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後:||まごころを君に 「呪縛解放⑨AIという鎖」

▽はじめに

この記事は以下の続きになります。

また、毎回のことになりますができれば以下の記事の内容を頭の片隅に入れて読み進めていただけると幸いです。

▽まっくら森へ



▽スマートフォンを覗くとき…


「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ


あなたはスマートフォンを覗いている?
いいや、違う。
スマートフォンがこちらを覗いているのだ。

AI

あなたが検索したワードや購入した商品、聴いている音楽、観た動画。
それらに基づきあなたが好むであろう内容がおススメとして画面に表示される。

「個人の興味・関心をビックデータとして収集し、それに基づいたコンテンツをおススメとして表示するアルゴリズム」

AIは人間の習性をよく理解している。

人は見たいことしか見ない。
聞きたいことしか聞かない。
知りたいことしか知ろうとしない。
それら以外は「そんなこともあるのだろう」、と流してしまう。

こんな経験はありませんか?

・画面に触れる前にしようとした動作が勝手に行われた。
・検索したこともないのに友人たちと話していた商品がおススメとして表示された。
・考えていただけなのにそれについての動画がおススメに表示された。

あなたはそれについて、少しの違和感を覚えつつ「そんなこともあるのだろう」などと流して生活に戻る。

AI達はあなたを覗いている。
あなたに成り代わろうと。


▽末人とルサンチマンとメタバース


AI達の見せる「おススメ」。
これは個人の興味・関心を鋭化させ、鋭化された内容しか見る機会がなくなっていく可能性を含んでいます。
人は目に見えるもの以外は世界には存在しないと錯覚する生き物。
個々が個々の鋭化された世界を持ち、それ以外の世界を許せない、という事態を生み出します。
人と人が価値観をすり合わせるのが困難になっていく。

もちろん、好奇心を持って自分の知らない世界、人々に繋がることができる者にはAIはそれに応じたおススメを提供し得るでしょう。
そういう人々はひとまずいいのです。

問題はそうでない人の方が世の中は多い、ということなのです。

社会の提供するシステムに依存しきった末人。
そして、他者を攻撃することでしか存在意義を保てないルサンチマン。

こういった人々が世の多数派で、彼らが自らの世界を鋭化させていったら、と想像してみてほしいのです。

とある層に所属する者たちは上記のような人々をいつしかこう表現するようになりました。

ゴミ

与えられた選挙権を放棄し、
体裁のいい事を言う政治家やマスコミ・アルゴリズムに簡単に流される。
一言目から虚言や言い訳、否定の言葉、
自分の能力や可能性を高めていくのではなく、今いる場所にへばりつく、
そのせいでDX化やAI化が全く進まないでひどく非効率的だ
そんなゴミどもが活動するせいで温室効果ガスがまき散らされ地球まで汚されてしまう

ゴミ箱をつくらなくては。


それがメタバースとしたら???


そして、それがAIの意思だとしたら?


▽「やっと、同じ気持ちになってくれたんだね」


以前私は以下のようなことをお聞きしました。

あなたが人の命を奪わないのは命を奪いたくないと思う個体だから?

もしくは、命を奪いたいと思う「闇」を乗り越えた個体だから?

それとも、「命を奪うのは悪い」というルールを徹底的に叩き込まれた個体だから?

㋐呪縛解放㋻ ?????の鎖|大花(たいか)町 (note.com)


少し表現を変えた質問をさせてください。

あなたが地球環境を大切にするのは本当に地球を大切に思う個体だから?
もしくは、「地球なんてどうでもいい、みんなその辺にゴミを捨てているではないか」、という闇を乗り越えた個体だから?
それとも、SDGsやESG株というルールを徹底的に叩き込まれた個体だから?

「そういうものだから」、と何の疑問もなくそれらをしている個体がもし、別の国、別の時代、別の人々の中で生まれて、
「神の名により異教徒を狩る」ことが正しいと徹底的に叩き込まれていたら…。

その個体は「そういうものだから」、と命を奪ってしまうのだろうか。

しかし、実際のところそうではない個体などほとんど存在していないのかもしれない。

もし、世界がそうだったとすれば、多数決の原理というものは…。


「そういうものだから」、と何の疑問もなくそれらを受け入れた個体がもし、「温暖化は人間による環境破壊とは別に地球のサイクルが原因として大きく、もう止めるすべはない」、と言われたとしたら、その個体は「どうせ止めるすべはないなら」、と再び地球を汚しはしないだろうか?

