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日記から漏れる海(中)──『九羅夏』の成立過程について

 最新作『九羅夏』はもともと能村登四郎の句「裏返るさびしさ海月くり返す」と、ある体験が化合して発生した詩から始まった、詩と俳句のコラボレーションであった。
 今回は無粋ながらその成立過程について日記から考えていきたいと思う。というのも、この詩の発生と成立の間に作者自身としても理解しきれない所が多く、機会を設けて分析していきたいのである。興味のない方は是非とも無視されたし。


二〇二三年六月三十日金曜日

二〇二三年六月三十日金曜日

・コロナブックス編集部『詩人 吉原幸子 愛について』(平凡社)
・籔内亮輔『海蛇と珊瑚』(角川書店)

 というか、その他も買っていただろ……。いいかげんな奴だ。
 本日は海月を見た。〇〇【注・地名】漁港に行き、コンクリに降り立つと丁度、其処に。なんと幽かな、雨天の海月。死の予感か。
 そういえば、火曜日、二十七日にもある感動的な出会いあり。〇〇【注・地名】川沿いを歩いていると、白く頭にひらひらとした帯のある鳥を発見。後に小鷺とわかる。風に吹かれて靡く帯の涼やかなこと。鰡、ボラ、鵜、もう一羽不明の鳥、黒い鯛に似た魚、汽水域の豊かさと不思議な貧しさ。飽きずに小鷺を見つめていると、視界の隅で水面が跳ねた。瞬時に(すなはち)見やると丁度水から小さな鳥が出て、川辺に(コンクリート)に【注・原文ママ】留まった。その色、姿を見て驚いた。あれは、それは、翡翠であったのだ。魚をくいくいと呑み込んでいる。その大きな黒い嘴。美しい。動画を撮り始めると、すぐにこちらを察知。明らかに私を見て、暫くすると飛び立った。近くの垂れている竹に移る。──風を受けて、頭頂の帯を靡かせながら(あれは南風だった……)純白の小鷺は悠然と歩き、小魚を喰らった。(あぁ、〇〇小学校【注・〇〇は地名。わが母校】のビオトープに忽然と降り立ってきたのはあいつだったのか)鰡は陽に腹を晒し、死んだような姿勢で川底の藻を食べている。それは躰をこすりつけているようにも見えた。死して川流れ? 人智を超えた遊び? 両翼をひろげて鵜は南風を掴もうとする。そして、大きな音を立てながら飛び去った、海へ。小鷺はかつて忽然と現れたように、忽然と消えていた。あとには、鰡のきらきら光る光る腹が川底を滑ってゆくばかりだった──しかし、小鷺が狩のポイントにしていた、小さな段差で水が急に落ちている所を、鷺無きあと鰡の群れがやってきて藻を食みはじめていた。そこで私は俳句に興がのり、その足で藤田湘子『実作俳句入門』(角川ソフィア文庫)を購いに行った。
 さて、海月。あれほど幽玄なのかと驚いた。拍動のように泳ぎ、どうも沖を目指しているようだった。水面の反射で少し港から離れられてしまうと、その姿が見えづらい。まぁ、十中八九沖を目指しているのがわかったところで、何故私が来るまで近くに浮かんでいたのか。別離とは? もしや吉原幸子? と無粋な想像。

 感動が薄れぬうちに書こうとして、雑な文章になっている。とにかく、これで海月との出合い直しがなされた。しかし、これを読んでいるともしかすると歳時記を開いたのは雨の港から帰ってからだったかもしれないと思い始めた。全ては茫々としている。


二〇二三年七月二日日曜日

二〇二三年七月二日日曜日

 昨日、〇〇【注・地名】の浜に立ち、打ち上がっている海月、打ち上がってくる海月、すぐそこを浮かぶ海月、大小の海月、を、見ていた。大きいのは私の顔ほど。ミズクラゲ。浜千鳥。
 〇〇【注・地名】公園の池へ。先ずビオトープ。【注・中略】一匹のあめんぼ。そして、四阿屋の池へ。夥しいあめんぼ、水すまし、水馬、水蜘蛛。ここは昔から規模変わらず、あめんぼの数も変わらず。何故、あそこは昔から……。
──海月・水馬・雷・キャンプ・アロハシャツ・夏休

