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「脱領土化(ディオニソス)」→\(◎o◎)/←「再領土化(アポロン)」


〇御伽噺 塔の名は「不動の自己」


私は階段を降り続けた。

その中でいくつか知ったこととして、

どうやらこの塔は「不動の自己」などと呼ばれているらしい。

この塔は私の本体であるということ。

不思議なことに、私の本体たる塔にして、たまにすれ違う人間がいる。

本体は共有している他者がいるということ。
さらに言うと、塔の自分から見て「あちらがわ」、つまり、「こちらがわ」で関係を持った人間も何人かいる。

本当に不思議なことだ。

すれ違うということは、当たり前だが、私と同様に降りてきて先を越して行ったか、

もしくは、彼ら•彼女らが昇ってきて鉢合わせたか、だ。

塔を昇る者たちに関して、長い道のりを歩き続けた故の疲労は覗えるものの、皆総じて表情は明るい。

反対に私よりも早く塔を降っていった者たちの表情は鬼気迫るものを感じ取らせた。

私はそれら両者と情報を交換していった。塔の名もその中で知った。

情報をまとめると、

塔はひたすらに、手すりもない階段と、一定間ごとの中間階が続いているが、それらとは関係なく、また明確な目印もあるわけでないのに、7つの区間で分けられている。

上から 7層 宇宙
    6層 直観
    5層 表現
    4層 愛
    3層 自我
    2層 性欲
    1層 生存
    
次に、塔の者たちはそれぞれに違う層から昇降を始めている、ということ。
そして、各々が各々のスタート地点を頂上もしくは最下階であることを知覚して、その旅を始めたこと。

また、私自身も他の者たちと情報を交換するまですっかりと忘れていたのだが、ナニカに連れられてこの塔にやってきたということ。
塔を登る者たちは、それを「白」と呼んだ。ある者はそれが「青」であったとも伝えた。
一方で、塔を降る者たちはそれを「黒」と呼んだ。「白」のときと同様に、ある者はそれを「赤」であったと言った。

数ある中でも驚いた情報としては、「不動の自己」には、「私」でも「他者」でもないモノたちも「暮らしている」ということ。

私は上の方から降りてきて出会う機会が少なかったが、下階層へ降るほどに、各層で暮らしているモノたちは多くなる。
「暮らす」と言ったって、階段とだだっ広いだけの中間階しかないのに何をするんだ、とも思うのだが、「暮らしている」モノたちはそれなりに楽しくやっているらしい。それらは基本的に自分のいる層から出ることはない。
その層にいるということが自分である証明なのだという。
しかし、やはり退屈さは長い人生の中で抱えることがあるらしい。
故に一つ上や、一つ下の階層にまれに行ってみる。
その体験を非日常として一生の思い出とする。
そのようなものを「身の丈に合った生き方」というらしい。

一方で「力」ある者だけが「私」の一人として、この塔の各層を超えて縦断する資格が与えられるということ。

次が私が最も驚いた情報なのだが、7層と1層は繋がっている。

つまり、降り続けた末に高みを臨み、昇り続けた末に深淵を臨む、ということだ。

それらの情報を踏まえて、私は仮説を立てた。

以下のものになる。

すなわち、「頂上」から降りる者は「黒」によって「シロ」として生まれた。その「シロ」は降り続けて深淵を臨んだとき、新たな「黒」となる。そしてこのとき、「頂上」へ「シロ」を連れて戻るのだ。

同様に、「最下階」から昇る者は「白」によって「クロ」として生まれた。その「クロ」は昇り続けて高みに至ったとき、新たな「白」となる。そしてこのとき、「最下階」へ「クロ」を連れて戻る。

この反転に至ったとき、莫大な「力」があふれ出て諸々の問題が解決される。
このような流れを「こちらがわ」では「脱領土化」と「再領土化」などと呼ぶ。
「分裂」と「統合」と呼ぶとわかりやすいか。
もっとワクワクする言い方だと、「黒魔術」と「白魔術」と表現してもよいかもしれない。

この「黒」を「ディオニソス」と私は呼ぶ。
同様に「白」を「アポロン」と呼ぶ。

そして、この黒と白の連続性、即ち「脱領土化」と「再領土化」を永遠に繰り返すことを「永劫回帰」と呼び、それらを永遠に繰り返すことのできる「力」あるものを「超人」と呼ぶのである。


〇自我と無意識


ちなみに、上記のような仮定を無理矢理引き起こそうとする流れがあり、以下のnoterさん?といえばいいのでしょうか?が詳しく紹介されています。

もしかすると、あなたはこういった話にまだ実感がわかないのかもしれません。
けれど、それでも、ここ数年で絶望を味わうことになっていくことをお伝えしておきます。
子どもたちとの向き合い方を今から考えたほうがいいでしょう。


今後詳しくお伝えしていきますが、あくまで比喩として聞いてほしいのですが、表象意識が保持できる情報を1だとしたとき、無意識領域は1万を優に超える情報を保持することができるでしょう。適当な数字ですが、それくらい表層意識と無意識領域との間には容量の差がある、ということを伝えたいのです。その莫大な無意識の情報量から、その個体が置かれている環境や人間関係等に合った要素を半自動的に抜き出して組織化する。これが自我、表層意識です。

簡単に言うと、「自我は関係性によって規定される」です(1:05頃~)。


ここで重要なことは、「自我」をつくりだすのは「社会」や「現実」のみではなく、「社会」や「現実」での体験を保持して組織化する「無意識領域」、即ち「真実」も密接に関わってきている、ということ。そもそも無意識領域に莫大な量の要素が保持されていなければ稚拙な「自我」しか構築できない。

何が言いたいのかというと、スクリーンをただ見るだけの情報は「無意識領域」に要素が保持されない、ということです。

本をめくる。訳者柱にページを飛ばす。その内容に熱中する。その内、元の内容を忘れて、元のページのさらに前のページに戻る。

ぱらぱらぱらぱら。 ぱらぱらぱらぱら。

その「ぱらぱら」が無意識領域に保存されて、夢の要素となりえるのです。

ぜひとも、お子さんやお孫さんに少しでも長く絵本に触れさせてあげてください。
ただ読むだけでなく、「ぱらぱら」を体感してもらうのです。

カエルのぶにょぶにょ感や、
タンスとタンスの隙間の何かが出てきそうな感覚、
砂場のザラザラや、水のバシャバシャ、泥はどろどろ、服はぐちょぐちょ

それらが「力」と結びついて夢をつくりだす。
夢は現実の影として、その子を生かしていくのですから。


〇終わりに


いつも読んでくださる皆さん、本当にありがとうございます。
そろそろ本題の方に入っていこうと思います。
つまりディオニソスについて深く掘っていく、ということです。
内容が内容なので、かなり荒々しい表現も使っていくことになると思います。

けれど、たしかにそれは私の一部だけど、私の全体はそうではない、ということ。私の全体は「ゆっくりと穏やかに進んでいくこと」が大切と思っていること。
それだけわかってもらえたら嬉しいです。

今後ともよろしくお願いします。


〇関連

・タイトル画像

古より建立されし塔イラスト - No: 24730014|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」

・今回の音楽

 ・People In The Box 「旧市街」

 ・リーガルリリー 「キラキラの灰」

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