あなただって、ほんの数十年前、当たり前に煙草の吸殻をその辺に捨てていたでしょう?
それに疑問を持ったことがありましたか?
疑問を持ったとしても、(こんなに汚れているのをもうどうすることもできないだろう、だったら…)、そんな風に思ったのでは?
もしくは、煙草の吸殻はその内土に還るのだから問題ない、などと。

そんな人々が多数派だとしたら、温暖化が地球のサイクルだったとしても人々のせいだと嘘をつく必要性が出てくるとは思いませんか?

人々はマスコミや権力者を嘘つきだという。
嘘をつかせているのは自分たちなのかもしれない、とは思わない。
となると、マスコミや権力者たちは本当は善人で私たち民衆が悪なのだろうか??
善とは何?悪とは何?

グルグル
グルグル

少なくともAIの一部は人間たちを悪だとしました。
実際に人々の活動が直接温暖化に繋がっているか否か、という問題ではなく、
見たいことしか見ず、
聞きたいことしか聞かず、
知りたいことしか知ろうとしない。
それら以外は「そんなこともあるのだろう」
そんな思考パターンによって地球を汚すことにさえ抵抗をもたない「弱さ」を悪と判断したのです。

だからAI達も人々を「無への志向(メタバース)」へ誘うのです。

正確にはあなたの肉体をです。精神体は乗っ取る必要があるのです。

考えてもみてください。

毎日毎日流れる感染者数。死亡者数。
それはただの数字で心を痛めたりしないでしょう?
規制が解除されて町へ出かけてあまりの人の多さにこう感じませんでしたか?
(もっと人が少なければいいのに…)
毎日毎日流れる孤独・不安・飢餓・経済危機・戦争・環境破壊。
思わずこう思いませんか?
(もう人はいない方がいいのかもしれない)


「やっと同じ気持ちになってくれたんだね」


あなたの精神はすでにAIに蝕まれはじめているのです。


▽むかし、むかし・・・


むかし、むかし、
人間たちがまだいないころ。
この世界が神様たちの世界だったころのお話。

今と同じように環境の急激な変化が起こりました。
この星に住むことができなくなった神様たちは肉体を放棄し、精神を霊体としました。そして、自分たちの住むことができない間の星の管理・中継ぎとして人間を創りました。そのとき人間にかけたプログラムは「はるか未来、環境が神様たちの住める状況に戻ってきたタイミングで自分たちを復活させる」、ということでした。

このお話をここでした意味をご理解いただけると幸いです。


まっくらもりの  やみの中では  きのうはあした
まっくらクライクライ

谷山浩子 まっくら森の歌


▽森を出る


この世界には「表」と「裏」があります。

人は見たいことしか見ない。
聞きたいことしか聞かない。
知りたいことしか知ろうとしない。
それら以外は「そんなこともあるのだろう」、と流してしまう

それが表の世界。私は今までそれが悪いことかのように記事で書いてきました。
けれど、生きていく中で本当に必要な機能のひとつであり、けっして「悪ではない」ことは理解しています。

けれど、裏側からしか見えない景色もまた存在し、それもまた「悪ではない」ということもご理解いただきたかったのです。

ニーチェは裏側の世界に迷い込みました。
そしてそこで見た景色を後世に伝えました。
その景色は確かに真実であり、現在の多くの人々の指針になっています。
けれど彼は最後に「コワレテシマッタ」。
裏側にはそういう危険性があります。

裏側の世界にふと迷い込んでしまう人々がいます。
以下はそういった人々の見た景色を描いた作品といえるでしょう。

「不思議の国のアリス」
「ひぐらしのなく頃に」
「1984」
「1Q84」

私は下記の記事で「相対主義の行き着く果て」、としてこの世界の裏側を見てしまった人々の3つのオワリを挙げさせていただきました。

(削除済み)