 雨の港の翌日に、浜に出た。ここでの感動は別の記事に書いている。→【随筆】港のクラゲ
 詩に向かう歩行が活発になっているのがわかる。


二〇二三年七月四日火曜日

二〇二三年七月四日火曜日

 呂、露、ろ、吐露、結露、夏の露、発露。
 無気力な二日間。完全休二日連続にもかかわらず、【注・中略】もしなかった。詩歌も読まず、書かず。
 愛称。異称。鶴。平……源……。砂時計。感心。東へ。目打ち。易しい言葉はつまらないね、……。自慢。太鼓。寂しい陽気。個性的ナ手ヲ翳シテイル集団ガ東シナ海ヲ横断。旭日。松。捨て猫。
 本日、石田波郷新人賞の為の二十句を選んでいると、己の句の拙さに辟易する。上五に季語、夏の句ばかり。案外に時候が多い。
 羽蟻。海月。雲の峰。小暑。晩夏。

 結局、石田波郷新人賞には送らなかった。
「易しい言葉はつまらないね、……。」これは『九羅夏』へ繋がる呟きかもしれない。


二〇二三年七月五日水曜日

二〇二三年七月五日水曜日

 小暑近付き、湿度、気温も徐々に。汗が不快だ。
 汗、汗しらず、汗拭ひ、汗の飯、汗ばむ、汗ふき、あせぼ、汗疹?
──畦を違へて虹の根に行きざりし【注・鷹羽狩行の句】
 快活、開豁。
──愛なき日避雷針見て帰りけり【注・寺山修司の句】
 開豁、終わりなき歌を教え、避雷針を仰いだ小学一年生。good.


二〇二三年七月六日木曜日

二〇二三年七月六日木曜日

 今日の夢。
 小、中の同級生と、大体中学生くらいの年齢で集まり布団を敷いて、部屋に隙間なく、丁度千と千尋の共同寝室のように、皆で寝ていた。私はその布団の真ん中くらいに居たのだが、いつの間にか、皆が同様に足を向けている壁側に来ていた。あまり広くないように見える部屋に多くの人々。そして、目の前の誰れかがごろんと寝返りを打ち、布団がはだけ、ズボンを履いていなかったので、パンツが丸見えの尻が目の前に。彼女はO【注・人名】だった。褐色の肢、ぷりとした尻に半ば食い込む水色のパンツ。パンツの線に沿って、何かセルロイト【注・正しくは「セルライト」】のような皺もあった。私は布団の下に手を入れて、そっと彼女の足を触った。一瞬彼女がもぞもぞと動いたが、それきり、別の場面へ。

 手を脳から解放してやる。吉本隆明、吉増剛造。手が動き、根源ノ手。手の働き、文字を書くこと、先に手が動き、手が夢を見る。

 寝起きの雑な夢日記。フロイト的悪夢としか言いようがない、されど他者から見れば助平な夢と思うだろう夢。ここで言いたいのは、単なるリビドーのあらわれと断じがたい部分が多々あるということ。セルライトの皺は非常に尻を醜くしていたし、私は尻を触るのではなく足を触ったのである。幾度となく性交の夢は見たことがある。それなのに、絶対にOとの性交の夢は見ないのだ、と誰も得しない情報を。


二〇二三年七月八日土曜日

二〇二三年七月八日土曜日

 七月七日未明、長編詩『夏』の朗読動画を撮ろうとしたが、上手くいかぬ。何故、撮り始めようとしたのか。この前の夢が影響しているのであろう。
 十五時頃。【注・中略】
 【注・中略】
 ああこれが、七月七日の、恋の、季節? その、運命。
 ノ、、ガレ、ラレ、、ナイ、コト、ヒト、ノ、、微笑ミ。
 二時五十六分、書く。斯く擱筆。


二〇二三年七月九日日曜日

二〇二三年七月九日日曜日

 今日の夢、B【注・人名】が出てくる。最後は毒蛇に噛まれ、救急車を呼ぼうとすると、祖母が出てきて「先程運ばれたの」と言はれる。【注・原文ママ】もう一度緊急通報すると「ファン!」と霊柩車のような音がした。
 書いていて、不吉な予感。私が死ぬんじゃなくて、家族あるいなB【注・人名】が……。昼。

