1/26 気図法配置の仕組み、八門法配置の仕組み② 八門法配置に現れる「業」(2)
昨日の続きです。
八門法に基づく、人間の「業」の続きの説明です。
昨日・一昨日の内容をベースとしておりますので、未読の方は、
先に昨日・一昨日の内容をご確認いただくと理解しやすいと思います。
さて、気図法が「自然」の在り方、無為自然の在り方である一方、
八門法は「人間」の意識・意図が介在し、「自分」を中心に、何かを成すときの在り方が示された配置であったわけですが、
「自然とそうなる」というエネルギーとは異なり、
「自分(=人間)が」何かを成す…というエネルギーは、
「自然」に逆らう意図・動きであるので、そこには「業」が生まれるのだということを説明しました。
「自然に流されるまま」であれば、罪はないのですが、
人間として生きていくということは、多少の差はあれ、意志や意図が現れるわけで、
その先において「自然と異なる動き」をすれば、そこには別のエネルギーが発生する、それが「業」であります。
もっとも、「自然と異なる」にしても、自らが持つ「業」に応じた在り方であれば禍はないのですが、
その「業」に反する在り方である場合には、そこには禍が生まれます。
別の言い方をすれば、
人間として「意志」をもつ限りにおいては必ず 「自然と異なる動き」にはなるのですが、
その「自然と異なる動き」をするときには、「業」に応じている必要があるのだということです。
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