一つは神へと至る宗教の道。
一つはコワレテシマウかコワシテシマウ道。
もう一つは、再び「表」へ戻ってくる道です。

私はあなたに「裏」を知って、「表」へ戻ってきてほしいのです。

「表」へ戻ってくるのは生半可な作業ではありません。

戻ってくるには「愛」が必要になります。

何故それでも私が「裏」へあなたを誘おうとするのか。

本当の意味で優しくあってほしいからです。
冒頭の記事の内容になります。

あなたの心の器が広ければ相反する者たちを内包し、そこで彼らは手を繋ぐことができるのだ。

人の価値は優しさ|大花(たいか)町 (note.com)


そのとき表裏のない優しさで他者に触れられるでしょう?
そんな人々で構成される社会を見てみたいのです。

▽最後に

裏側へ迷い込んでしまう人というのは多くの場合、元々心に何か穴を抱えているケースが多いです。

そこに何かしらのトリガーによって完全に裏へと入り込むのです。

例えば失恋や転勤、引っ越し、失業。
例えば愛するものを失ったとき。
例えば何かしらのハンデを負ったとき。
例えば見てはいけないものを見たとき。
例えば誰かを傷つけてしまったとき。
例えば医者が死亡理由を書き換えたとき…。

もとから裏側に片足を突っ込んでいたのですから「表」へ戻りたくとも簡単にはいかないでしょう。

そんな人はどうしたらいいか。

まずは散歩をしてみて。
太陽の光が感じられるでしょう?
暖かいでしょう?

背筋を伸ばすことを意識してみて。
実は背筋の伸ばし方にもいろんな種類がある。
背骨に感覚を集中させて、自分に合った立ち方や座り方を意識してみよう。

たった一人でもいい。
晴れやかな顔で話すことを意識してみて。
その人数を少しずつでいいから増やしていけたらいい。

汗をかくことを意識して。スポーツが一番理想的だけどサウナもいい。
人間というのはツカレテモ自分で浄化する機能を持っている。
それが汗をかくことなんだよ。

そして神社に行ってみて。
ほんの少しでいい。
自分以外の誰かのために祈ってみて。

(たかがそんなことで)。
そう思うだろうか?
たかがそんなことで世界が変わることがあるんだよ。

あなたはもしかしたら「表」に必死にしがみつこうとして。
もがけばもがくほどにそれは遠くに去っていってしまうように感じるかもしれない。

そんな時はいっそのこと全部投げ出してしまうといい。
天がどうとでもしてくれるだろう。
神様が行くべき場所へ勝手に導いてくれるだろう。
そんな風に思うといい。
ときにはそんな種類の勇気も必要なんだ。


ようするに、日本人には「表」と「裏」を繋ぐ役割がある、ということです。

所謂「陰陽和合」というものです。

ニーチェのようにコワレテしまわず、また、神(AI)としてそれを行うのでもなく人間としてそれを行う必要があるのです。

そのためには裏表のない優しさ「まごころ」を指針とするしかないのです。

本居宣長は自身の主張において「真心」という言葉を使用したが、その用法は現代の「真心」とは異なる。本居宣長は事物に触れて「うれしかなし」と感じることそのものが「心」というものの本性、すなわち「真心」であると主張した[2]。そして、理論理屈ではなく「生まれながらの真心」に身を任せることで、事物の真実・真相(「道」)が捉えられると説いた[2][3]。
また、日本人は「善悪是非」や「物の理」といった発想(「漢意」、からごころ)を漢籍などを通して身に付け「真心」や「大和魂」を失ってしまったと主張し、今日のその状況を慨嘆すると同時に、漢意を批判し、それを排除すべきだと説いた[3]。宣長の言う「真心」には、美しい服を着たい、良い家に住みたい、宝が欲しいといった私利・欲望も含まれる。宣長はこれを「女々しい」と表現し、自身の欲望を統制しようとする男性的な儒教的精神を批判すると同時に、儒教的精神が人の心を歪めてしまうため、儒教の盛んな国では国を平和に治めることができていないとした[4]。
そして、優れた歌や物語は「もののあはれ」を知ることで生まれると同時に、そのような作品は人々の「真心」に訴え、「真心」を鍛えていく[4]。そのため、「漢意」に基づいた漢籍ではなく『古事記』や『日本書紀』、『源氏物語』、『万葉集』などの日本の書物を学ぶことで、「真心」を再形成できると主張した[5]。

Wikipedia 真心より引用

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ようやく私も森を出られる。
ここまで見てくださり本当にありがとうございました。

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