 途中、分かりづらい箇所があった。「祖母が出てきて」とは電話に出るということ。


二〇二三年七月十二日水曜日

二〇二三年七月十二日水曜日

 十一日、県美【注・兵庫県立美術館】へ。コレクション展後期展示、金山平三展へ。
 後期日程も素晴らしい。木下晋「合掌」、斎藤智「薄明I」「無題75-B」「無題76-i」、パイク、ナム・ジュン、近現代書道「蕭々」、「龍」、「啼鳥」「圓」。
 金山平三、彼の風景画は惜しいものもあるが佳い。しかし、花の静物画が最も素晴らしい。ヴァニタス。「菊」「ダリヤ」彼は世界を斜めから見て、真理に到達する。評価し直す。素晴らしい画家だ。

 兵庫県立美術館にて開催されていたコレクション展「虚実のあわい」は素晴らしい展示であったと熟思う。東影智裕の作品に最も感動した。


二〇二三年七月十五日土曜日

二〇二三年七月十五日土曜日

 昨日、購入。
・『捨てなくて大丈夫』(宝島社)
・石田夏穂『我が手の太陽』(講談社)
・夏井いつき『伊月集 梟』(朝日出版社)
・大森静佳『カミーユ』(書肆侃侃房)
 今日は、(朝が来れば)横尾忠則現代美術館へ行きたし。神戸市文学館も行けるのでは?
 夏、晩夏。夏、夏、晩夏。夏、晩夏。
 夏、という字が最もペンとインクで書かれていて美しい字だ。

 横尾忠則『原郷の森』(文藝春秋)
 えんがわ、縁側。
 カミーユ・モネ。
 横尾忠則。
 今日、人生で初めてダリ・ピカソを見る。キリコもか。

 横尾忠則現代美術館「原郷の森」展も『九羅夏』に少なからず影響を与えている。ピカソの遠心力。


二〇二三年七月十八日火曜日

二〇二三年七月十八日火曜日

 夢とは違う夢を"見る"のではなく"行く"のだ。それは"他界"なのかもしれなかった。もしくは吃っている時に流れる時間……?
 日記ではありたくない! ああ、この感嘆符の滲み方、伸びやかに美しく。おお、「く」に戸惑いが生まれて、湖めく滲み。無ではないんだ……、だから無へ向かいたいんだ……。もしかすると海かもしれないよ。水母だね。海月だよ。
 業。

「海月」への意識が尖り始めている。


二〇二三年七月十九日水曜日

二〇二三年七月十九日水曜日

 眼球。


二〇二三年七月二十二日土曜日

二〇二三年七月二十二日土曜日

『君たちはどう生きるか』宮﨑駿の清潔な悪夢、純粋なカオス。あの幕切れ。トラウマ、ファンタジー。私は好き。下敷き買う。

 横尾忠則現代美術館「原郷の森」展と同じような形で影響を受けたのが宮﨑駿監督作品『君たちはどう生きるか』。七月からずっとあの作品について考えている。
 ここから、七月二十六日の間に能村登四郎の句とのコラボレーションが一時間ほどで完成する。細かい日にちはわからない。ただ、そこから藤田湘子、池田澄子と三日連続で進んだのは間違いなく、その三作が揃った原稿が二十九日には存在していることから先に述べた日程と思われる。


二〇二三年七月二十六日水曜日

二〇二三年七月二十六日水曜日

 柳家小三治「初天神」、思わず笑ってしまった。芸とは素晴らしい。

 この笑いがこの二ヶ月後、初の寄席へ足を向かせることになる。昔から落語は好きだったが、何故か今頃のめり込んだ。


二〇二三年七月三十日日曜日

二〇二三年七月三十日日曜日

 決めた。小川軽舟選の毎日俳壇に五句入選・一句特選、又は、八句入選したら、鷹俳句会に入会しよう。出費がかさむが……。私の将来はいかなるものになるのやら。生きたくないのに、人生の宿題を増やしているなど、笑止千万……。


二〇二三年七月三十一日月曜日

二〇二三年七月三十一日月曜日

 「鷹」か「沖」かで迷っているが、どうしようかな……。と、と、と。

 三十日に『能村登四郎の百句』と『藤田湘子の百句』を読み終えて、どちらにも惹かれていた。しかし、現時点ではもう肚は決まっている。
 とにかく、俳句への意識の高まりと『九羅夏』の作品化の加速は比例していた。八月三日になれば四作目、山口青子とのコラボレーションも完成するが、(中)はここまで。

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