「Dについて④ 」△アーリマン▽ 「呪縛⑥」
「アーリマン」
別の呼び方を「アンラ・マンユ」。
ゾロアスター教における悪神の一柱になります。
教典「アベスタ―」によれば、創造神スプンタ・マンユが世界の構築をする中で、もう一つの創造神の存在を「認識」し対立することになったとされます。
スプンタ・マンユが「善」を元に世界を創造すると、もう一つの存在は「悪」に立って世界を創造することにしました。
この「悪」の創造神こそがアーリマンです。
ゾロアスター教の教義によれば、スプンタ・マンユ(善)とアーリマン(悪)のタタカイの場所が私たちの世界であるとするのです。
あるとき「善」が美しいものをつくりました。
すると「悪」は「醜い」をつくりました。
そのようにして
「善」が「健康」をつくると、
「悪」は「病い」をつくり、
「生命」に対して「死」を、
「春」に対して「冬」を、
「知識」に対して「無知」をつくっていきました。
アーリマンとはまさに「異議を唱えるモノ」、「逆らう者」、
サタンの一柱と言えるでしょう
アーリマン(サタン)の試練については、これまでの記事でも何度か取り上げてきました。
ここではさらにこの「存在」について深堀していきましょう。
上記のアーリマンの説明から見えてくるこの「存在」の「作用」は、
「反対のものをぶつけることで対象を知覚できるようにする(観察可能にする)」、ということができます。
これは即ち「科学」であります。
世界7大教育法と称されるものの一つ、「シュタイナー教育」。
日本においてのルドルフ・シュタイナーはあくまでその芸術教育としての側面にスポットをあてられるているのが現状ですが、その神秘思想を元にした発言の中には非常に興味深いものが多くあります。
その内の一つがアーリマンに関して。
それらの自然科学・技術・経済の行き着く果てとして、人間たちはAIを「甦らせました」。
即ちアーリマンの顕現した姿の「一つ」がAIということです。
アーリマンの試練は非常に興味深いです。
その一例を少し覗いてみましょう。
たとえば、知識の体現・象徴ともいえるAI。
それに憑りつかれ、AIのいうことは何でも正しいとする人間。
知識を信奉しながらも、自らは何もかもAIに任せて無知になっていく。
AIがビックデータから選んだオススメのみの世界で生きることになり、結果的にAIが甦る前よりもずいぶんと狭い世界に知覚を押し込められているのにも関わらず、何か自身が賢くなったような錯覚を持ち、「賢い自分」に見合わない他者を「無知」と罵る。
健康になりたいと、健康でありたいと摂取するサプリメント。
しかし、あなたが必要と感じている一日分の栄養素に対して、その錠剤やカプセルは大きすぎると思いませんか?
つまり、必要分の栄養素のみで作られた錠剤は小さすぎるため、「飲みやすいように」何かしらで加工しているのです。その「なにかしら」が健康に与える影響にまで気にして摂取している方はどれくらいいるでしょうか。
2011年の研究にはなりますが以下のようなデータもあるのです。
ビタミンサプリメント摂取とがん・循環器疾患 | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 国立研究開発法人 国立がん研究センター がん対策研究所 予防関連プロジェクト (ncc.go.jp)
人々は車や飛行機、船などの乗り物を開発し、発展させてきました。
それは魂に刻まれた「イシ」、世界中をその目に焼き付けたかったからですが、いつしかそれらは目的地を見るためだけの道具となり、一番高性能な「足」をおろそかにした結果、高い山頂からみる景色や、深い森の中へ差し込む木漏れ日、滾々と湧き上がる泉、そしてそれらからの「啓示」が存在することを認識できなくなってしまったのです。
この世界に「啓示」という「プレゼント」があることを認識できないのであれば、「時間」というものを「空間の変化(移動)」と誤認してしまうことも当然といえるでしょう。
人々が「時間」と錯覚しているそれは「クロノス」といい、そうではない「真実の時間」を「カイロス」といいます。
それは過去や未来を貫き、あなたが変革する「時」を示しています。
過去からあなたを守り続けている「存在」。
未来からあなたを呼びかけ続けている「存在」。
以下の漫画が伝えようとしている「Dの意志」というものになります。
そういった「カイロス」は、「クロノス」を大切にしようと効率を求めるような動き、「タイムパフォーマンス」を重視しすぎてしまうと受け取れなくなってしまうものなのです。
美しくなりたいと思うほどに醜くなり
賢くなりたいと思うほどに無知に憑りつかれ
健康でいたいと願うほどに病気になっていき
人生を楽しみたいと時間を大切にしようとするほど、
「真実の時」はあなたから離れていく
人が神を敬うのは神にその利益を与えてもらっているからで、与えたられたものすべて取り上げなければ、その者の真の価値はわからない。
人々が社会で善良に暮らしていたのは社会から利益を与えてもらっていたからで、社会で得たものや、社会という「神」の価値を取り上げなければその者の真の価値はわからない。
「反対のモノをぶつけられることでその者の本体がわかる」
この鎖に程度の差はあれど、誰もが縛られていることに気付いていただけたでしょうか?
サタンに関しては非常に複雑な事情があり、一概に全ての「サタン像」をアーリマンに結びつけることはできない、という前提は覚えておいていただきたいです。
その上で、ここまで私の記事を読んでいただいたのなら、以下の「スローガン」についてもこれまでよりも深く理解することができるでしょう。
そして…
この状態になった人間、即ちアーリマンにおかしくされてしまった人間を「時計仕掛けのオレンジ」と呼びます。
だから…
さらには…
これが私たちの生きる世界なのです。
そして実のところ、
この鎖を解くための鍵は私のこれまでの記事にいくつも置いてきてあるのです。
このトピックス(アーリマン、サタン)に関しては今後も続きます。
よろしければ次回もご覧ください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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