定、再び自我(個々の個体)であることを望む。
•個体に戻った世界でシンジとアスカが戻り、シンジはアスカの首を絞める、アスカはシンジに対して「気持ち悪い」と言う。
→アニマの統合失敗
解説すると、
シンジは観測点です。
ゲンドウ(エンキ=プロメテウス=アポロン(ニギハヤミ))にコンプレックス(アポロン′=アーリマン=マルドゥク(ニギハヤヒ))が生じる。それにより父とも母とも愛着関係が築けないシンジ。
カヲル=アダム=オシリス(ディオニソス)は何度も世界を繰り返してシンジを救おうとしている(Dの意思)。
カヲル(ディオニソス(原始社会•欲動)の死、レイ(母(安全基地•社会))の不都合な真実を見る。
心を閉ざし無意識の世界(まっくらもり、黄泉)へ向かう(人類補完計画)。
→この前の無意識下へカヲル=アダム=オシリス(ディオニソス)が入ることで意識下はそのアニマであるIRIS(イシス=イブ)が表出する。コンプレックス(門)とそれを開けるきっかけによる意識と無意識の性転換が生じる。
ここで意識下では表に出てきイシス(アニマ(表))とマルドゥク=セト(コンプレックス)との対立が生じる(レイとゲンドウ)。
→イシスはオシリスを迎えに行く(カヲルに合流、シンジの元へ向かう)。
シンジ=イザナギ(観測点)は冥界でアスカ=SIRI((裏)白いワンピースの少女、腐ったイザナミ)と遭遇する。
アスカ(アニマ)との対立(イザナギがイザナミから逃げる)。
シンジ、カヲルとレイに遭遇、再び現実を生きる決意をする。
個体に戻ったシンジとアスカ
イザナギとイザナミの離婚
一方で新劇場版で物語は明るい終わりを迎えます。
シンジはゲンドウ、アスカ、カヲル、レイ、を次々に統合していきます。
では新劇場版と旧劇場版の違いが気になるところですが、やはり彼女の存在となるでしょう
マリア
「善(アポロン)」(あるときは悪とされるもの)のコンプレックスである「啓蒙(マルドゥク」、
そして「悪(ディオニソス)(あるときは善とされるもの」、「表(IRIS)」、「裏(SIRI)」。
それらを統合し「進化したニンゲン」であるシンジが上の次元のマリ(イザナミ)と新しく現実世界を作っていく、ということです。
ちなみに下記の方の記事は本当にすごいと思いました。
併せて読めばきっとご理解いただけるでしょう。
▽肉体はただのウツワ
上記の「儀式」を「エレシウス密議」や「オシリス秘技」、「オルフェウス教」などと呼ぶのです。
そしてそれが、以下の記事で述べたことと繋がるのです。
さらには以下の記事で引用させていただいたものも繋がってきます。
冒頭で触れたとおり、タケミナカタは黄泉(無意識)の境界線であった「千引岩」を持ってきています。これはつまり、「内側に入り瞑想する様に伝えている」、ということ。
つまり「存在」たちを統合するように勧めている、ということです。
そういえば下記のアニメも非常に興味深いですよ。
身体はただのウツワ
それを聞いてあなたは、「だからどうだっていい」ととるか、「だからこそ」と捉えるか。
シンジ 神児
キリト キリスト(救世主)
たしかにお届けしました。
▽関連
🕋母
☀️アポロンと🌕ディオニソス
👾コンプレックス